僕は一旦、終了です。 | 望月六郎的日記『中年勃起』

僕は一旦、終了です。

6月18日

 

雨。二日前、16日は晴天、暑かった。

 

12時、アンチョビ・舞茸のペペロンチーニを作って妻と食す。

上手くいきました。美味かった。

で、湯島のmusic bar『道』に向かう。

ここんとこ毎週の行事、中瀬古健とマンツーマンの稽古です。

 

1時40分着。この一週間、考えることは多々あった。

近所の図書館から借りてくる本も宗教色が濃くなっている。

僕は基本、信心を持っていないが、人様の信心を否定する気にはなれない。

 

俺は俺だから…みたいな開き直りもあるけど

やっぱりきちんと生きなきゃ、みたいな気持ちもある。

 

家族だったり、友人だったり、仲間だったり、

まあ、お天道様は裏切れない、って感じかな。

 

信心がある人は、自分を戒めて、律して、なんとか道を外れないように生きているんだと思う。

 

しかしそれが原因で、歪み合う場合もあるだろう。

対立する相手を諌めるつもりかもしれないが、行き過ぎて、傷つける。

場合によっては、殲滅する。

それも、神の御意志に従った結果なのだから、燃え上がって、焼き尽くし、ついには焼け野原になる。

 

日本が戦争に負けた時だって、きっとそんな気分が国中に充満していたからなんだろう。

 

太宰治の『駆け込み訴え』はユダの一人語り、ユダが愛して裏切るのはイエスだ。

その結果は歴史になって、ユダヤ人はキリスト教の仇になった。

 

僕も中瀬古も信者ではない。

きっと、太宰もそうだろうな、なんてったって心中という死を選んだんだから…、と思ってはみた。

 

それにしちゃあ、なんだってユダとイエスの物語なんだ、と改めて素朴に感じた。

 

今は大変便利な時代なんで『太宰治 キリスト教』でググるとたちまち文章が並んだ。

 

太宰は聖書持ってって、よく読んでいて、洗礼は受けない主義だが、

イエスを『愛という単一神』として捉えていたそうだ。

 

僕はこの一週間の想いを30分ほど中瀬古に語った。

 

信心のない僕らが、信心のある人にとっては、一大事である物語とどう立ち向かうべきか…

 

取り止めのない想いを、全部吐き出して、いよいよ残っているエピローグに取り掛かりました。

 

『駆け込み訴え』はユダの裏切りの物語です。

 

登場するイエスは、十字架を背負ってもいないし、磔刑にもあっていないし、復活もしていない。

ただの、立派な、若者です。

 

自分の未来を承知、理解、見通している『美しい人』で、決っして天主様という存在ではない。

神の御子かどうかは別にして、弱い人間です。

 

そのイエスを前に、ユダは怯えて、懊悩し、裏切り、狂って、開き直り、一個の個性として完成する。

 

一昨日片付けたのは僕曰く、この物語のエピローグ。

しかし、本来エピローグ…といえば後日談のような感じもあるが、この場合はまさに急転直下のエンディング。

ノリノリの状態が続き、いい調子にモロ上がった『ボレロ』が迎える、終末的な最期に違いない。

そんな風に僕は感じて、そのことを伝え、中瀬子と向かい合いました。

 

5時にミザンスが終わり、以降1時間半ほど、今までのおさらい、稽古の原点に戻って稽古終了。

 

この日は、ドガドガ出演者、『道』で働く三人衆の一人、佐々木健も合流しての飲みへとアメ横に繰り出した。

 

ここからは6月最終週に向かって、健ちゃんの踏ん張り、精進に掛かっている。

僕はそこで合流するわけです、まだ今回の舞台の出来は分かりません。

大手を振って宣伝を務めるのはまだ時期尚早かもしれません。

 

正直、大変な半月になるんだろうな、とは思います。

厳しい、難しい道を中瀬古健は選んだんだと思います。

 

僕は「完成させようと思わなくていいよ」と想いを伝えた。

「その代わり、この先『駆け込み訴え』をこの先10年続けるんだ」と訴えました。

 

このひと月で、それだけの相手ではあると、僕は確信したからです。

 

まだ気は早いけど、一人の青年の旅たちが始まるので、お見逃しなく。

 

そんなわけで僕は来週、稽古お休みです。

その代わり、『セクシー女優事変』シリーズ3回連続出演中の安田ユーシさんご紹介、

次回作『絶頂作戦』出演希望の若手女優さん二人のと面接があります。

実にいい話だなあ。

また一歩、世界が広がるぞ。ご報告します。

 

それじゃあ。