と言う訳でわたしの中では急遽決まった帝王切開日。

 その日の晩、妹にメールをしてみた。びっくりされたのかメールがすぐにかえって来た。いつもは音信普通の癖に。何となくほっとしたのでオットと実母と姑さんにも連絡をした。励まされているが今ひとつ実感がわかない。


 元々腹が出ていたせいか妊娠期間が短かったからか、そんなにおなかが出ているように感じなくて、胎動も少なかった為妊婦だと言う実感は無かった。つわりもなかったし。ただ腰がやたら痛く、頻尿だったけど。


 オットは仕事で遠方なので身の回りの世話は実母に頼んだ。お姑さんも見舞いに来てくれた。うれしかったけれどそもそも病人だと言う自覚が無いので不思議な気分だった。


 二日後、帝王切開のための準備が始まる。


 朝、うれしそうに浣腸を連発する看護師さんに起こされて色々と準備。下の毛を剃られたり点滴されたり、モニターで確認したり。


 オットが車をすっとばしてかけつけてきてくれた。実母と姑さんも駆けつけてくれてしばらく4人で会話していた。いつの間にか実母と姑さんが病室を後にして、オットと2人きりになった。


 その時に初めて泣いた。

 結構平気なつもりだったけど、あーやっぱり色々溜まっていたんだろう。

「大丈夫、大丈夫」

 と頭をナデナデしてくれた。


 私の場合、オットがそばにいると甘えてしまうので、逆に入院期間中メソメソしてウザかっただろうと思われる。だからではないが、一心不乱に写経したりして余り考えないようにしていたのかもしれない。


 手術の時間は来た。わたしはベッドごと手術室に運ばれていった。

 手術自体は普通の帝王切開と同じ。ただ28週と言うことで子宮がまだ一般的な妊婦さんと比べて伸びが悪く薄くなっていない為、その分手間取ることもある。切開の傷は縦で子宮は横で行く、との事。ちなみにわたしは手術着を前後逆に着ていて後で直された。


 手術開始から終わるまでは約1時間。最初の20分くらいは準備。それから10分くらいで赤ちゃんが出てきて、残りはおなかを閉じる為の時間。

 病室内を見回すと、人数がかなりいた。

 産婦人科の先生が2人。主治医と車椅子に乗った先生・・・車椅子っ?

 後で聞いたら当初、切ってくれる先生が腰痛でぶっ倒れたらしい。で、産科2Fなんだけど、3Fに形成外科があってそこに入院していて、入院中に無理やり車椅子で手術に立ち会ったらしい・・・。

 あとは産科の看護師とオペ看とか、小児科の先生とナース、麻酔科の先生、総勢10名以上。なんか超VIP待遇だなぁ。


 緊張を紛らわす為、麻酔科の先生にずっとしゃべってて貰っていた。

 どういう話の流れか判らんが、何故か「このミステリーは凄い大賞」の犯人をネタバレされた。何がどうなって手術中にそんな話になったのか、わたしも知りたい。緊張がほぐれたことしか覚えてないから。


 話している最中に「子供がでるよー」と声が聞こえた。


 次の瞬間。

「ほわぁほわぁほわぁほわぁ」と4回。

 赤ちゃんが泣いた。


 声を聞いた瞬間、わたしの涙腺が崩壊。

 小児科の先生から言われた事は、おそらく産声は上げないと思われる。顔も見られないと思ってくださいとのこと。だが、子供はしっかりと泣いてくれた。「元気だねぇ」「元気な赤ちゃんだ」と先生方が話していた。


「いける?」「いける!」と声がした。

「顔見えるって」と小児科の先生が赤ちゃんの顔を見せに来てくれた。ほんの5秒程度。だが、赤ちゃんはハッキリと目を開けてわたしをじっと見ていた。ような気がした。


 号泣しながら「生まれてきてくれてありがとう」「先生方ありがとう」と言いまくっていた。その間看護師さんがヨシヨシとしてくれていた。一方できわめて冷静に産婦人科の先生が腹を閉じていた。


 あー産まれたんだなぁ。



 その頃廊下では、オットが屈伸運動をしていたらしい。実母、姑がツッコミを入れまくっていた。

 ただ、赤ちゃんが廊下を通り過ぎてからわたしが出てくるまでエラく長い時間がかかったので何かあったのかは若干心配していたらしいが。

 そんな訳でその時は年末。そして病院に呼び出されてから転院を薦められた次の日には実家に帰る予定だった。実家帰宅後、私は実家の近所の一番大きな総合病院に向かった。国立病院なので救急車も入っていくような病院だ。ここなら大丈夫だろう・・・。



 四時間後・・・。



「あー、入院して絶対安静ですね。じゃ受付行って手続きしてきてください。あさってからでいいですね」



 Σ(゚Д゚)


 Σ(゚д゚lll)


 ((;゚Д゚)ガクガクブルブル



 えー、わたしそんなに具合悪いの?見た目ものすごく健康なんですけど。


 私の状況は一言で言えば、子宮内発達遅延、羊水過少だった。その時点で27週なのだが、赤子が24週程度の大きさしかなかった。加えて羊水も何故かほとんどなく、赤子の腎臓機能の低下が疑われていた。

 おそらく持って二週間程度。その間に赤子を外に出すことを考えたほうがいいとの事。


 今ひとつピンと来ていなかった。全く実感が無かったから。赤ちゃんの推定体重が700グラム前後だと告げられた。何一つ理解することもできず病院から入院のしおりを貰って帰っても何も考えることができなかった。


「カーチャン、あさってから入院だってよ。で入院に必要な道具があるんだけどある?オハシとかマグカップとかスリッパとか」

「あー、使えるのは全部捨てたわ、ほな買いにいこか」

 淡々としながら近所のニトリに必要なお泊りグッズをそろえに行った。


 二日後、大きなかばんをもって再び病院に向かった。オカンはその日近所のオバちゃんとバス旅行に出かけた。

 病院の先生からは、やはり危険な状況は変わらないこと、赤子はおそらく30週まで持たないと思われるので出す必要があるが、国立病院のNICUは32週からの受付なので、この病院での出産はできないとの事。


 えーわたし、野良妊婦?と戸惑った。小一時間ほど待たされる。受け入れ先の病院を探してもらう為だ。今はきちんと病院に通えば地域連携ができているので受け入れ先がないということは無いとの事。わたしは大きな荷物を産婦人科に預け病院の喫茶店で抹茶オレを飲みながらボケーと椅子に座っていた。


 それから一時間ほどが経過して「受け入れ先が見つかりました」と告げられる。名前を聞いたことの無い病院だった。住所と連絡先と紹介状と大きな荷物を持ってその病院に向かう。道中タクシーの運ちゃんからはその病院が非常に評判の良い病院であるから大丈夫だと励まされた。


 病院に着いた途端わたしの主治医になる先生からもう一度詳細に、徹底的に一時間くらいかけて調べられた。三人がかりで。おそらく二週間以内に帝王切開することになる、との事だったので、そのための血液検査やら心電図やらレントゲンやらを受けた。

 この間何も考えてなかったと思う。年明けだったので、オットは既に仕事の為家に帰っているし、オカンは旅行だし、弟妹は音信不通だし、友達にこんなこと連絡できないし、ママ友は絶対無理だし、あーそういえば友達に年賀状書いてないや、どうしよう、そんなことばかり考えていた。


 結局案内された4人部屋でパジャマに着替えて明日からのスケジュールを説明されて晩御飯食べて消灯の時間になった時、初めて状況を考えた。


 でも全然赤ちゃんを産むこととかを考えられなくて、泣くことも無くて、ぼんやりとしていたような気がした。


 推理小説を20冊くらい病室に持ち込んだけれど全然頭に入ってこなかった。モバゲーも手につかなかった。DSとか持ち込んでみたけれど、挿してたソフトが「お料理大全」だったので意味が無かった。やってたことと言えばひたすら「写経」だった・・・。ボールペンで書いて味わう日本古典と言う本を持ち込んでひたすら書いて書いて書きまくった。カリカリカリカリカリカリ。


 それから朝8時くらいに先生の診察とモニターチェック、夕方にモニターチェック、トイレと風呂以外は絶対安静の管理入院が行われていった。


 で、入院してから6日目。


「じゃああさって帝王切開しましょうか」

 と予定日が決まった。

 結果産婦人科を6軒はしごしたわたし。



 1軒目。


 家の近所にあった産婦人科。最初は生理不順だった。だが、どうも先生との相性がよくないらしく、また男性医師ということでオットが難色を示していた。半年経っても妊娠せず通うのを何となくやめた。


 2軒目。


 女医さんだったので行って見た。結論から言うとココに通って割りとすぐ妊娠。相性はよかった。待遇も良かった。切迫流産で入院したが、アメニティがそろいにそろっててホテル並だった。引っ越さなければココで産みたかった。


 3軒目。


 どこに転勤になるか判らなかったので実家近くの病院で分娩予約をしてきた。結果大きな病院に搬送されたので余り行った意味がなかったwww


 4軒目。


 引越し後の家の近所にある病院。ココの町の3分の2はこの病院で出産するらしく、母親学校に行ったらココの病院で顔を合わせた人ばかりだった。


 5軒目。


 大きな病院への転院を進められたので、実家近くの一番大きな国立病院に行ってみた。小児科が32週からの受付で、私はその時点で27週だったので受け入れ不可だった。行列が凄かった。


 6件目。


 山のふもとだった。搬送されたのでココドコー状態。でも結果この病院で娘さんは産まれた。全く知らなかった病院だが、NICUで有名な病院だった。ココで生まれて本当に良かった。



 そんな訳で、4軒目の病院に通いだした時、全く知り合いのいない地域の為、せめてだれか知り合いを作ろうと思って通いだしたマタニティビクス。年内最後のビクスを終えて、じゃあまた来年ねー。と教室の妊婦さま方とお話をしていたそんなある日。


 夕方カキフライ(忘れられねぇ)を上げている最中、病院の院長先生から突然携帯電話にじきじきに連絡があった。

「あーくまこさん。なんかこのまま年越すの心配なんで、ちょっと 今 か ら 病院これますか?」


Σ(゚Д゚;≡;゚д゚) 


 その時オットは休みだったので家にいた。

「じゃあ、あと20分位で行きます」

 と返事して、衣をつけたばかりのカキフライを冷蔵庫にしまって車に乗った。病院までは一本道。


 そんな訳で夜の産婦人科。院長先生に向かえ入れられてなんやら大掛かりにモニターをつけられる。


 訳のわからないまま1時間後。


「結論から言うと、ここでは対応不可です。大きな病院にいってください」


 この後怒涛の出産を迎えることとなる・・・。