第1部 「告白」、第2章「或る家族の肖像」、第6節 | アルプスの谷 1641

アルプスの谷 1641

1641年、マレドという街で何が起こり、その事件に関係した人々が、その後、どのような運命を辿ったのか。-その記録


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連続投稿の一回目です。
第7節 (第二章最終節) は明日5月6日に投稿します。
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「それではお前は総てを告白するというのだな」


 審問官ジョットーは満足気に鼻で笑う。


 私は床を舐めるように頷いた後、静かに話し始めた。




 それは城壁の上に三日月の掛かる美しい夜だった。色のとりどりの灯りが中


空に吊るされ、長い年月に磨かれた大通りの敷石がそれを反射していた。時折、


火花が尾を曳いて中空に舞い、楽団の奏でる音色に混ざって、人々の歓声が上


がる。人々は思い思いの趣向を凝らした仮面を被って、通りを練り歩く。今夜


だけは自分ではない別の人間になれる。道化や森の動物たち、天の星々や太陽


や月までもが街の通りで踊っている。


 まだ五歳だったエンリコにとっては、とりわけ特別な夜だった。小さなあの


子は、自分の未来にあどけない夢を描き、屈託なくよく笑う子供だった。仮装


した人々の群れに興奮したエンリコは、母親の手をぐいぐい引っ張って、時折、


足を滑らせては、母親の手に宙吊りになる有様だった。


「エンリコ、そんなに引っ張らないでちょうだい。もうお母さんの手には負え


ないわ」


 あの子がこんなにも興奮しやすい性質だとは、父親である自分もその時まで


知らなかった。ついには母親の手を振り切り、勢い余って踊りの列の中に飛び


込んで行くエンリコに、私は困惑しながらも怒って見せなければならなかった。


「こっちに戻ってきなさい。転んで痛くしても知らないよ!」


 エンリコの周りを泣き顔のお月様が、笑顔の太陽が、そして、鳥や動物たち


が回りながら、渦のように過ぎていく。エンリコは驚きに打たれて周囲を見上


げていたが、そのエンリコの肩に触れるものがあった。「エンリコだね」彼が


振り向くとキツネが顔を近づけて囁いた。「お父さんに伝えてくれ給え。今晩、


ミミズのパスタと鼠の丸焼きを用意するから、九時を過ぎたら来て欲しいって」


 エンリコはすぐさま私の所に戻ってきた。


「お父さん、狐がね、お父さんのこと待ってるって言ってたよ。九時を過ぎた


ら来て欲しいって。鼠とミミズをご馳走するって」


「え、本当かい?」その狐は市会議員のレイモンドであったに違いないのだが、


私はわざと驚いてみせた。「で、どこへ行けばいいのかな?」


「聞くの忘れてた!」


 言うが早いか、エンリコは回れ右をして、今はどこにいるかも分からない狐


を捜しに駆け出していていった。


 私と妻はもう子供の心配をするのも忘れて、堪え切れないぐらいに笑った。




 あんなに笑った妻を見たのは後にも先にも初めてだった。