すずめの戸締まり

 

〔勝手に評価 = ★★★☆ = 強引さがちょっと残念〕

 

2022年/日本映画/121分/監督・原作・脚本:新海誠/製作:川口典孝/企画・プロデュース:川村元気/製作統括:徳永智広/エグゼクティブプロデューサー:古澤佳寛/プロデューサー:岡村和佳奈、伊藤絹恵/声の出演:原菜乃華、松村北斗、深津絵里、染谷将太、伊藤沙莉、花瀬琴音、花澤香菜、神木隆之介、松本白鸚 ほか

 

【気ままに感想】

 

率直に3.11(東日本大震災)について描いた作品…という点で好意を感じます。

実際には、直に震災を経験し、家族や友人など大切な人を失った人に対してどれだけの癒しになったのかは分かりませんが(むしろ、実際の体験者ではない者が語ることは反発を生むことにしかならないかもしれませんが)、それでも同じ時代を生きた者として第三者かもしれないけれど、実際に感じたり思ったりしたことを、教訓も交えて後世に伝えていくことは重要なことではないか…と思います。

3.11は、地震や津波の恐ろしさだけでなく、併せて起きた原発事故によるエネルギー政策の大転換、それだけでなく、日本中の人々が支援に携わったり、あるいは、エネルギー政策などの影響を受けて、経済面でも、少なからずそれまでの生活とは異なる体験をしてきたことは間違いがありません。当時関東に住んでいた方は、思いもよらない「帰宅難民」の経験もしたでしょう。

そんな、3.11の記憶と伝承は、色々な形でこれからの日本人が語る物語において触れられていくのだと思います。

本作以前においても、新海誠監督の出世作『君の名は。(2016)』も、3.11の影響を受けた作品でした。本人も語っているように、「当時は東日本大震災そのものを映画の中で扱うことは非常に難しいのではないかという感覚」が、クリエイタ側にも観客の側にもあって、そのことがメタファのような形で『君の名は。』に反映されたのでした。

ただ、おそらくそのように微妙に避けた形で3.11を語り続けることは、少なくともすでに12年近く経った今では決してよいことではないような気もします。

本作は、お話自体は、被災者の癒しをファンタジーによって描く…という、ちょっとタブーな面にも踏み込んでいるのですが、それを変にオブラートに包んだり、茶化したりせずに、“直球勝負”で挑んだ新海監督(と声優の皆さん)の真摯な姿勢には敬意を覚えます。

少なくとも、物語の終わり近くに、主人公が12年ぶりに東北の生まれ故郷に戻ってからの場面は感動的でありました。

その点で、一見の価値がある作品ではないかと思います。

 

もっとも、全体的には、物語として完成されたクオリティの作品か?

と、問われると、必ずしもそうは言えないところが少し残念なところです。

ラストの一番盛り上がるはずの“ビックリ謎解き”は、すっかり『ハリー・ポッター』シリーズのある作品のオチと全く同じで、確かに感動的にしつらえているので、『ハリー・ポッター』の“ある作品のオチ”の扱いよりも数段良い出来になってはいますが、やっぱりパクリはパクリなので、ちょっと肩透かしに感じてしまう。

“ビックリ謎解き”の仕掛けが利いていた『君の名は。』にはとても及ばない作品になってしまいました。

何より残念なのは、設定がご都合主義になってしまっていたこと、でしょう。

世の中には、廃墟的になってしまった土地、場所、施設はそれなりにあると思うのですが、本作の舞台は中途半端に架空の場所になっています。

本作は、宮崎→愛媛→兵庫→東京→東北と、日本を縦断する形で舞台を転々とするのですが、その場所のセレクトが、地震の震源地…ということであるならば、ちょっとヤバいかもしれませんが、やっぱり宮崎の日南市…というよりも熊本の方がリアリティある(もっとも、熊本からはフェリーで四国や本州には気軽に行けないでしょうが)。

地震と廃墟の組み合わせは現実のものに即した方がより切実に感じるお話になったと思うのですが、その点は曖昧です(現実には廃墟でない場所も選ばれている)。兵庫…というか神戸が登場するのであれば、もっと直球勝負であった方が真摯であったような気がします。

舞台だけでなく、基本的な設定も、何だかフワフワしたものになってしまいました。

物語の発端は、たまたま普通の人には見えないはずの“ミミズ”を見ることができる特殊能力を持つ鈴芽が住んでいる場所(宮崎県日南市)に、たまたま地震の震源=後ろ戸があって、たまたまそこに「閉じ師」の草太がやってくる(草太がやってくる時点では、鈴芽はまだ要石を抜いていないので、何等平和な状況であったはずなのに…)。また、これはお約束とはいえ、映画開始早々に鈴芽と草太は出会うのですが、“道ですれ違って一目ぼれ”…廊下の角でこっつんこ、よりはマシ?ですが、出会いに物語がないのはかなり物足りない。

この出会いのシーンのタイミングは「そりゃあ、いくらなんでも都合がよすぎる」

出だしがノレないのは、本作の欠点になっています。

また地震の正体が地中の黄泉の世界に住む“ミミズ”が“後ろ戸”から出て来るため、とか、“ミミズ”が出てこないように置かれている“要石”が「ネコ型」で、日本には2体あって、1体が東京、もう1体が宮崎…なんで??

「閉じ師」という家業についての説明も曖昧で、少なくともこの設定のいずれかに「それらしい」史実なり伝承なりがあればいいのですが…そんなものもなさそう。

全てが、新海監督が勝手に考えた設定なので…いまいちビックリ感がない。

こういう“設定”の部分には、ちゃんとした?歴史家や民族文化の専門家などのサポートがあって、「さもありなん」と思わせる仕込みがあるか、ないかで…随分と面白味も変わってくるものです。

(おそらく)ある程度は大きな予算を使えるようになってきた新海監督でしょうから、こういう“設定”のようなところにちゃんとリソース(専門家のアイデア等)を活用すれば、『君の名は。』を超える作品になったのではないか???

同じ“地震”を題材とする名作、『日本沈没』や『帝都物語』(古!)には、及ばない作品になってしまいました。

次回作はぜひ!!

 

それからアニメーション作品において語るべきは、ビジュアルのクオリティについて触れない訳にはいかないと思うのですが、日本のアニメーションって、いったいどこに行くのだろうかな~と、ぼんやりと考えながら観ておりました。

CGによって、まるで実写のようにビジュアルのリアリティを上げながら、キャラクタを“マンガチック”にすることで実写・CGとの差別化を図ろうとする、海外のアニメーションの流れに対して、コンピュータのお力は多大に借りながら、あくまでもセル画っぽさを後生大事にしていく日本の「アニメ」。

本作においても、車や電車がガタゴトと走るシーンや、キャラクタが何かを全力で駆けながら追いかけるシーン、ミミズや建物を駆け上るシーン…などを観ていると、宮崎駿や大塚康夫が確立した?ある意味、日本アニメ独特の“タメ”というか、現実の動きとは異なるけれど、2次元のビジュアルの中ではよりリアルに見えるように、錯覚を呼び起こすというか、行間を読ませるというか、そんな動きがそこここにキチンと継承されていて、「やっぱり日本のアニメは頑固だな~」とあらためて感じました。

特に、新海監督は「お空キラキラ」好き(&下から見上げた「地べた角度」が好き)、が今回も炸裂していて、リアルなだけではないアニメ独特のビジュアル、というのもしばらくは生き残っていくのだろうな、と確認もしたような次第です。

アニメーション(お絵描きしたもの)でなければ表現できなかったビジュアルが溢れんばかりになってきた今日において、「アニメ」という“分野”の生きざまは、どのようになっていくのか?それともこのまま過去の遺産にしがみついて「ガラパゴス化」していくのか??あらためて疑問に思いました。

 

また、最後に述べたくなるのは、本作の音楽。

1973年生まれの新海誠監督が、80年代の日本歌謡曲の懐メロをセレクトするのはどうもそぐわない。まあ、歌の好みは人それぞれでしょうが、商業作品なのですから、ここで80年代、はないのでは?

ここでも監督としての“趣味”を押し付けた感が出てきてしまっていますが、自らをイケメン大学生に見立ててティーンとアラフォー女子に趣味音楽を聴かせるシーンは、やっぱりサメる。女子たちも全く音楽に興味を示さない…というのは、自虐ギャグでしょうが、そんなに面映ゆいのであればわざわざ趣味を押し付けなくてもよかったのに。

こういうつまらないところでこだわるところも、新海監督というか日本のアニメが未だにジブリ症候群に侵されている…ということでしょうね。

この点からの脱却も必要かも(新海監督に限らず)。

 

★★★★★ 完璧!!生涯のベスト作品

★★★★  傑作!こいつは凄い

★★★   まあ楽しめました

★★    ヒマだけは潰せたネ

★     失敗した…時間を無駄にした

 

☆は0.5