第1部 「告白」、第1章「マレド群像」、第11節~第12節 | アルプスの谷 1641

アルプスの谷 1641

1641年、マレドという街で何が起こり、その事件に関係した人々が、その後、どのような運命を辿ったのか。-その記録



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続きは3月10日にアップします。


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11. 判決を見るために集まった市民たち


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「知ってるかね? 城の外に広がるこの広場は、魔女を焼くためにわざわざ


森を切り開いて作られたんだってことを。以前は、城門から伸びる道沿いに


賑やかな市が立って、人々がのんびりとお喋りしながら往来する、気楽な場


所だったんだよ。だけど、最近じゃ人の寄り付かない場所になっちまった。


あの審問官が来てからというもの、奥の方から点々と太くて真っ黒に焼けた


柱が立つようになったからさ。その数もどんどん増えて、もう少しすれば、


ここは黒い林みたいになるかもな。それが全部、魔女や異端が火炙りになっ


た跡だと知ってたら、そりゃ近付く人間なんていやしないよ」




「その柱一本一本で誰が火刑になったのか、みんな覚えているのかねえ。魔


女の火刑をお祭りだと思ってるような奴らばっかりだからな、ここの連中は。


俺は覚えてるぜ。ほら、一番奥に立つ黒い柱は、まじない師のばあさんが焼


かれた跡、その手前は病気治しの女が焼かれた跡さ。


 こうして人が集まって賑やかになるのも、魔女の裁判の時ぐらいしかなく


なっちまったな、最近は。だから騒ぎたい奴らは、あんまり裁判の間が開く


と不満を言い始めるんだよ。みんな退屈なのさ」




「あのお高くとまった美人さんがさ、夜になったら、どんな卑猥なことをや


ってたんだろうな。想像しただけで堪らなくなるぜ。引っ張ってこられたマ


ルティーナやジュリエッタを見たけどよ、相当痛めつけられたみたいだけど、


それでもすこぶるいい女だったぜ。殆ど、裸みたいな格好で立たされて、白


い肌が眩しいぐらいだった。普段は澄ましてやがって、何が良妻賢母だよ、


何が貴婦人だよ。裏じゃ淫売だってやらねえようなことやってたんじゃねえ


か。ひとこと言ってくれりゃ、俺がいくらでも可愛がってやったのにさ。魂


を売るほど悪魔がいいのかね。これだから女って奴は分からないよな」




「ああ、お前は根っからの助平だからな。別嬪さんが審問に掛けられるって


んで興味津々なんだろう。まあ、いつもだったら婆あが殆どだから、美人さ


んが一度に何人も審問に掛けられたら、そりゃ興奮するのも無理ないかもし


れないが、お前の場合は興奮し過ぎだよ。なに想像してんだか。


 俺は色気より食い気だな。あの女たち、しこたま貯め込んでいたにちげえ


ねえ。没収される財産も結構な額だって話だぜ。殆どが行政官や教会の懐に


入るのは気に入らねえが、こっちもおこぼれに与れるからな、文句は言わね


えよ。いつだって最高だぜ、他人の金で飲む酒ってのは。悪魔と契約を結ん


だ女の金だから出所が怪しい? 俺には関係ねえな」



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12. ルチアーノ


    学校の友人である市長の息子エンリコ、ジェラルドと共に審問の判決を聞く。


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 ぼくがカトリック教徒であることは、いわば生まれた時から決まっていた


ことでした。理由は両親がカトリックだったから、それだけです。別に自分


でこれを選んだというわけではありません。父なる神は常に正しく、その神


の家である教会もまた間違いを犯すはずがないと教えられてきたから、そう


信じてきました。それは、自分の父親が本当に自分の父親であるか、疑った


り確かめたりはしないのと同じことです。それで困ることなど何もありませ


ん。自分の父親は別の人間かもしれないと疑ってみた所でどうなるというの


でしょう。信仰もまた同じことです。それを疑ってみた所でどうになるもの


でもありません。しかし、それはやはり確信とは違うのかもしれません。


 友人のエンリコは自分とは違うようです。彼は確信を抱いています。その


信仰心は純粋で、信仰を証明しろと言われたなら、崖からも飛び降りかねな


いほどです。悪魔と契約を結んだ人々を憎み、神の正義を心から愛している


のです。愛するといったのは、彼のその信仰心が盲目的で、時に攻撃的です


らあるからです。愛とは得てしてそのようなものですから。


 どうして彼があのような確信を持つことができるのか、自分のような人間


には理解できません。ぼくは彼とこうして一緒にいて、ひどく居心地悪い思


いをさせられています。自分が何の確信も無く生きていることを意識させら


れるからです。ぼくだって、エンリコ同様、悪魔を憎く思う気持はあります。


しかし、つい昨日まで尊敬していた人、憧れていた人を憎む気持にはなれま


せん。あの人たちに石を投げたり、罵声を浴びせる人々は、やはり何か確信


を持ってやっているのでしょうか。


 一方でジェラルドは、自分ともエンリコとも、目を合わせようとさえしま


せん。最早、言葉を交わしても通じるものは無いと、そう思っているのでし


ょう。エンリコとは違って、ジェラルドは何事も素直に受け取ることがない


人間です。誰に対しても批判的だし、口を開けば冗談か皮肉しか言わないよ


うな奴です。しかし、彼にしてみれば、それは与えられた世界に対する当然


の反応なのかもしれません。初めてジェラルドに遭う人は、彼のことを、ひ


ねくれ者とか、ふざけた奴などと言います。ですが、幼馴染の自分はよく知


っています。心の底は優しく、冗談を言って友達を笑わせるのが大好きな奴


なのです。


 しかし、この日ばかりは、ぼくもジェラルドに話し掛けるのを早くから諦


めていました。とても、話し掛けられるような雰囲気ではありませんでした


から。彼もまた確信を持っていたのでしょう。エンリコとは全く違う種類の


確信を。


 一体、何のために三人揃って一緒に来たのでしょうか。結局、三人とも自


分の物思いに耽って、お互い全く口を利くことが無くなっていました。ぼく


は、この時のことを思い出す度に考えるんです。何の確信も持つこともでき


ず、時に流されるように生きていく自分を、例え恥ずかしいと感じたとして


も、それ以外どうすることができたのだろうかと。自分はエンリコにもジェ


ラルドにもなれません。破滅する他人を見て安心感にも似た満足を感じたり、


その肉体が焼かれるのを見て奇妙な興奮を覚えるのは、結局、自分には生き


ている実感が無いからなのかもしれません。死んでいるような日常を忘れさ


せてくれるものなら、多分、何だって良かったのです。結局は、それが自分


だったんです。