第1部 「告白」、第3章「星を見る修道士」、第3節 | アルプスの谷 1641

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1641年、マレドという街で何が起こり、その事件に関係した人々が、その後、どのような運命を辿ったのか。-その記録

 
本ブログをご訪問いただき、ありがとうございます。
 
第3章第4節は6月2日に投稿します。
 
なお、5月30日に 「アメリカ・セーラムの魔女事件」 をに関する投稿をします。、
 
お時間のある時、お付き合いいただければ幸いです。
 
( 全体の目次はこちら(本サイト)からご覧いただけます )
( 第一章の最初から読む )
 
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第三章「星を見る修道士」
 
 
ドミニコ会修道士フェルナンド、1653年秋の或る一日を語る。
マレドの魔女事件から12年後、トリノ近郊の修道院にて。
 
 

 
 
 
 その者は、最初は若いジョットーのような男であったと聞いています。大変
 
に優秀であったばかりでなく、熱烈な信仰の持ち主であり、若くして聴聞僧と
 
して認められ、遠方に派遣されていきました。その男、名をエミリオといいま
 
すが、どこから来たのかは全く分かっておりません。彼を知る者に尋ねてはみ
 
たのですが、誰一人として、彼の個人的な背景を知る者はありませんでした。
 
が、あのように若くして聴聞僧になったのには、何らかの後ろ盾があるものと
 
も思われます。恐らくは地位や財産のある家の出なのでしょう。どのような事
 
情があって修道院に入ったかは知りませんが、その時に名前も変えているの
 
かもしれません。
 
 聴聞僧となったその男、エミリオは、非常に戦闘的な修道士として、すぐに
 
人々から恐れられるようになりました。神の犬と呼ばれても、むしろそれを誇
 
りに思うような、そんな人物です。彼は聴聞僧でありながら、異端審問にあま
 
り積極的でなかった審問官に代わって審問を推し進め、情け容赦のない判決で
 
次々に異端を火刑にしました。
 
 エミリオが事実上審問を取り仕切るようになって暫くして、匿名の告発から
 
一組の夫婦が悪魔の使徒として捕らえられました。その頃、農家の裏庭や二階
 
の部屋など、その家の者以外、絶対に他人が立ち入ることのないような場所か
 
ら、小さな子供や赤ん坊が忽然と姿を消すという事件が立て続けに起こってい
 
ました。人々はこれが魔女の仕業であると噂し、異端審問所もその邪悪な所業
 
に目を光らせていた所、その告発があったのです。
 
 すぐに裁判が開かれ、エミリオが審問に当たりました。この後の話はここで
 
くどくど話しても詮無きことでしょう。拷問を使ったお決まりの尋問で、その
 
夫婦は子供をさらって悪魔に捧げたことを認め、火刑に処せられることが決ま
 
りました。
 
 その夫婦には、当時は十五歳になる男の子でしたが、子供が一人ありまし
 
た。自分の正義を信じて疑うことの無かったエミリオは、その子の見ている前
 
で、両親を火刑に処しました。エミリオは子供も一緒に火刑にすることも考え
 
たそうですが、結局、その子を一時的に修道院で預かり、暫く様子を見ること
 
にしました。勿論、怪しい所があったら、即座に火で焼いてしまうためです。
 
 処刑が終わってから暫くしてのことです。山羊を草原に放していた牧夫が、
 
空を影が横切ったかと思うと巨大な鷲が舞い降りて山羊の子供をさらい、一瞬
 
にして黒い森の中に姿を消すのを見ました。山羊の子供をさらわれた牧夫は非
 
常に腹を立て、仲間を募って森に入りました。その黒い森に巨大な鷲がいるこ
 
とは以前から知られていて、被害に会っていたのも、その牧夫だけではなかっ
 
たようです。
 
 ここまでお話すれば、後はお察しがつきましょう。鷲を射殺した牧夫たちが、
 
その巣や周辺で見つけたものの中に、さらわれた子供たちの残骸があったの
 
です。
 
 エミリオは冷徹な男ではあったかもしれませんが、少なくとも公平な精神の
 
持ち主だったようです。彼は自分の誤りを認め、教会に間違いを受け入れる
 
よう進言しました。しかし、権威主義に凝り固まった教会は間違いを受け入れ
 
ることを拒否したのです。
 
 この出来事は、この若い聴聞僧に非常な衝撃を与えたようです。彼の心の中
 
にどのような変化が起こったのかは想像してみる他ありませんが、少なくとも
 
『魔女への鉄槌』 といった、魔女狩りの教科書に従うことは二度と無かったよ
 
うです。