第3部 パリ、毒薬 / 第14節 依頼者たち(4) | アルプスの谷 1641

アルプスの谷 1641

1641年、マレドという街で何が起こり、その事件に関係した人々が、その後、どのような運命を辿ったのか。-その記録

 

 

第3部完成版の一部公開は今回で

 

一旦、終わりにさせていただきます。

 

来週月曜から、第4部完成版の一部公開

 

を開始します。    

 


  マリアンヌのことはサン・モーリス侯爵から

ラ・レニーにまですぐに伝わった。マリアンヌ

の話をするに当たっては、彼女に乱暴な真似は

しない、審問では決して拷問に掛けないことが

絶対の条件だった。私が交換条件など言える立

場ではないのだが、条件を飲まなければ死んで

も喋らない覚悟で話を切り出すと、意外にもあ

っさり要求を飲んでくれた。宮廷の貴族たちが

裁判に掛けられるのに比べれば、マリアンヌの

ことなどまるで取るに足らないような出来事の

ように思えるが、内心の驚きを隠しきれない二

人の様子が、マリアンヌを取り巻く事情の異常

さを物語っている。前任者を名乗った男の「お

前はただの餌なんだよ」という言葉が今更のよ

うに思い出された。

  
  マリアンヌが拘束されたその日、厚い雲のせ

いで街路の敷石は寒々とした鈍色に光っていた。


  現場を見届けるのは辛かったが、乱暴な真似

はしないという約束が果たされることを自分の

目で確かめなければ気が済まなかった。サン・

モーリス侯爵が馬車を出してくれて、私に同行

してきたのが驚きだった。私と侯爵は宿の近く

に馬車を停めて事の成り行きを見守ることにし

た。そうは言っても、馬車の窓から顔を出す勇

気はとても無かった。

  役人が三人、宿の中に入っていった。少し間

を置いて、作りの悪い建物の中からマリアンヌ

の叫び声が聞こえてきた。早朝のただならぬ騒

ぎに、人々が窓から顔を出す。結局、最後は抵

抗するマリアンヌを男三人で外に引きずり出す

ことになった。彼女は大人しく官憲に従うだろ

うと思っていただけに、それは衝撃的な光景だ

った。「放して!どうして、私は何も悪いこと

はしていないのに!」と泣き叫ぶマリアンヌに

「話を聞きたいだけだ。大人しくしろ」となだ

めすかす官憲の声が重なって響いてきた。

  やがて両脇を抱えられるように外に現れたマ

リアンヌは護送馬車に乗せられる瞬間、私たち

の乗った馬車を見付けたのだろう、あらん限り

の憎しみをその声に込めて叫んだ。

「そこにいるんでしょう、分かっているわ

  私を裏切ったのね!

  どうして私にこんなことを。

  貴方のことを信じていたのに!」

  短刀で胸を突き刺すような言葉に、私は外を

見るのはおろか顔を上げることさえできなかっ

た。

「貴方に私の何が分かるのよ!」

  マリアンヌの最後の言葉を残し、護送馬車が

走り去った。

  侯爵は逮捕劇を見るでもなく、向かいの席に

座って黙って反対側の窓から外を眺めていたが、

再び早朝の静けさが戻ると、ぽつりと言った。

「本当にこれで良かったのかね?」

  私は頷いた。

「彼女を救う道はこれしかないんです」


  マリアンヌの審問にはラ・レニーが直接当た

った。ラ・レニーが重大な関心を寄せているこ

とは明白だった。

  官憲にマリアンヌを拘束させるという自分の

判断は間違っていたのだろうか。マリアンヌは

最後には火刑台送りになるのではないか。自問

自答を繰り返している内に一週間が過ぎていっ

た。

  侯爵に呼び出された場所は、ラ・レニーの屋

敷だった。書斎に通された自分が目にしたもの

は壁を覆い尽くす膨大な書物だった。ラ・レニ

ーが本の蒐集家だとは知っていたが、改めてそ

の量に息を飲んだ。部屋の中央に置かれた机で

は、サン・モーリス侯爵が熱心に書類に目を通

している。ラ・レニーは窓の傍に立って外を眺

めていた。

  私の姿を見て、最初に口を開いたのはラ・レ

ニーだった。

「急に呼び出してすまなかった。今日、時間は

あるかね」

「ええ」と答えると、「そうか」とラ・レニー

は頷いた。

「君にも聞きたいことが山ほどあるのでね」

  そんな会話にも耳を貸さず、文書から目を上

げようともしない侯爵に、私は尋ねずにはいら

れなかった。

「侯爵、それは何ですか?」

「マリアンヌの供述書だ」答えたのはラ・レニ

ーだった。「シャンブル・アルダントの審問記

録は誰にも見せることはできない。しかし、今

回は特別だ。陛下には事情を話して御理解いた

だいている」

「君にはこれを読む権利があるからな」

  そう言って侯爵は書類の束を私に差し出した。