第1部 「告白」、第4章「審問」、第11節 | アルプスの谷 1641

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1641年、マレドという街で何が起こり、その事件に関係した人々が、その後、どのような運命を辿ったのか。-その記録

「しかし、俺自身はマウリツィオのことなどどうでも良かった。 マウリツィオに
興味があったのは、市議会参事 のコルラードだ。 コルラードが何を企んでい
るにせよ、マウリツィオがどう なろうと俺の知ったことではなかった」 (前節 より)
 
 
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第4章第12節は9月15日に投稿します。
 
 
なお、9月12日には、時代背景として、 

 
「魔女狩りの経済学(2) テンプル騎士団の最期」

 
を投稿します。
 
 
( 全体の目次はこちら(本サイト)からご覧いただけます )
( 第一章の最初から読む )
 

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第4章 「審問 」
 
 
11. 見習修道士シルヴィオ、コルラードの召喚を語る。
 
 
 
 テオドロの告白から、現職市長コルラードの名前が出てきたことで、私は
 
内心、これは大事になると思いました。 エミリオ様がここで審問を中途半端
 
に打ち切るような方でないことは、充分、承知していましたが、次々に地下
 
牢の闇に消えていく被告たちを見ていると、一体、この審問がどこまで行くの
 
か、不安を覚えずにはいられませんでした。 これ以上、進んだら自分たちも
 
無事ではいられないと、心のどこかでそう感じていたのです。 だから 「コル
 
ラードを審問所に召喚しろ」 というエミリオ様の言葉を聞いた時は、その真
 
意を質さずにはいられませんでした。
 
「エミリオ様、コルラードを審問に引き出すと、本気で言っているのですか?」
 
「勿論、本気だとも。 なぜそんなことを言う」
 
「相手は現職の市長です。 テオドロのような下っ端の市会議員を審問に掛け
 
るのとは訳が違います」
 
「前の市長マウリツィオは審問に掛けられたではないか。 前の市長は良くて、
 
なぜ今の市長は駄目なのだ」
 
「あのジョットーでさえ、前市長マウリツィオを審問に掛けるまでには、相
 
当な逡巡や準備をした形跡があります。 マルティーナたちの処刑からマウリ
 
ツィオの逮捕まで、二か月近くも間が空いたのはそのためだと、エミリオ様
 
自身がそう仰っていたではありませんか」
 
「確かにその通りだ」
 
「影響の大きさを考えれば、ここは慎重になるべきです。 今日明日で市長を
 
逮捕して審問に掛けるなど無茶な話です。 それだけではありません。 エミリ
 
オ様がどのような危険に晒されるか分かりません」
 
 エミリオ様は足を止めて、私の方に向き直りました。 その目は青白い炎の
 
ような光に揺らめき、私は息を飲んでその目を見詰めました。
 
「なにも逮捕しろとは言ってない。 私は奴の話を聞きたいだけだ。 ――テオ
 
ドロが審問で有罪になるかもしれない、そのテオドロが証言の中でコルラー
 
ドの名前を出したから話を聞きたい――と、そう言え。 そうすれば、奴は必
 
ず出てくるだろう。 シルヴィオ、お前の言うことは正しいのかもしれない。
 
これは危険な賭けかもしれぬ。 しかし、真実に辿り着くためなら、私は負
 
けることを恐れたりはしない。
 
 時間を置いては事が面倒になる。 コルラードをここに連れて来い。 今すぐ
 
だ」
 
 
 
 審問室の中央に置かれた椅子に座ったその男コルラードは、身なりの良さ
 
を誇示するかのように姿勢を正し、傲然として周囲を見回しました。 白いも
 
のが目立つ髪は、時折、手で後ろに流しても、すぐに乱れて顔に掛かり、そ
 
の間から鋭い目がこちらを睨んでおりました。 角張った顔の輪郭、その表情
 
に陰を落とす高い頬骨や鼻筋は、まるで石に刻み込まれたもののようでした。
 
しかし、ひとたび口を開けば、まるで冗談を言うかのように薄ら笑いを浮か
 
べながらの自信たっぷりな物言いに、私は内心、反発を覚えずにはいられま
 
せんでした。 違う場所で見たなら、初老の品の良い紳士と見えたかもしれま
 
せん。 しかし、審問室で見るその男は、まるで人を小馬鹿にしているように
 
すら見えました。 その第一声は、威嚇とも取れるような言葉で始まりました。
 
「テオドロを審問で拘留したそうだな。 さっさと返すことだ。 奴に審問など
 
お門違いだ」
 
「テオドロは予備審問の中で、自分は悪魔に魂を売ったと告白している」 エ
 
ミリオ様はいつも通り、淡々と答えました。 「そうであれば、釈放するわけ
 
にはいかない」
 
「あの男は自暴自棄になってるだけだ。 奴の話を聞いたのなら分かるだろう。
 
奴は酒の力を借りて、ゆっくり自殺しようとしているのさ。 あいつは元から
 
あんな奴だった。 誰にも止められやしないし、止める必要も無い。 放ってお
 
けばいい。 しかし、異端審問となれば話は別だ。 まして、私の名前を出した
 
とあっては、そのままにしてはおけない。
 
 審問官、お前はまだ若い上に、この街の事情、いや、世の中というものが
 
分かってないだけだ。 悪いことは言わない。 馬鹿げた審問は止めにして、テ
 
オドロをさっさと釈放しろ。 そうすれば、今回の件はすべて忘れてやる」
 
「それでは、その事情とやらを聞かせて貰おうか」
 
 コルラードは、一瞬、黙ってから、再び話し始めました。
 
その言葉から、これから始まる予備審問が、他とは違ったものになるであろ
 
うことは容易に想像ができました。
 
「私はこの街の市長であるだけでなく、これまでカトリック教会にも、協力
 
者してきた。 その私を召喚したのなら、そっちにもそれなりの覚悟というも
 
のがあるのだろうな。
 
 いいだろう。 話してやるさ。
 
 しかし、聞いたことを後悔することになっても、後の祭りだということを忘
 
れるな」