ヘレナ国際カントリー倶楽部 | ゴルフ場探訪記 in 福島

ゴルフ場探訪記 in 福島

震災と原発事故で大きな打撃を受けた福島県のゴルフ場、様々な歩みを体験リポートする。

ヘレナ国際カントリー倶楽部

2014年7月3日


ヘレナ国際カントリー倶楽部はいわき市の広大な丘陵地帯に広がるゴルフコースである。その広さは90万㎡。36ホール造成可能な広さだという。

視界を遮るものはない。開放感に浸れるが、決してやさしくはない。巧みに配置されたウオーターハザードやバンカーは安易なショットを許さない。グリーンも広く、複雑なアンジュレーションだ。グリーンに乗っただけでは安心できない。
コース2

ユニークなのはティショットの位置によって、パーが変化する。プレイヤーの気分でパーが選択できるのだ。インコースの17番はパー4とパー5の2通りに使える。18番はパー5とパー6の2種類のティーグランドが用意されていた。

選択制の導入というが、プレイヤーの好みによって意見の食い違いが生まれそうだ。


コース1


そんなコースに挑戦するためにコースにゴルフ場の宿泊施設のヴィラに前泊した。ヴィラは1階がテラスルーム、2階が寝室になっている。おしゃれな造りだ。テラスからはインコースのスタートホールが目の前に広がっている。


ヴィラ1

ヴィラ2

敢えてこのコースで宿泊したのは訳がある。このゴルフ場の出発点をもう一度見ておきたかったからだ。


かつて、ここは超高級リゾート施設「ナナトミクラブ」として開発された。

「ナナトミ」クラブは長期滞在型の保養施設として整備がすすめられた。総面積は269万㎡という広大な敷地に、ゴルフ場や乗馬施設、インドアスポーツを楽しむことができる体育館を建設する壮大な計画であった。さらに、敷地内には高層ホテルや、滞在施設としてヴィラやコテージも組み込まれた。自然の中で余暇を過ごす超高級リゾート基地として整備は進んだ。遠くからでも遊びに来れるようにとヘリポートも用意された。


開発費として投入された金額は1700億円。都会のセレブがメディカルチェックを受けながら、ゴルフや、乗馬、インドドアスポーツを楽しみ、心身をリフレッシュするはずだった。


しかし、バブル崩壊とともに夢は幻となった。

ホテルは内装工事が入ったところで支払いが滞り、工事は中断。ホテルに客を迎え入れることなく、いま、その威容だけが私たちの目の前にある。


ホテル跡

ゴルフ場の広大な敷地の中にそびえ立つ完成目前の高層ホテル。15階建て、174室収容人員600人のホテルは、バブル期に進められたリゾート開発の「夢の跡」の象徴となった。

高層ホテルは、いつの頃か「バブルの塔」といわれるようになった。

奥の細道で松尾芭蕉は平泉で「夏草や兵どもが夢の跡」と詠んだ。そんな思いがよぎる光景だ。



「ナナトミ」は1983年(昭和58年)に設立された。飛島建設のOBが作った商社で、バブル時代の右肩上がりの波に乗って事業拡張。

やがて、バブル崩壊のダメージをまともに受けることになる。

1991年(平成3年)2966億円の負債を抱え、東京地裁に和議を申し立て、事実上倒産した。

ナナトミの多額の債務を抱えた飛島建設は1992年(平成4年)に受け皿会社として子会社の「いわきリゾートサービス」を設立、そこに資産や債務を譲渡して、債務処理と取り組むことになる。


いわきリゾートサービスによる清算手続きがめどがたった1993年(平成5年)、完成していたゴルフ場をオープンさせることになった。ホテルなどは未完成のままに、ゴルフ場が生き残った。

飛島建設の子会社「磐城グリーンヒルズ」が地位を引き継ぎ、「いわきグリーンヒルズカントリークラブ」の名で開場にこぎつけた。会員制ではなく、パブリックのコースとしてのスタートだった。


そして、現在の「ヘレナ国際カントリー倶楽部」になったのが2008年(平成20年)である。

協和コーポレーションのグループ会社がいわきグリーンヒルズカントリークラブを買収、「ヘレナ国際カントリー倶楽部」という名称に変え、会員制のクラブとして再スタートしたのである。

協和グループは環境問題と取り組んでいるため、広大な土地を「CO2削減の森」として、環境に配慮した総合リゾートを目指すとゴルフ場買収の意図をアピールした。そして、施設全体を「ヘレナ・インターナショナル・クラブ」として運営、。乗馬クラブも併設して営業をはじめた。日本では初めてのゴルフと乗馬の一体施設だ。


さて、挑戦した日は真夏ではあるが湿度が低いせいかラウンドしやすい印象。

まず、クラブハウスから、スタートホールまでの距離が長い。とりわけインコースは、カートに乗って到着するまで、道を間違えたのではないかと疑ってしまう距離だ。これも敷地が広いせいなのか。

ただ、クラブハウスは馬房の建物と一体化している。


クラブハウス

当初の計画では他にゴルフ専用のクラブハウスがもっと近くに計画されていたのではなかろうか、確かにスタートホールの近くには2階建てのガラス張りのハウスが見えた。ただ、使用された気配はない。


クラブハウス?

この日の巨匠は出足がややもたついた。いつもの勝負強さにやや欠ける流れになった。しかし、折り返しを過ぎるといつもの巨匠が戻ってきた。「ドライバーは見せるため、パットは銭のため」という割り切り、パットに集中、スコアをまとめるのだった。


巨匠

名人は、素晴らしいショットがあるが、ミスもでる。その落差に頭を悩ませる結果になった。名プレイヤーは「あまり考えすぎないこと、無駄な知識を排除すること、それがシングルへの道」と言っていた。しかし、その域に達するまでの道のりがあまりにも長い。


名人

結局この日の結論は「ゴルフとは”クルタノシイ”もの」であること。日本語に翻訳すると「楽しまなきゃゴルフじゃない、苦しまなきゃゴルフじゃない」ということだった。


それにしても、ラウンドの中に視界に入ってくる高層ホテル、バブル時代のはかない夢を思い起こさせる。

人気のない未完のホテルは今でもメンテナンスだけ行われているという。かなりの費用がかかるに違いない。ここに宿泊客の訪れる日が来るのだろうか、そんなことが頭をよぎるだけに広々とした緑の光景に一抹の寂寥感が漂っているように見えた。



余談である。

2011年3月11日、東日本大震災と原発事故が起きた。この時、仮の町構想が生まれた。仮の町とは、原発事故で長期間、避難しなければならない自治体が、ほかの自治体に間借りして町を作ることだ。

仮の町の候補地として、このゴルフ場が噂された。広大な面積に目をつけ、ここに3000戸の住宅を建設する想定であった。この話はいつしか立ち消えとなった。