ルイ十四世による 「ナントの勅令廃止」 によって、フランスのプロテスタント
たちは暴力による改宗を迫られました。 しかし、改宗を拒否し、祖国を捨てた
者たちも少なくはありません。 その数、約三十万人。 プロテスタントの出国は
禁止されていたにも関わらず、近隣の新教国オランダはもとより、遠くカナダ
やアメリカにまで、信仰を守るために命を掛けて旅立っていったのです。
今回紹介する本の著者、ジャン・マルテ-ユも、信仰の自由を求めて外国へ
と脱出しようとした一人でした。 しかし、彼は運悪く国境で逮捕され、ガレー
船送りにされます。 この時、ジャンはわずかに十七才。 その後の十二年間を
ガレー船の漕手として生きた著者が語る、ガレー船徒刑囚、唯一の記録です。
ガレー船徒刑囚の回想 (岩波文庫)
「あなたは今夜、鶏が鳴く前に、三度わたしのことを知らないと言うだろう」
これは、イエス・キリストがペテロに言った言葉ですが、この言葉が頭にあ
ったのでしょうか、改宗するという誓約書にサインさえすれば、釈放されるに
も関わらず、ジャンは決してサインすることはありませんでした。 その頑固さ
には、読んでる方が苛々するほどです。 「サインぐらいで人の心は変わらない、
そんなことで神様は怒らないよ」 と思わずにはいられません。 実際、一緒に捕
まった友人は、 「ガレー船送りになるくらいなら」 とサインをしています。
本心はどうであれ、表面的にはカトリックに改宗した者の方が多かったのです。
後にその友人は戦死しましたが、ジャンはそこに神の配剤を見ています。
こうしてジャンは徒刑囚として、本物の犯罪者たちと一緒にガレー船を漕ぐ
ことになります。 その苛酷さは言語を絶するほどで、ジャンは普通の人間では
一日も保たないと言い切っています。 戦闘に参加すれば、船は最前線に立たさ
れます。 実際、ジャンはオランダ海軍の砲撃を食らって、瀕死の重傷を負って
いるのです。
このような苛酷な運命に晒されながら、ジャンが生還できたのは、内心では
プロテスタントを捨ててはいない人々などが、陰になり日向になりジャンを
助けたからばかりではなく、彼自身がまさに妥協の無い良心の持ち主であった
がゆえであることが分かります。 ジャンは年齢から言えば未だ子供の域を出た
ばかりの若者でしたが、古参の重犯罪者たちも、ジャンの前を通る時には必ず
一礼をしたといいます。 信仰に背くぐらいなら、ガレー船の徒刑囚になるとい
う若者に、誰もが敬意を払っていたのです。
ガレー船から解放されたのは、落日のルイがイギリスとの講和を余儀なく
され、英国アン女王がフランスのプロテスタント迫害に介入したからです。
この期に及んでなお、イエズス会がジャンの解放を執拗に妨害しようとする
様には、誰しも怒りを禁じ得ないと思います。
改宗を拒否してガレー船に送られたプロテスタントは約千五百名。 その内、
生還できたのは約半数、死亡者の七割は徒刑囚となった三年以内に死亡した
といいます。
ジャンは解放後は英雄として帰還し、その後は平和な人生を送り、91 才の
長寿を全うしました。
前回、ご紹介した 「フランス・プロテスタントの反乱」 もそうですが、
この本に書かれていることは、およそ考えられないほどの理不尽であり、同じ
キリスト教徒に対して、解釈の違いがあるとはいえ、なぜかくもひどい仕打ち
ができるのか、宗教とは一体なんなのか、と強く考えさせられます。 もう一つ
付け加えるならば、同じキリスト教徒に対してさえこんなことができるのなら、
異教徒の殺戮などは、虫を殺すほどにも感じないのかもしれないと暗澹とした
気分にさせられます。
人が同じ過ちを繰り返さないためにも、今一度読むべき本であると思います。