ダンス場当たり全部終了。 | 望月六郎的日記『中年勃起』

ダンス場当たり全部終了。

11月22日

 

昨日も五時半小屋入り。ほぼノンストップのまま10時30分退館した。

11時30帰宅。北朝鮮の弾道ロケット騒動を知りました。

僕の役割は基本見ているだけ、その後、なんか言うだけ、なのですが驚くほどアドレナリンは出てる、気がする。

当然すぐには寝付けない。そんな理由で一時半まで、速攻でお酒を飲み、就寝する。

しかし今回はまだ夜型人間に慣れていないため7時に起床しています。

目標としては9時ごろ起きたいと考えています。

 

昨日の作業は残りのダンス場当たりから始まった。

正直いい出来です。

踊りもいい。歌もいい。参加している演者の表情がいい。

何回も繰り返し見てたい気持ちになります。演者は大変だろうけど。

 

公演中僕は基本一番後ろでお芝居見ます。当然ダンスも同じです。

しかし、昨日は思わず最前列で見てしまう時もありました。

ただのすけべおやじ、かもしれませんが、引き寄せられるようにして…つまりどうしても前で見たかったんです。

 

ドガドガは全席自由席なので、早いもん順に席が埋まる。

勿論最前列が一番人気で、コアなファン、早い人は1時間前から並んでくれます。その気持ち、僕も良く分かります。

森林浴じゃないけど、若いエネルギーを浴びた結果、何かしらの効果が働いて、精気や、もしかしたら運気も上がりそうです。

ドガ浴、一度味わってください。

 

どの曲も好きだが、今回は大岸明日香が歌う新曲、「スクリーム マシンズ ブルース」に一番力入ったような気がします。

まあ、ただ見てる僕が力入れても意味ないっちゃ意味ないけど、見てるだけでも力が入ってしまう。なんのこっちゃ。

デモテープ(五十嵐氏の仮歌が入ったカラオケ)聞いて、こいつはいいなあ、と思った。

そこで、五十嵐氏にコーラスをリクエストした。

黒人女性のバリバリのシンガーがコーラスするザ ローリングストーンズのライヴ=ロックンロールサーカスをイメージしたのです。

早々にナイスなメロディラインが送られてきた。

僕は石井仁美と池田楓に「コーラスだからって遠慮せずにガンガン歌ってくれ」とリクエストした。

その結果はグー…本当にカッコいいです。

ボーカルの明日香も頑張っているが、今のところはコーラス隊の優勢勝ちかな。

歌い込んで引き分けに持ち込もう。というかウィンウィンとなれば大成功ですね。

五十嵐氏は昨日も立ち会ってくれ、ご機嫌な感じで帰られた。

僕のブログ読んでくれてるのか、初めて会った日=歌舞伎町のライヴの話で盛り上がった。

今回のストーリーは全部そこから始まったんだな、って気持ちになりました。

野島健太郎に教えてもらった喜びをこうして継続できる幸運に感謝です。

 

ダンス場当たり終了後、少し休憩とって貰って、9時からお芝居の場当たりが始まった。

ドガドガの芝居は転換も多いし、音も多い。その上超速攻の衣装早替えも多い。

その為、場当たり結局全編を本番と同じスケールで進行しなければならない。

つまりドガドガの場当たりは超大変みたいです。(芝居を48歳から始めたため、よそのケースはほとんど知らないです)

大変なんだけど、その分本番仕様なので見ていて楽しい。

ダメ出ししたり、改良したり…もちろん僕のお仕事もある。大変なのには違いは無いのかな。

けど、仕上がっていく舞台を眼前で味わうのですから非常ににワクワクする、特別な経験です。

 

今日も五時半小屋入りで、6時から10時半まで残った場当たり作業が続くわけです。

二幕目、クライマックスの30分はジェットコースター状態なので、役者さんもテクニカルも間違いなく大変でしょう。

でも僕は見てるだけ。楽しみなだけ。最高の時間が過ごせそうです。

 

昨日のブログで、歌舞伎のTiktokの話を書きました。

スマホ、というか動画投稿と言うか、SNSの功罪について触れた。

いろいろ発信できるのは悪い事じゃない。けどリスクは当然ある。

リスクが大きくなり過ぎるとクライシスになっちまうのかもしれない。きっと今がその瀬戸際なんだろう。

 

もう一つ見ていて辛かったのがマンガ、と言うかアニメ画の影響力だった。

tiktokに自分を晒している男女の特徴が整形を含む見たくれなのだが、その方向性は明らかにアニメのキャラクターだった。

コスプレはきっとお祭りなんだろう。ある面、舞台と似てる。ハレの日を存分に味わうためのギミックだ。

ハローウィンなんかもこんな気分で、日常からジャンプするために必要な楽しみなんだろう。

 

しかし、歌舞伎町のホスト、ホスト狂いの皆さんは、連日、つまり彼らの日常として虚構の世界に生きてるように感じた。

綺麗なのは綺麗なのかもしれない。まさにツルツルテカテカ。しかし勿論、気持ち悪くもある。

危ない、というか狂気を孕んでる。キワキワだ。

あそこまで、自分を改造しちゃうと、自分っていう存在はどこにいっちゃうんだろう、と心配になる。

 

自分が嫌いなんだろうか、そうなんだろうな、で、今は満足しているのだろうか、満足なんてできないから止まらない。

そんな風にして、極めて常識的で平凡な連想が続く。

 

僕のパソコン開いて、サッカー関係のSNS見るとエロいアニメが溢れ出す。

可愛い、というかあどけない、幼い表情のキャラクター達が、まさに裏腹な痴態を繰り広げる、淫らな絵画が動いてる。

僕はもう爺さんだけど、若い子はどんな気分で見ているのかと思ってしまう。

 

表現の自由は大事でしょう。でも常識っていう概念も大切じゃないかな、と感じます。

掴むべきリスクを超えて崩壊=クライシスがやって来るなら、知恵を働かせて基準を作る必要があるように、感じてしまいます。

マンガはある意味ファンタジーです。だから性的なファンタジーとも結び付きやすい。

画力と想像力があるならなんでも可能な世界でしょう。どんなものでも描けちゃう。

でもそれでいいのだろうか?と思います

 

若年層を妄想した性表現が自由だから、日本はそれ的犯罪が他国と比較して少ない…

つまり性欲をどこかで解消できているから、平静が保たれているんだ、的発言を目にする時がある。

もしかしたら犯罪に関してはあるいはそういう効果があるかもしれない。

しかし精神衛生というか生活が全般的にジワジワ蝕まれてしまってはいないだろうか、と心配になります。

 

お前のやってることはどうなんだ?と言われもするだろうし、自問もしています。

大丈夫。僕たちは大丈夫。志村けんじゃないが「大丈夫だあ」って気持ちで生きてます。

 

さあ、明日はいよいよゲネプロです。後二日で初日。

『セクシー女優事変・代償戦争リフレ&リスカ』篇は勿論性的な世界と向かい合った作品ですが、絶対大丈夫です。

それじゃあ。