【読書案内 8】 不倫という名の純愛「クレーヴの奥方」を読む | アルプスの谷 1641

アルプスの谷 1641

1641年、マレドという街で何が起こり、その事件に関係した人々が、その後、どのような運命を辿ったのか。-その記録

 

 
 
 さて、三回に渡って下ネタを続けてしまいました。 今回は毒抜きも兼ね、
 
純愛について考えてみたいと思います。 
 
 ご紹介する本はラファイエット夫人作、「クレーヴの奥方」です。 
 
 この本は 1678年のルイ十四世治政下、匿名で出版されました。 
 
 
クレーヴの奥方 他2篇 (岩波文庫 赤 515-1)
 
 最初にこの本を読んだ私の感想を一文で言い切ってしまうとこうなります。 
 
「純愛も度が過ぎれば変態と変わんない」
 
 
 舞台は十六世紀、アンリ二世の宮廷。 実在の人物や実際にあった事件を織
 
り交ぜつつ、一方的に見初められ自らの意思を顧みることなく結婚したもの
 
の、夫とは別の男性に恋をして苦しむクレーヴ夫人の心理が丹念に描かれて
 
います。 
 
 物語の運び方、言葉の使い方には、現代の読者には向かないと思われる点
 
が多々あるものの、最後の結末は、(筆者にとっては)非常に意外で、余韻を
 
残しつつ本を閉じることになりました。 これから読む方のため、結末を詳ら
 
かにすることはできませんが、心は不倫の恋に揺れながらも、最後、主人公
 
は貞節を守るために一種の倒錯としか思えない行動を取るのです。 これが
 
冒頭の感想の理由です。 
 
 
 アンリ二世の宮廷を背景にしながら、作品はルイ十四世の宮廷を色濃く反
 
映していると言われていますが、「売春窟」と揶揄された宮廷の実状がまる
 
で見えないかのように、上流階級の人々を典雅に描いています。 そこに、こ
 
の小説の二面性を感じます。 上品な小説ではありますが、見た目に心地良い
 
表層を描いて、隠されている意味を無視するような精神性が、殆ど無意味と
 
さえ思えるような貞操観念で主人公を縛っていきます。 そこにはキリスト教
 
的価値観が深く関わって、それに対して疑問符を付けることはありません。 
 
 この小説を読んで初めて思うことがあります。 それは、近代の小説――
 
ジェーン・オースティンやエミリー・ブロンテといった作家の作品が、女性
 
の解放という意味で如何に切実な意味を持っていたかを実感として感じたこ
 
とです。 ロレンスの「チャタレイ夫人の恋人」などは言わずもがなですね。 
 
 実を言うと、エミリー・ブロンテの「嵐が丘」などは、読んでもどこがい
 
いのかさっぱり分からなかったのですが、恋のために神に背を向ける主人公
 
を見た時、当時の人々にとって、やはりそれは衝撃的だったのではないのかと、
 
「クレーヴの奥方」を読んで改めて考えさせられました。