国民栄誉賞おめでとう! | siennaのブログ 〜羽生君応援ブログ〜

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羽生結弦選手の現役時代をリアルタイムで体験できる幸運に心から感謝しつつ、彼のスケートのここが好きあそこが好きと書き連ね、ついでにフィギュアにも詳しくなろうと頑張る欧州住まいのブログ主です。

 ソチで羽生くんの応援を始めた当時は、まさか彼が国民栄誉賞を授与されるようなスケールの大物になるとは予想も想像もしていませんでした。

 

 日本で暮らした年月より海外暮らしがずっと長くなってしまった自分にとって、国民栄誉賞といえば、その創設のきっかけともなった王選手。植村直己さんや山下泰裕の受賞まではリアタイで体験したといった程度の知識しかありません。それでも国民的スターでなければ授与されないものだという認識はありました。世間の関心が多極化し、文化スポーツの分野で個人が長期かつ広範囲に渡り国民の文化生活に影響を与えることが難しくなった今、自分にとっては「日本人が何かに一斉に熱狂することのできた」時代、つまり昭和の香りのする賞でもあります。

 

 ウィキペディアによると、本賞の目的は「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があったものについて、その栄誉を讃えること」であり、表彰の対象は「内閣総理大臣が本表彰の目的に照らして表彰することを適当と認めるもの」。その他、「これまで功績を積み重ねてきた上に、さらに歴史を塗り替える、突き抜けるような功績をあげた」という「暗黙の了解」を満たしていることも必要だそう。

 

 これを読んでも分かる通り、授賞の基準はかなり曖昧。したがって、世間で確実視された人が取らなかったり、政治利用という批判があったりというのは、もうこの賞の宿命のようなもの。つまり反対も批判も容易というわけです。中でも最もお手軽なのは政権の人気取りという批判だと思いますが、これまでに国民栄誉賞で政権の支持率がアップしたという事実はないようです。1つ確実なのは、総理が誰かに授賞すると決めたらそれはほぼ動かない、ということらしい。今回は、安倍さんが羽生くんを見初めたということなのでしょうね。

 

 羽生くんの場合、年が若いことや、おそらくは男子フィギュアスケートという競技への偏見から反対意見がかしましかったよう。そういった反対意見を吐き出す舞台となったのは、ツイッターの他、なんと言ってもワイドショーだったのではないでしょうか。このワイドショーというフォーマット、内容的に非常に薄っぺらいのは周知の通り。様々な肩書きを持った人々が並び中途半端な知識で極端な意見を言っても検証も反論もされずお茶の間に垂れ流されてしまう。私の住む国にはこんな時間つぶしのような番組はないですね。討論番組ならばお互いにしっかりしたデータを仕入れ理論武装した上で容赦なく論破しあう形です。

 

 昨日、関西ローカルで流れた番組中、国民栄誉賞受賞の話題で、とある知識人が「是枝監督は文部(科学)大臣との電話を拒否した。そのように文化人の政治家に対し警戒する姿勢は正しい。政治家は(著名人との)ツーショが欲しくて国民栄誉賞を出す」というような意味のことを話していて、私は心底びっくりしました。カンヌ映画祭の金賞に輝いた是枝氏、なぜ彼でなく羽生くんに賞を、というようによく引き合いに出されていたようですが、なぜ「対話の拒否」が賞賛されるのか。政権に対し胸に一物あるならば、なおさら対話の機会を無駄にしない方が建設的ではないのか。「シカト」というのは対応としては子どもっぽい、そう思いました。もし映画界が公的補助を必要としているならば(しているはずです)、当局との対話の拒否は何をもたらすのでしょう。

 

 一方で、羽生くんの判断はとても賢明で大人でした。競技人生を支え続けてきた周囲への感謝、被災地や故郷への関心の推進、フィギュアというスポーツの社会的地位の向上、そういった諸目的を、この機会を最大限に利用して全国に知らしめたのです。もちろん、賞自体に対するリスペクトも、人間国宝がしつらえてくださったあの素晴らしい出で立ちや立派な態度で十二分に示しつつ。記念品の辞退には、おもねりのない確固たる意志を感じました。人の器に年齢は関係ありませんね。

 

 兎にも角にも、ファンとして心底誇らしく嬉しい国民栄誉賞受賞の1日でした。正直、これだけの感激を味わうとは自分でも思っていなかったくらいです。ありがとう、そしておめでとう!

 

 

 

…っかー!凛々しいっ!!

出典 https://www.yomiuri.co.jp/s/ims/yuzuruhanyu20180702/?seq=01