日付としては少し跳びますが、自分の見ている本でも 1674年あたりは約一年
の空白があり、戦争の最中ではあっても特に変わり映えの無い日々であったの
かもしれません。 しかし、間隔を空けて収録されたこの手紙は、凄惨な事件と
オペラの話題などが入り混じった奇妙なもので、混沌とした当時のフランスの
世相を映し出していると思います。
文中、ブルターニュにおける反乱の話が出てきますが、Wikipedia に以下の
説明がありました。
1675年、コルヌアイユ司教区で暴動が起き、印紙税一揆となった。 反乱分子
はオランダと結び援助を期待したが、支援は来なかった。 反乱の首領セバステ
ィアン・アル・バルはモンガイヤール侯に逮捕されて暗殺された。 反乱はショ
ールヌ公によって鎮圧され、数百人のブルトン人が絞首刑にされ、拷問を受け
た。 セヴィニエ夫人は、『レンヌに駐屯するフランス兵が、焼き串に刺したブ
ルトン人の幼児を焼いていた。 レンヌ全体の通りが扇動行為を疑われ、街は破
壊され住む所を失った住民を放り出した』 と非難した。
1675年 7月 31日 (水) パリにて、娘フランソワーズへ。
天気についての貴女の慧眼には感嘆します。 「その月の最中にとどまる者はい
ません。 なぜなら、ぬかるみに嵌まって抜け出すことができなくなるからです」
と仰いましたが、それは全く正しくて、私たちはぬかるみに嵌まったまま、
時間を無駄にしています。 貴女が10月までグリニャン邸で過すと聞いて嬉しく
思います。 ここで暫く暮らした後にエクスに行くと、貴女はきっと違和感を覚
えることでしょう。 俗世間から離れたグリニャン邸での平和な滞在で、私たち
の心も少しは和らぎました。 貴女の言った通りです。 今は、(夫の)グリニャン
氏と一緒に過すことができて、お城は沢山の人々で賑やかになることでしょう。
貴女の音楽の才能も完成されていますね。 イタリアのアリアについての貴女の
意見を聞いたら、誰でも笑い死にするかもしれません。 誤った歌い方をされた
哀れなアリアを貴女が正したのは、その歌手にとっては受難でしたが、罪に対
する正当な報いです。 そのアリアを聞いた場所、それを歌った可愛らしい少年、
貴女が早速それに目を奪われたこと、貴女は覚えているでしょうか。 グリニャ
ン氏には、是非ともこのアリアを覚えてもらいたいと思うので、お願いですか
ら貴女から言って貰えませんか? そうすれば私たち皆で歌うことができます
から。
以前、ブルターニュでの反乱によって、私たちが数日間動けなくなつたこと
はお話しましたが、フォービン氏が六千名の兵士を率いて、反乱鎮圧に動き出
しました。 つまり、地区を破壊するのです。 鎮圧軍はナント経由で移動するの
で、私たちはラヴァルディン夫人と共にル・マンを通らなければなりません。
私たちは移動にどのくらいの時間が掛るか考えている所です。
(中略)
三日前に起こった事件についてお話しておきたいと思います。 サンマルソー
にある貧しい服飾品商人店の主人は職務に対して10エキュが課税されていまし
た。 当局は何度も支払いを迫り、店主は猶予を願いましたが聞き入れられませ
んでした。 家財を差し押さえられた男は狂気に捕らわれ、三人の子供の喉を切
り裂きました。 男の妻は四人目の子供を抱いて何とか逃げることができました。
哀れなその男はシャトレに拘留されていますが、二、三日中に絞首刑となるで
しょう。 男が唯一後悔していることは、妻と四人目の子供を殺すことができな
かったことだと言っています。 考えてみてください。 これは本当にあった出来
事なのです。 このような狂気は、エルサレム包囲以来、聞いたことがありませ
ん。