第1部 「告白」、第4章「審問」、第13節 | アルプスの谷 1641

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1641年、マレドという街で何が起こり、その事件に関係した人々が、その後、どのような運命を辿ったのか。-その記録

「しかし、どんな息子であっても息子は息子ということなのだろう、マウリツィオ
はひどく意気消沈していたらしい。 そのせいで、奴は自分の周りで何が起こっ
ているか、全く気が付いていなかったのかもしれない 」 (前節 より)
 
 
本ブログをご訪問いただき、ありがとうございます。
 
 
第4章第14節は9月29日に投稿します。
なお、9月26日には、時代背景として、
 
「魔女狩りの政治学」 を投稿します。
 
 
( 全体の目次はこちら(本サイト)からご覧いただけます )
( 第一章の最初から読む )
 

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第4章 「審問 」
 
 
13. 見習修道士シルヴィオ、審問の最後を語る。
 
 
 
 最初は冷笑するかのような話しぶりであったコルラードですが、滔々と喋
 
る内に自分の話にのめり込んでいくかのように見えました。 彼は自分が有能
 
な政治家であると信じていたのでしょう。 そして、世の中を動かしているの
 
は自分だと考えていたに違いありません。 そのくだらない自己満足のために、
 
どれほど多くの人が犠牲になったのか、想像してみることもないようでした。
 
私はコルラードの話に、嫌悪感が募るのを抑えようもありませんでした。
 
「マルティーナたちが魔女として捕えられたのは、私にとっても予想外の出
 
来事だったが、そんなことは取るに足らないことだ。 公国を立て直すという
 
大義からすればな。
 
 自分にしてみれば、異端などに大した興味はない。 ヴァルド派の奴らなど、
 
カトリック教会の言うことを聞かないというだけで、毒にも薬にもならない
 
ような連中だ。 だからこそ異端と言われながら、五百年も生きながらえてき
 
たのだけだ。
 
 それにしても、マウリツィオが、何故あんな連中に肩入れをしようとする
 
のか、自分には理解できない。 カトリック教会やサヴォイア公、クリスティ
 
ーヌ妃に調子を合わせていれば良かったものを・・」
 
「キリスト教徒としてするべきことをしただけだ」
 
 これまで審問では注意深く被告の言葉を聞くだけだったエミリオ様が、相
 
手の言葉を遮ったのは初めてだったので、私を含め、そこにいた誰もが驚き
 
ました。 不意を衝かれたコルラードは、その言葉を聞き返しました。
 
「キリスト教徒としてするべきことをしただけだ」 エミリオ様は繰り返しま
 
した。 「マウリツィオは審問の中でそのように答えている」
 
 コルラードは、それを聞くと鼻で笑いました。
 
「何がキリスト教徒なんだか・・。 奴がそんなに立派な人間か? 奴は清貧
 
の対極にある人間だったじゃないか。 先祖から受け継いだ財産で、充分、贅
 
沢をしていただろう。 おまけに愛人までいたじゃないか」
 
「それはマウリツィオが神では無く、人間だったというだけの話だ。 完全な
 
人間などこの世に存在しない」
 
「なるほど、確かに完全な人間など存在しないのかもしれない。 しかし、マ
 
ウリツィオは別だ。 奴は単なる偽善者だ。 あいつは息子に忌み嫌われる父
 
親であり、愛人に裏切られた男であり、妻に愛想を尽かされた夫だった。 奴の
 
息子も相当な変人だったらしいが、愚かな父親を見捨てて逃げたのだけは賢
 
かったな。 そうで無かったら、男色魔の息子として無関係ではいられなかっ
 
ただろう。
 
 マウリツィオは息子に累が及ぶのを恐れて、一か月近くも拷問に耐えたら
 
しい。 全く皮肉な話だが、その息子がドミニコ会の修道士になったことを知
 
って、やっと総てを諦める気になったそうだ。 火刑にされる時には、全身の
 
関節が外れて、まるで死に掛けた蛇みたいな有様だった。 自分を捨てた息
 
子に義理立てとは、どこまでもおめでたい奴だ。
 
 ビンディ家の財産は総て没収されたが、一部はどうしても見つからなかっ
 
たと聞いている。 修道士になった息子が関係していると見て、息子の行方を
 
追ったが、結局は分からず終いだ。 今頃、どこでどうしているのか知らない
 
が、奴の息子はうまいこと立ち回ったのかも・・」
 
「言うことはそれだけか」
 
 再びエミリオ様が言葉を挟みました。
 
「何だと?」
 
「言うことはそれだけか」
 
 その言葉の張り詰めた調子に、審問室の中が静まり返りました。 さしも
 
のコルラードも、不安そうに黙る他はありませんでした。
  
 コルラードが黙るのを見たエミリオ様は、突然、立ち上がりました。
  
「予備審問はここで終了とする。 その告白のすべてから、告白者たちの行
 
った行為には善良なキリスト教徒を陥れようとする悪魔の意思が働いてい
 
たと信ずる。 これまで召還された者たち全員を異端審問に掛け、悪魔との
 
関係を明らかにせよ」
 
「何だと!」 飛び掛らんばかりに椅子から飛び出したコルラードをすんでの
 
所で兵士たちが取り押さえました。 「この私を異端の罪に問うと言うのか! 
 
ふざけるな。 そんなことをしてただで済むと思うな。 私がこれまで進めてき
 
たことは、総てがカトリック教会やサヴォイア家の意向でもあるということ
 
が分かったはずだろう。 私が悪魔と関係しているなど、そんなことを誰が信
 
じるものか! そんなことをすれば、後悔するのは、若造、お前の方だぞ」
 
 しかし、コルラードの勢いもここまででした。 エミリオ様が冷徹に言い放
 
った次の一言で、コルラードはがっくりと床に膝をついたのです。
 
「そうか。 お前が悪魔と関係があるかないかは、拷問に掛けてみれば分かる
 
ことだ」