珠玉のダニーボーイ | siennaのブログ 〜羽生君応援ブログ〜

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羽生結弦選手の現役時代をリアルタイムで体験できる幸運に心から感謝しつつ、彼のスケートのここが好きあそこが好きと書き連ね、ついでにフィギュアにも詳しくなろうと頑張る欧州住まいのブログ主です。

ダニーボーイ。

さて、何をどう書けば…?

 

曲良し

振り付け良し

衣装良し

スケート良し。

 

キース・ジャレット、デイヴィッド・ウィルソン、伊藤聡美に羽生結弦。

 

各界の天才たちが出会って溶け合い創られた、フィギュアスケート史上に燦然と輝く(べき)「夢の」プログラム、だと思います。

 

ただただうっとりと見入っていると、スケートの優雅さやメロディーの素朴さにだまされて、滑りもピアノもどれだけ高度な技術を駆使しているのか、その驚くべき複雑さをうっかり見落としてしまいそうです。

 

それにしても、ダニーボーイって、一体どんな曲なんだろう。

 

アイルランド民謡であること。

別名を「ロンドンデリーの歌」ということ。

「You Raise Me Up」の元歌であること。

切ない歌詞を持つこと。

 

この辺りはプログラムの初演以来すっかり周知されたし、なんなら源さんから羽生選手にリクエストがあった時にすでにイメージを膨らませていた人も多かったのではないでしょうか。

 

私もその一人でした。しかし、実際に披露された衣装と髪型はそんなイメージからとんでもなくかけ離れていました。

 

庶民の民謡ということでシンプルで地味なスタイリングを想像していたら、白く光輝く優雅な上下にたなびく布!そしてカッチリと固めたオルバ!

 

曲の背景に俄然興味が湧いたのは、そんなふうに虚をつかれたからです。

 

作曲家の名前は分かりません。元になったとおぼしきメロディーは、16世紀末〜17世紀初頭まで遡ることができるらしい。

 

1855年、街のフィドル弾きが弾くこの名もないメロディーを初めて採譜したのは、アイルランド伝統民謡の発掘保存活動をしていたジェーン・ロスという女性でした。その場所がロンドンデリー・カウンティー(現・北アイルランド)だったことから出版時に便宜上、「ロンドンデリーの歌」というタイトルが付けられたということです。

 

以来、さまざまな歌詞が付けられた中で、イングランド人の弁護士で作詞家のフレデリック・ウェザリー(アイルランド人ではないし、アイルランドを訪れたこともない)が作った「ダニーボーイ」もその一つでした。元々は違う曲の歌詞だったのを、人気が出なかったために手直しをして「ロンドンデリーの歌」に付け変えたということです。それが第一次世界大戦勃発の1年前のことでした。(ちなみにウェザリーは作詞作曲家として当時エンタメ界ではかなりのセレブだったとか。ベアトリクス・ポッターの初の挿絵が彼の詩集だったことも面白い。自身の葬儀には「ロンドンデリーの歌」が流されたそうです)

 

悲しきタイミングの妙と言いますか、この「ダニーボーイ」がブレークしたのは、第一次世界大戦がきっかけでした。大戦中、英国兵士の慰問にフランスを訪れたオペラ歌手エルシー・グリフィンがこの歌を歌い、それがホームシックの若い兵士たちの琴線に触れたのです。まもなく別の女性歌手を起用したレコードも発売されました。今も「ダニーボーイ」は第一次世界大戦の愛唱歌集的なアルバムには必ず含まれています。

 

歌詞の意味は昔からさまざまに解釈されてきました。息子を戦地に送り出した親の心情だ、いや、戦地に行ったのは恋人だ、いや、飢饉を逃れて移住を余儀なくされたアイルランド移民の歌だ…。

 

実はこうした受け取り方の自由が「ダニーボーイ」の魅力であり成功の要因の一つだとも言われています。なぜならば、一つの解釈に限定されなかったことでユニバーサルな普遍性を獲得したからです。

 

というわけで、ウェザリーが具体的にどんなストーリーを念頭に歌詞を作ったのかは分かっていません。なお、作詞をした1910年は、自分の息子を亡くした年でもあったとのこと…。

 

ともあれ、ウェザリーの「ダニーボーイ」とは別に羽生選手の「ダニーボーイ」を見てどんな情景が眼に浮かぶかと問われれば、自分の場合はやはり、戦地に送られた息子であり、戦場であり、故郷の花咲く緑の丘であり、懐かしい人々の顔、です。

 

第一次世界大戦当時の男性のようにきっちりなでつけたオルバ(ファンタジー・オン・アイスでは少し変わっていた)。

スタンドカラーが凛々しい制服(軍服?)を連想させる衣装。

それに、天を仰いだり天に手を伸ばしたりする仕草が多い振り付け。

 

原曲の受容史を知ってこうした仕草を見ると、どうしても悲惨な塹壕戦が繰り広げられた第一次世界大戦で塹壕の底から希望を掴もうとする青年兵士を脳裏に浮かべてしまいます。ファンタジー・オン・アイスでは、リンクが戦場であるかのように迷彩柄に染まっていました。振り付けにある、カクンと膝を折る動きも戦場でのできごと、負傷する場面なのかもしれないと思ったり…。

 

洋楽や映画、ドラマ、小説などで第一次大戦で傷ついた若者たちの描写に触れてきたせいか、自分はそんなふうに考えてしまうんですよね。

 

こうした個人的な解釈の正当化じゃないけれど、ほぼ日で羽生君はこう言ってくれています。

 

その人が持ってる背景や価値観で
全体の色も変わっていく。
逆に、そういうことができる余白がないと、
なんか納得するだけで終わっちゃうっていうか、
あ、こうだよね、はい、ってなっちゃう。

 

羽生結弦という人が演じてるときに
なんとなく見えてくる風景とかもたぶんあって、
同じ演技でも、それぞれに
まったく違った風景が存在している。
そういう表現の世界って、
すごくおもしろいなって思います。

 

それでも、本人の言葉にもあるようにこの作品の核となるテーマが「希望」であることに間違いはありません。

 

今回「ダニーボーイ」について調べる中でも、何度も「希望」という言葉に出会いました。

 

たとえばこの記事で知ったのですが、2013年にダニーボーイをテーマにドキュメンタリー映画が作られてたんですね。ミュージシャンはじめたくさんの人がダニーボーイと自分の関わりを語るといった内容らしく、面白そうです。

 

で、その監督を務めたジェームズ・メイコックという人が、この歌が喪失感や別れ、死すらもテーマにしながら気持ちを明るくしてくれるのは、去っていった人にもいつの日かまた会えるという希望を与えてくれるからだ、感情や経験など人間の根本の部分に触れるからこそ、これほどまでに大きな文化的影響を持つことができた、という内容の話をしています。

 

喪失の事実と再会への希望。そうですよね。何があっても、絶対にその希望は、ある。

 

…と、曲の背景だけでここまで書いてしまいましたが、肝心のプログラムの感想は?

 

それはもう羽生結弦というプロスケーターの芸術のエッセンスがこれでもか、と詰まったプログラムなわけで、1小節ごとにハイライトがあると言っても過言ではありません。だから語り尽くすことは難しい。こんな時に高山真さんがいてくれれば…と切実に思います(涙)。

 

私の考える彼のスケートのエッセンスは、ジャンプ前の細かなステップはもう言い尽くされた感がありますが

 

・無重力感

・慣性の否定

・鬼気迫るレベルの音楽表現(フレーズ・アクセント・変調・リズム・ダイナミクス等)

・秒単位で細かい演技力

・秒単位で隙のないラインの美しさ

・その他多数

 

等々。

 

ダニーボーイではこれらが遺憾なく発揮されているだけでなく、彼のスケートとピアノとの相性の良さを改めて感じました。

 

ピアノは打楽器なので、音は割とすぐに消えていく。その消えていく音の余韻を表現するセンスにとんでもなく秀でているんです。

 

キース・ジャレットのダニーボーイは、2002年の東京コンサート版はトランスクリプションが複数入手できるのですが、源さんに渡され、今回の音源にもなった1996年モデナ・コンサート版には残念なことにそれが無い。そしてこの二つの演奏は全然違うんですよね…(東京版は多分滑るの難しい)。仕方なく演技の流れをできる限り東京版の楽譜に書き込んでみましたが、いやもう、小節単位で情報量が多すぎて大変な作業でした!演技後の羽生君の滝汗も当然というものですよ。これほど精密なプログラムを滑ることのできるスケーターは他にいないと断言できます。

 

そしてそこが機械的で技術お披露目会的な消費にならない(ここで思い出す露女子…)のがまた素晴らしい。

 

エルビス・プレスリーは、個人的に気に入っていたダニーボーイについて「天使が書いたもの」と言って、自らの葬儀で演奏されるよう望んでいたそうです。

 

https://youtu.be/lWc5ZD-ugrU?si=Th03hl6sCNPy7vAW

 

天使と兵士。羽生選手のダニーボーイには、その両者が見えるような気がします。