セヴィニエ夫人の手紙 (仏蘭戦争) (3) | アルプスの谷 1641

アルプスの谷 1641

1641年、マレドという街で何が起こり、その事件に関係した人々が、その後、どのような運命を辿ったのか。-その記録

  

 

戦争に伴う避けがたい死が、人々に投げ掛ける動揺と波紋を

 

セビィニエ夫人が娘に伝えようとする手紙です。

 
  
1673年 12月 8日 金 パリにて、娘フランソワーズへ

 
 
 まずはギッシュ伯爵のお話をしなければなりません。 今、このことが皆の
 
心を占めているのです。気の毒な伯爵はチュレンヌ将軍率いる軍にいましたが、
 
病気と体調の悪化によりお亡くなりになられたとのことです。 この知らせは火
 
曜の朝に届きました。 ブールダルー氏がこの知らせを (父親の)グラモン元帥
 
に伝えたのですが、グラモン元帥はご子息が危険の状態にあることを既に知っ
 
ていて、その死を予感していました。 元帥は人を避け、カピュシーヌ街の外に
 
ある小さなアパートメントに引きこもっておられます。 司祭様と二人だけにな
 
った時、元帥は跪き頭を垂れて仰いました。
 
「私には聞いていただかなければならないことがあります。 これは神から与え
 
られた試練であり、私はそれを受け入れるつもりです。 私は心から愛する唯一
 
のものを失ってしまいました。 素晴らしい息子は私にとって真実の喜び、胸を
 
刺す苦しみの源でした」
 
 元帥は全き絶望に捕らわれ、寝台に身を投げだしました。 しかし、決して
 
涙を流すことはありませんでした。 あまりに深い絶望にある時、人は泣いた
 
りしないものです。 司祭様は何も仰いませんでしたが、涙を流しておられま
 
した。 それから、初めて口を開き、元帥に神の愛を説かれました。お二人は
 
六時間ほども一緒におられましたが、元帥の尊い犠牲に報いるため、カプチ
 
ン修道会に向かいました。 そこでは修道女たちが、元帥の愛するご子息のた
 
めに、死者の祈りを捧げたということです。 元帥はよろめき、体が震え、自
 
分の足で歩くと言うよりも半ば抱えられるようにしてそこに向かったという
 
ことですが、顔を見ても誰だか分からないような状態だったそうです。 コン
 
デ公がこれを目にして、ラファイエット夫人宅で話してくださったのですが、
 
話しながら涙を流しておられました。 元帥が自分の部屋にお帰りになった時
 
には、死刑判決を受けた徒刑囚のようだったといいます。 陛下は元帥に手紙
 
を書きましたが、会うことは誰にもできません。
 
 モナコ夫人の嘆きは慰めようもなく、誰とも会おうとしません。 同様にルー
 
ヴィニー夫人も慰めようがありません。だって、彼女は苦しんでいないのです
 
から。彼女の幸運には賛嘆を覚えませんか? 彼女がグラモン氏と結婚したの
 
が、ついこの前であることを考えてみてください。 彼女は喜びで我を忘れてい
 
ます。 ギッシュ伯爵夫人はとても上手に振る舞っています。 夫人は自分の夫が
 
いまわの際に語ったこと、そして、自分の夫がこれまでの行いについて許しを
 
乞うたことを聞かされると、泣きながらこう言います。
 
「夫は非常に愛すべき人でした。 夫が私のことをもう少し愛してくれていたの
 
なら、私も情熱的に夫を愛していたでしょう。 夫に軽蔑されるのは、とても辛
 
いことでした。夫の死は私の心を動かし、哀れへと誘います。 私はいつも、夫
 
の私に対する感情が変化してくれれば良いと願っていました」
 
 これは本心を語ってているのであって、見せ掛けなどではありません。
 
 ヴェルヌイユ夫人はこのことを真摯に受け止めています。 貴女が「ヴェルヌ
 
イユ夫人に宜しく伝えてください」 と私に言ってくれれば、それで充分です。
 
モナコ夫人、ルーヴィニー夫人、ギッシュ伯爵夫人には、貴女から手紙だけ書
 
いていただけますか。