【未発表記事】 大人の時間 ( 子供は寝なさい ) | アルプスの谷 1641

アルプスの谷 1641

1641年、マレドという街で何が起こり、その事件に関係した人々が、その後、どのような運命を辿ったのか。-その記録

 

本編の雰囲気を壊すのを恐れて (←いっちょ前に何を言うか) 、いままで未発表に

 

なっていた記事ですが、下ネタ続きのどさくさに紛れて大公開します。

 

 
 スペインのパストラーナ公が初めてルイ十四世の宮廷を訪れた時、そこで
 
目にした光景に驚き、こう叫びました。 
 
 「これぞ本物の売春窟だ!」 
 
 
 当時の貴族階級の結婚は家同士の政略的な思惑で行われることが殆どでし
 
たから、愛情に裏付けされた夫婦の絆は希薄で、別居も全く珍しいことでは
 
ありませんでした。 その結果、夫も妻も愛人を作ってやりたい放題、特に
 
ルイ十四世の時代は 「これほど宮廷に悪徳のはびこったことは未だかつて無
 
かった」 と言われるほどだったといいます。 
 
 しかし、ひとつ注意しなければならないのは、そこは男尊女卑の時代、
 
夫がその気になれば、ふしだらな妻を修道院に閉じ込めることもできたと
 
いうことです。 
 
   1671年、外交官リオンヌは、奔放で有名な自分の妻と既婚者である自分
 
の娘が、ソー伯爵を間に挟んでベッドで寝ているのを発見しました。 この時
 
ばかりは 「やり過ぎだろ!」 と、リオンヌは妻を修道院送りにしました。 
 
 リオンヌはこれまで自分自身も浮気を繰り返してきたという引け目もあり、
 
寝取られ夫でいることに甘んじていたのですが、 「さすがに今回は、義理の
 
息子に申し訳が立たないと考えたらしい」 とセヴィニエ夫人は書簡に書いて
 
います。 
 
 夫リオンヌのこの行動は、宮廷に少なからぬ衝撃を与えることになりました。 
 
 ブーシェ夫人は友人のビュシー伯爵に懸念を伝えています。 
 
 「どうしましょ、女たちがやりたい放題やるから、夫たちの反乱が始まった
 
んだわ。 もう夫たちは妻たちに馬鹿にされるのに我慢できないのよ」 
 
 「落ち着いてください、マダム」 ビュシー伯は答えました。  「夫たちの気持
 
なんて昔も今も変わっていませんよ。 ただ、昔の人は情事にいそしむにも、
 
今よりは少し慎重だっただけです」 
 
 勿論、これが特殊な例では無く、枢機卿マザランの姪のひとりは、あまり
 
に男遊びが激しいので、 「あの女をものにしても何の自慢にもならない」 と
 
言われていましたし、ビレロイ夫人に至っては、 「彼女が性病を治してく
 
れたら、宮廷中が大喜びする」 と言われる始末。 
 
 しかも、こうした性的な堕落は当時の宮廷では全く出世の妨げにはなりま
 
せんでした。 
 
 なんと言っても、国王ルイ十四世というお手本がある以上、不倫を咎める
 
ことは、国王批判と受け取られかねなかったのです。 
 
 
 男女の間がこうも乱れていて、おホモだちが大人しくしているなんてこと
 
は勿論ありません。 カトリック的な価値観から言えば 
ピー  に ピー を入れたりする
 
のは第一級の罪のはずですが、当時の宮廷でそれが大っぴらに行われていた
 
ことは、痔が大流行していたという事実が雄弁に物語っています。 当時の
 
無名の作家は、同性愛の流行を女性のせいにして、 「女たちがあまりに簡単
 
に男たちと寝るので、男たちが女性の魅力を軽視するようになった結果だ」 

 

と言っています。 
   
 宮廷にはびこる男色に対しても、ルイはこれを阻止する措置を取ろうとは
 
しませんでした。 というのも、王弟フィリップが、ばりばりのオネエだった
 
からです。 戦場に行くにも、化粧をして、リボンとフリルで気飾って、アク
 
セサリーじゃらじゃらいわせながら、 「いやーん、汚れちゃう」 と言って、
 
馬からも下りないような人だったのです。 
 
 1670年、フィリップが愛人、騎士ロレーヌに二つの修道院から上がる俸禄
 
を与えるようルイに要求した所、国王もさすがに腹を立て 「あのような
 
不品行者な罰当たりに修道院からの恩恵を与えるわけにはいかん!」 と
 
これを拒否しました。 
 
 フィリップは不満たらたらで愚痴をこぼしています。 
 
 「あの人、女には甘いくせにさあ、相手が男だと途端に厳しくするのよね、
 
失礼しちゃうわ、ぷんすかぷん!」