第3部 パリ、毒薬 / 第3節 ブランヴィリエ侯爵夫人(2) | アルプスの谷 1641

アルプスの谷 1641

1641年、マレドという街で何が起こり、その事件に関係した人々が、その後、どのような運命を辿ったのか。-その記録

 

 


  事件の最初の逮捕者はサント・クロワの従僕

で、マリーの弟二人を毒殺した実行犯、ラ・シ

ョセであった。男は容易に口を割らなかったが、

「長靴の刑」という拷問に掛けられ、全てを告

白した。「長靴の刑」とは、両足をそれぞれ二

枚の厚い板に挟んで、きつく縛り上げた上で、

内側二枚の板の間に楔(くさび)を打ち込むとい

うものだ。

  一六七七年三月二四日。ラ・ショセは手足を

叩き折られ、車輪に縛り付けられて息が絶える

まで晒しものにされた。

  マリーは犯行が露見するや否や国外に脱出、

逃げ回った末にリエージュで逮捕された。逮捕

後、マリーはコップを噛み砕いて飲み込むなど

して、何度も自殺を図ったが、いずれも未遂に

終わっている。三度目の自殺では、おぞましい

方法が使われた。棒を自分の体内に突き刺した

のである。どこの穴から入れたのかについては、

申し訳ないが説明を控えさせてほしい。

  侯爵夫人という肩書きを持つマリーの裁判は

困難を極めた。マリーは一貫して罪を認めず、

終始冷静で顔色ひとつ変えることは無かった。

愛人の一人ブリアンクールは証言台で、マリー

の毒殺された弟たちのことを語りながら涙を流

したが、マリーは「人前で涙を見せるとは何と

見苦しい。お前の腐った根性がそのような振る

舞いをさせるのだ」と罵倒したという。

  私がこの事件のことを長々と話したのにはわ

けがある。この事件を通して、パリの裏の顔が

浮かび上がってきたのだ。パリには数百人とい

う規模で、祈祷師、錬金術師、占星術師が存在

し、毒蜘蛛の巣さながらに網を張っていること

が明らかになったのだ。そこでは、中絶、予言、

人身売買、媚薬や惚れ薬の調合など、あらゆる

怪しげな行為が行われていた。そして、邪魔な

夫や妻、用の無くなった愛人、厄介な親類、相

続問題など、客からの相談を解決するのに最も

効果的で確実な方法は、しばしば毒薬だったの

だ。しかし、本当の問題はそこではない。本当

の問題は、こうした影の集団に莫大な富をもた

らした人々の存在、すなわち、自分の欲望を満

たすためならば、殺人はおろか、魂を悪魔に売

り渡すことさえもためらわない人々が無数に存

在し、その中には、上流階級の人士(じんし)は

勿論、国王ルイ十四世と直接関わる者さえも含

まれていた。パリの司祭はこう言って嘆いた。

「最近の告解は、誰かが誰かを毒殺したとか、

そんな話ばっかりだ」

  話がこれだけなら、それはフランスの問題で

あって、サヴォイアの人間である私がパリにま

で来る理由にはならない。しかし、この問題は

異様な広がりを見せた。

  一六七五年六月十二日。トリノでサヴォイア

公カルロ・エマヌエーレⅡ世が逝去された。体

の不調を訴えてからわずか二日後、四十才とい

う若さの死だった。表向きは自然死とされてい

るが、当初から毒殺されたのではないかという

噂が絶えなかった。この噂には根拠が無いわけ

ではない。サヴォイア公が逝去された時、トリ

ノにパリからやってきた毒殺団の一味がいたこ

とが明らかになっている。彼らは何のためにト

リノに滞在していたのか、何者かの委託を受け

て精妙な毒薬を供給したのではないのか、臆測

は臆測を呼び、秘密裏に真相の解明が求められ

るようになった。
  
  ヨーロッパの覇者となったフランス。

  何者も抗うことのできない絶対王権を手にし

たルイ十四世。

  その栄光の裏で何が起こりつつあるのか。私

の使命はその真実を探り出すことにあった。し

かし、その時の私には分からなかった。自分が

どれほどの危険に足を踏み入れたのか、ブラン

ヴィリエ侯爵夫人の事件がこれから起こること

の予告でしかなかったことを。
  
  マリーには死刑の判決が下った。

  最後の聴罪司祭に選ばれたのは、信仰の人ピ

ロ神父だった。神父はマリーに神の愛を切々と

訴えた。いかなる尋問にも頑として罪を認める

ことの無かったマリーだが、真実の信仰に触れ

て、初めて後悔の涙を流し、全てを告白した。

  一六七六年七月十七日。マリーは水攻めの拷

問を受けた後、護送馬車に乗せられて処刑場に

向かった。最後の瞬間、ピロ神父が罪の許しを

与え秘蹟の言葉を唱えると、それまで恐怖と憤

怒に歪んでいた夫人の顔に、穏やかで優しい表

情が浮かんだという。

  宵闇の迫るグレープ広場。処刑人の鮮やかな

一振りで、マリーの首は切り落とされた。

  その時の様子をピロ神父はこう語っている。

「執行人の剣が振り下ろされても、夫人の姿に

は何の変化も見られなかった。不味い、斬首に

失敗したのか、と思ったが、やがて僅かに夫人

の首が横に傾いだように見えたと思ったら、そ

のまま肩から転がり落ちた」

  その日、ブランヴィリエ侯爵夫人の処刑を一

目見ようと集まった群衆は十万人にのぼる。複

数の愛人を侍(はべ)らせ、放蕩に身をやつし、

肉欲と金のためなら眉ひとつ動かさずに肉親を

毒殺。相手が地位も無く貧しい人々なら言わず

もがな、毒薬の実験台として数十人を殺害。地

位、富、教養、美貌を兼ね備えた貴婦人の犯し

た悪魔の所業にパリの人々は魅入られた。処刑

後、遺体は焼き尽くされ、灰は撒き散らされた

が、その灰を地面からかき集めようとする多く

の人々がいたという。悪を体現した女が死の瞬

間に悔悛し、神の愛に自らの魂を委ねる姿に、

パリの人々は「聖女」を見たのだった。