セヴィニエ夫人の手紙 (信仰をめぐる軋轢) | アルプスの谷 1641

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1641年、マレドという街で何が起こり、その事件に関係した人々が、その後、どのような運命を辿ったのか。-その記録

 
 
 信仰のことを語れば、セヴィニエ夫人と愛する娘フランソワーズの間で
  
さえ、摩擦は避けられないようです。 

  

 この手紙の中では、パスカルを敬愛するデポーと、イエズス会神父の激し

   

い言い争いが記されています。 パスカルについて深い知識があるわけでも

    

無い自分が、ここで講釈を垂れるのもどうかと思いますが、何とか説明を

     

試みたいと思います。 
    
 十七世紀以降流行したキリスト教思想、ジャンセニスムは、その思想がプ
 
ロテスタントのカルヴァン派に近いとして、カトリック教会から異端的であると
 
非難されていました。 パスカルはそのジャンセニストの代表格です。
 
  
 対立する意見として手紙に書かれているのは 「キリスト教徒は義務として

 

神を愛するのか」 であり、パスカルが 「神を愛するかどうかは本人の意

 

思の問題である」 とするのに対し、イエズス会は 「神を愛することは選択の

 

余地の無い、当然の義務である」 としていると自分は解釈しました。 いつも

 

のことながら、ご意見いただけると幸いです。 
 
 ルイ十四世下で激しい迫害を受けたプロテスタントには冷淡であった
 
セヴィニエ夫人ですが、夫人の周囲には、ビュッシー・ラピュタンを始
 
めとして多数のジャンセニストが存在していました。 ジャンセニスムに好
 
意的であるセヴィニエ夫人は、やはり近代の人であったと感じます。 むしろ、
 
なぜフランソワーズがコービネリを 「悪魔の神秘主義者」 と呼ぶのかが
 
理解できません。 
 
 
以下、注です。 
 

 
アビラの聖テレサ
 
スペインのローマ・カトリック教会の神秘家であり、修道院改革に尽力した。 
 
(Wiki より抜粋)
 
 

十字架のヨハネ
 
十六世紀のスペインのカトリック司祭、神秘思想家。 アビラのテレサと共
 
にカルメル会の改革に取り組み、『暗夜』などすぐれたキリスト教神秘主義
 
の著作や書簡を残した。 
 
(Wiki より抜粋)

 
 
 
1690年 1月 15日 (日)  娘フランソワーズへ。 
 
 
 私が信仰について未だに大した意味のない些細なことにこだわっているの
 
かと、貴女は尋ねました。 その通りです。 残念ながら、私はまさしくそのような

  
人間なのです。 私が唯一褒められる点といえば、自分の信仰と、それが何の
 
ためにあるのかを理解していることです。 私は偽物を本物と取り違えたりはい
 
たしません。 見せかけの善と本物の善の区別が付くのです。 これについて私
 
が間違いを犯すことなく、正しく考える力を与えてくださった神が、これからも
 
そうしてくださるよう願わずにはいられません。 これまで受けた恩寵が
 
故に、さらに多くを望んでしまうのです。 にも関わらず、私の自信は恐れと
 
ないまぜになっています。 しかし、親愛なる我が娘よ、貴女がコービネリさん
 
を 「悪魔の神秘主義者」 と呼んだことはいただけません。 貴女の兄は死ぬ
 
ほど笑い転げていましたが、貴女と同様、私も彼を叱っておきました。 しか
 
し 「悪魔の神秘主義者」 とはどういうことでしょうか。 自分の権威を否定し、
 
悪魔の敵である教会の聖者たちに常に触れているお方を。 自分の惨めな
 
肉体を顧みず、キリスト教徒としての (貴女は 「哲学者としての」 と仰ると思い
 
ますが) 清貧に耐え、神の存在とその完全性を讃えることを止めず、決して
 
他人を責めずに常に自分のみを責め、その人生を慈善と奉仕のみに供し、
 
悦楽や満足を求めず、完全に神の意志のみに従って生きようとするお方を。
 
そのようなお方を貴女は 「悪魔の神秘主義者」 と呼ぶのでしょうか。 私がコー
 
ビネリさんについて書いた真実を貴女は否定できるのですか。 けれども、一
 
読して貴女はこうした言い方を滑稽に感じて笑ったことでしょう。 私を騙され
 
やすい頭の弱い人間だと思ったかもしれません。 それでも、私は挫けること
 
なく彼を擁護します。 アビラの聖テレサや私の祖母を敬愛し、十字架のヨハ
 
ネを賛美する方ですから。 
 
 ちなみに、コービネリさんは先日、とても興味深い手紙を送ってくれまし
 
た。 そこにはラモアニオン氏の夕食会での出来事が綴られていました。 
 
(中略) 
 
 (デボー氏やコービネリさんの会話は) 古典作家と現代作家についての話題に
 
なりました。 デポー氏は、一人の例外を除いて古典作家を支持していました。
 
彼の意見によれば、その唯一の例外たる現代作家は、古今を通じて比肩 
 
しうるものがいないそうです。 この時、デボー氏やコービネリさんの近くいた 
 
ブルダルーさんのご友人が、―― その方は (イエズス会の) 神父様でこうし

 

た事のご専門でもあったのですが ――  その作家の著書を一つ挙げてほし
 
いと頼みました。 しかし、デポー氏は答えませんでした。 
 
 「デボー殿、どうか教えていただけませんか」 とコービネリさんも頼みまし
 
た。  「そうすれば私も本を読んで夜を明かすことができますから」 
 
 「コービネリ殿、貴男はその本をもう読んだことがありますよ、間違いあり
 
ません」 とデポー氏は笑って答えました。 
 
 しかし、イエズス会士は後に退きませんでした。 傲慢な態度でデポー氏に
 
その卓越した作家の名前を言うよう迫ったのです。 
 
 「神父様、無理強いはよくありません」 とデポー氏は言いました。 
 
 それでもなお神父は要求を押し通そうとしました。 ついにデポー氏は神父
 
の腕を捕え、強く握りしめてこう言いました。 
 
 「いいでしょう、神父様、そこまで言うなら。 それはパスカルです」 
 
 「パスカルですと!」 神父様は驚きで顔を真っ赤にして言いました。  「パス
 
カルほどの誤りを犯すことなど有り得ませんぞ!」 
 
 「誤り! 誤り!」 デポー氏は言いました。  「パスカルが無比であるのと同
 
様、それが無二の真実であることを知っていただきたいですね。 彼の著作は
 
三ヶ国後に翻訳されているのですぞ」 
 
 「翻訳されているからといって、より真実に迫っていることにはならないで
 
しょう」 と神父様は答えました。 
 
 ここに至って、ついにデポー氏は怒りに我を忘れ、狂人のように叫びました。 
 
 「何ですって? 神父、信徒の一人が本に "キリスト教徒は神を義務で愛し
 
ているのではない" と書いたことを否定なさるのか? それが真実ではない
 
と敢えて主張なさるのか?」 
 
 「デボー殿、私たちは (真実と誤謬を) 見分けなければなりません」 と神父
 
様は怒りを込めて言いました。 
 
 「見分ける」 デポー氏は言いました。  「見分けなければならないのは、我々
 
が義務で神を愛しているのかどうか、そのことです」 
 
 デポー氏はコービネリさんの腕を取って、部屋の反対側の隅に急いで退き
 
ました。 しかし、狂ったように走って戻ってきた時には、もう神父様に近づ
 
こうとはしませんでした。 そして、食堂にいた他のお仲間の所に行ったそう
 
です。 
 
 話はここで終わりです。 私と同様、貴女もこの話を面白いと思うでしょう
 
から、ここに記しました。 そして、貴女がその美しい声でこの話を読み上げ
 
てくださったのなら、さらにその良さが分かるだろうと思うのです。