セヴィニエ夫人の手紙 (王弟妃の悲劇) (1) | アルプスの谷 1641

アルプスの谷 1641

1641年、マレドという街で何が起こり、その事件に関係した人々が、その後、どのような運命を辿ったのか。-その記録

 

  
 
 次の手紙については、少々、背景を説明させてください。

 

<登場人物一覧>

  王弟妃ヘンリエッタ・アン・ステュアート

  フィリップ1世 (ルイ十四世の弟)

 シュヴァリエ・ド・ロレーヌ

 ルイーズ・ド・ラ・ヴァリエール

 

 
 王弟フィリップが、ばりばりのオネエであることは以前、書いた通りです。 
 
フィリップには、シュヴァリエ・ド・ロレーヌという愛人がいました。 シュ
 
ヴァリエは美男子で有名で、フィリップはぞっこん惚れ込んでいて、シュヴ
 
ァリエにいいように操られるまでになっていました。 しかし、いくらフィリ
 
ップが男性の方が好きといっても、王族の立場上、結婚しないわけにもいき
 
ません。 フィリップは 1661年、ヘンリエッタ・アン・ステュアート (英国王
 
チャールズ一世の次女) と結婚します。 美人の誉れ高いヘンリエッタですが、
 
如何せん、夫が男色家であっては、全く相手にされません。 
 
 ラファイエット夫人はこう書き残しています。 
 
「いかなる女性であっても、王子を振り向かせるのは不可能です」 
 
 しかも、夫の愛人シュヴァリエが同居して、ことあるごとにヘンリエッタ
 
をいじめぬき、「俺がその気になれば、お前なんかいつでも追い出してやれ
 
るんだからな」 と脅してくる始末。 およそ、これほど可哀想なお嫁さんが他
 
にいるでしょうか。 
 
 しかし、ヘンリエッタは宮廷においてはその存在感を高めていきます。 
 
国王ルイ十四世から全幅の信頼を得たヘンリエッタは、フランスの密使となり、
 
イギリス・フランス間のドーバー秘密条約締結という大役を果たしました。 
 
 シュヴァリエにとっては、これはが面白いはずも無く、夫のフィリップは
 
妻の政治的大活躍に嫉妬し、夫婦の関係は悪くなるばかりでした。 イギリス
 
に旅立つ時、ヘンリエッタは自分の死を予感して泣いていたと言われています。 
 
 ヘンリエッタとルイの密会は、最初は確かに政治的な密談であったのかも
 
しれません。 しかし、この密会は不倫へと発展していきました。 
 
 国王と王弟妻との不倫とか、それこそ国際問題にも発展しかねないスキャ
 
ンダルです。 これをかわすために、二人の密会の隠れ蓑として使われたのが
 
ヘンリエッタの侍女ルイーズ・ド・ヴァリエールでした。 これが瓢箪から何
 
とやら、ルイーズはルイの心を捉え、寵姫の座を手にすることになりました。 
 
 ホモの夫には相手にされず、折角できた愛人も侍女に取られてしまった
 
ヘンリエッタに同情していいのか何なのか、もうよく分かりません。 
 
 
 1970年、フィリップが愛人のシュヴァリエに二つの修道院から上がる俸禄
 
を与えるようルイに要求した所、国王もさすがに腹を立て 「あのような不品
 
行者な罰当たりに修道院からの恩恵を与えるわけにはいかん!」 とこれを拒
 
否するという出来事がありました。 当然、これを不服としたシュヴァリエは、
 
ヘンリエッタを使って要求を通そうとしました。 もし要求が通らなければ、
 
フィリップはヘンリエッタを連れて宮廷を出ると言わせ、国王と王弟の不和
 
を画策したのです。 この陰謀に一役買ったのが、手紙に出て来るヴィレロイ
 
侯爵です。 ルイはこれに腹を立て、シュヴァリエ、ヴィレロイ侯爵を追放処
 
分としました。 
 
 ヘンリエッタは同年、26歳という若さで亡くなっています。 
 
 ヘンリエッタは死に際して、シュヴァリエに毒を盛られたと訴えていました。 

 

シュヴァリエは追放されていましたが、その一味が邸に入りこんでいて、
  
ヘンリエッタは毒殺されることを予感していたのです。 
  
 死因は潰瘍による腹膜炎による病死とされていますが、サヴォイア公国外
 
交官サン・モーリス侯爵はこれに疑問を抱き、詳しい記録を残しています。 
 
「王弟妃の腹は、死後、異様に膨れあがっていた。 切開をした所、ひどい悪臭
 
のするガスが吹き出し、医師たちは一旦その場を離れることを余儀なくされた。 
 
マスクを装着して再び検死を続けたが、毒殺の痕跡は見つからなかった。 敢え
 
て疑わしい点を挙げると、胃に縁の黒くなった穴が開いていた。 体は大量の胆
 
汁が溜まり、肝臓には腐敗が見られた」 
 
 現代医学の見地からすると、これは砒素を長期間掛けて、少量ずつ摂取した
 
時の症状と一致するとのことです。 
 
 ヘンリエッタの本当の死因は、今に至るまで謎のままです。 
 
 
 前置きが長くなりましたが、セビィニエ夫人は、シュヴァリエが宮廷に戻
 
ってきた経緯 (いきさつ) を 1672年の手紙に書いています。 その手紙につい
 
ては、次週、ご紹介します。