第1部 「告白」、第1章「マレド群像」、第10節 | アルプスの谷 1641

アルプスの谷 1641

1641年、マレドという街で何が起こり、その事件に関係した人々が、その後、どのような運命を辿ったのか。-その記録


( 全体の目次はこちら(本サイト)からご覧いただけます )


続きは2月18日にアップします。


なお、番外編として、この記録の時代背景についての記事を


2月13日にアップします。こちらも併せて、ご覧いただければ幸いです。


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10. マルティーナ


1641年当時、25歳。教師。その美しさばかりでなく淑女としての評判も高かった。恋人との


婚約も整い、前途を祝福される時、突然、魔女として告発される


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 夜、一日の務めを終えて一息入れていた私の家の扉を乱暴に叩いたのは、


一群の兵士たちでした。


「マルティーナを出せ。悪魔と契約を交わし、主イエス・キリストを冒涜


した咎により逮捕する」


 答えを待たず、兵士たちは扉を打ち破り、一瞬前までは平和そのものだ


った私の家になだれ込みました。魔女の嫌疑を掛けられた娘を取り戻そう


とする父や母を、まるで犬か何かのように足蹴にして、男たちは泣き叫ぶ


私を部屋から引き摺り出しました。私は縛り上げられ、荷車に放り込まれま


した。そして、異端審問所に運び込むや、頭陀袋のように石の床に放り出し


たのです。


 一昼夜を真っ暗な牢獄で過ごした私は、やがて審問室に連れ出されました。


訳も分からず見回していると、巨大な椅子に納まった審問官ジョットーと目


が合いました。その白濁した目が、黒い頭巾の奥から射るようにこちらを見


ています。やがて侮蔑するかのような低い声が、薄い唇から洩れるのが聞こ


えました。


「ここに連れてこられた理由は分かっているな。告発により、お前には魔女の


嫌疑がかかっている。これより審問により真実を明らかにする。」


「これは何かの間違いでございます」 私は声を限りに叫びました。「審問官


様、お慈悲でございます。もう一度、お確かめください。私が悪魔と契りを


交わすはずはないではありませんか。なぜそのような恐ろしいことをおっしゃ


のですか」


「私はこれまで百人もの魔女を断罪してきた。しかし、最初から素直に自分


が魔女だと認めたものなど一人として見たことはない」 私の渾身の叫びを


ジョットーは馬鹿にしたような笑いで返しました。「真実は審問で総て明ら


かにされよう」


 ジョットーの合図のもと、刑吏は私の服を全て剥ぎ取りました。魔女であ


るならば、その徴がどこかにあるはずだと信じられているのです。私が裸に


されると、部屋の中にはすぐ異様な空気が漂いはじめました。男たちの顔に


は押し殺したような卑猥な笑みが、あのジョットーの顔にさえも浮かぶのが


見て取れました。私は怒りと恐怖と屈辱に震えながら、とめどなく涙を流し


ていました。魔女なら涙を流したりはしない。審問官なら、そんなことぐら


い知らないはずはありません。しかし、審問官たちは自分に都合の悪いこと


には見向きもしませんでした。刑吏はその薄汚れた手で、私の体を丹念に探


っていきました。自分の体のことなら、自分が一番良く知っています。私の


体には痣一つもありません。何も見つからないと分かると、今度は剃刀を使


って、髪の毛から体毛まで、あらゆる毛を剃り落とし始めました。大事にし


てきた自分の金色の髪が、床に積もっていくのを見た時には、もはや枯れ果


てたと思われた涙が、再び流れ落ちました。私の体を文字通り、頭の天辺か


ら足の裏まで丹念にまさぐる刑吏には、さすがのジョットーも「もう良い」と言っ


て止めさせたほどでした。


「審問官様、もうこれで分かったでしょう! 私は魔女ではございません。


どうぞ父や母の待つ家に帰してください。私は愛する人と結婚の約束もして


いるのです。私が悪魔の一味と淫らな行いに耽るような女ではないことは、


父や母、そして私と誓いを交わしたあの御方が証言してくださいます」


 しかし、ジョットーは私の言葉に耳を傾けることすらせず、刑吏に向かっ


て小さな声で何か指示をしたのが分かりました。


「針師を呼べ」確かにそう聞こえた気がしました。


 針師とは一体なんのことか、私が計りかねていると、やがて一人の矮小な


男が審問室に入ってきました。刑吏や審問官に卑屈な挨拶を交わすと、男は


私の後ろに回りました。次の瞬間、強烈な痛みが私を襲いました。首筋に指


の関節ひとつほどの深さにまで、針が突き刺さされたのです。魔女なら体のど


こかに痛みを感じない場所があるはず、それを見つけようとしているのです。私


は針を刺される度に体を捩り、叫びにならない呻き声を上げ続けました。刺さ


れた場所から、一筋ずつ血が流れだし、やがては私の体を真っ赤に染めてい


きました。針を刺され続ける苦痛で心臓が止まるか、発狂するか、どちらが先か


と思いました。が、突然、苦痛は途切れ、男の勝ち誇った声が聞こえました。


「この女、やっぱり魔女ですぜ」


 私は息を切らして、床に蹲り、顔を上げる気力もありませんでしたが、「やはり


そうであったか、自分の体を見てみろ」 というジョットーの声が耳に入りました。


強張る首を無理に捻っていくと、霞んだ目に一本の震える針が見えました。


それは確かに自分の背中に刺さり、男が針の頭を指で弾いているにも関わら


ず、私は何も感じることができなかったのです。




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