セヴィニエ夫人の手紙 (結びにあたっての雑感) | アルプスの谷 1641

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1641年、マレドという街で何が起こり、その事件に関係した人々が、その後、どのような運命を辿ったのか。-その記録

 

 

 
 前回記事を持って「セヴィニエ夫人の手紙」については終了とさせていた
 
だきますが、最後に雑感だけ書かせてください。
 
 まず、元ネタとなった英語版のことですが、その本ではそもそも全書簡の
 
一割程度しか収録されていません。 全体を通しての印象としては、特にどこ
 
かに焦点を絞ったわけではなく、代表的な手紙を選んで収録しているように
 
感じました。 パリの毒薬事件や、モンテスパン夫人とマントノン夫人の確執
 
など、もっとえげつない話を期待していたのですが、さらりと流されてしま
 
った感じがします。 もっとも、全書簡を読み込むなど到底無理な話で、英語
 
の文体自体が普通とは異なり、(自分にとっては) 理解が難しいかった上に、
 
個人の手紙を読んでいるわけですから、そもそも何の話をしているのか分か
 
らない部分も多々あります。 そこから、読者も興味を感じないだろうと思っ
 
た箇所は飛ばしたりしながら、セヴィニエ夫人の全書簡の5%程度はプログ
 
に書くことができたのではないかと思います。 解釈の誤りは多々あるとは思
 
いますが、フランスが誇る不朽の書簡文学、「セヴィニエ夫人の手紙」 がど
 
のようなものかをお伝えすることはできたと思います。 このような名品
 
が日本語に翻訳されていないことに腹を立て、ブログでの翻訳に挑戦となっ
 
たわけですが、ともかくも一段落して、少しは気が済みました。
 
 「日本語に翻訳されていない」 という上の言葉に引っ掛かった方があると思い
 
ますが、その通りです。 実は岩波文庫から 『セヴィニェ夫人手紙抄』 (井上究一
  
郎訳) が出ています。 この本では、二通を除き、1670 ~ 1671 年の、わずか

 

二年間の手紙しか取り上げられていないことに加えて、編集方針についても

 

以前、自分は批判的に書いています。 セヴィニェ夫人の手紙を 「母親と娘の

 

交流を綴ったほのぼのエッセイのように編集している」 というのが、その理由
 
でした。 事実、この本には、原著の前半の山場である 「フーケ裁判」 のことが
 
全く出てきません。セヴィニェ夫人の手紙には、ジャーナリスト魂炸裂のワイド
 

ショー的な側面があるというのが自分の考えでした。
 
 しかし、この批判についても、今は自分の考えは間違っているかもしれない
 
と思っています。 それは、この本の初版が 1943年 であることに気付いたから
 
です。 え? 1943年? 戦時中? だとすれば、あまり刺激的なことを書くこ
 
とが
できなかった可能性は充分に考えられます。 というより、むしろ欧米と
 
戦争しているさなかに、よくこれを出版できたなと思います。 訳者がどのよ
 
うな考えで、或いはどのような気持ちでこの本を出したのか、今となっては
 
知る術もありませんが。
 
 最後に、今後のことになりますが、新しいテーマに取り組む前に、十年に
 
渡って書き散らしたブログを少し整理する必要があると思っています。その
 
成果については、追ってお知らせしたいと思います。
 
 ここまで読んでいただき、ありがとうございました。