タイトルに示したことを自分なりの理論で説明したいと思います。
前回の書いたことで、大学のゼミとかでコミュ障っぽいやつ(空気読める読めない以前に、公の場で自分の話を聴衆に快く聞かせるということができない人)の特徴で、服がダサいと言い放ちましたが、それともやや関わる話です。
ちなみにタイトルのことは、早稲田大学教育学部の石原千秋先生が何かの本で書いてらしてインスピレーションを受けました。
まず、私たちは外で出歩く以上、あらゆる人に視界に写ることになります。
一目見たときに、人間は視覚優位の生物ですから、殆どの場合、第一印象はその人の見た目で決まるわけです。
顔、身長、体格、髪型、服装などといったところでしょうか。
この中で簡単に変えられるのは髪型や服装ですね。
見た目に気を遣う人というのは、それだけ自分が他人からどう見られるか(あるいはどう見られたいか、見られたくないか)を気にしています。(自分もそうです笑)
そこに関してある一定のポリシーが多分あります。
万年スーツで出勤する教授や先生は多分そういう感覚がないのではと思います。
教授は講義や学会で、人前で表現者としてパフォーマンスするわけです。
表現者は相手に満足してもらうことを目指すのが普通です。
当然、表現者としての自覚を持っていれば、見た目には気を遣います。
舞台の上では誰であれ衣装を着てある程度メイクを整えるのと同じ感覚です。
今の日本の文化的規範に沿った上で、人前に出ても恥ずかしくないであろう格好、あるいはややオシャレな格好をして相手によい印象を与える。その上で講義内容で満足させる。これって結構もっともな感覚だとは思いませんか?
でもここでいうおしゃれというのは、例えば教授だったら40~60くらいでしょうから、その年でも、ジーパンにシャツ着たりとか、あくまでそういうレベルの話です。
もちろんオシャレな格好をした教授が全部いいとはいいません。
けれども感覚的に自分の大学でもオシャレな先生は比較的、講義内容も充実しています。
それでもって、コミュ障は服がダサいっていうのとどう関係するかというと、さっき言った、「自分が他人からどう見られるか(あるいはどう見られたいか見られたくないか)」という視点が欠如しているからです。
ちなみに、ここで言っているのは、度を越したダサさのことです。
例えば、女子大学生でジーパンにTシャツとか、上は蛍光色+蛍光色で下はボロいジーパンで靴は運動靴履いてる男子大学生とかね。もう何なんだお前はと。どうやったら、そういう感覚が生まれるんだと。なら、まだ上下スウェットのほうがいいぞと。
話し方でも、そういう視点はとても重要でしょう?
「えーっと」とか「まぁ」とかはできるだけ使わないほうがいい。この感覚は話を聞いて、この人話すのうまいなぁという人からある程度帰納的に導き出せる。
それをしないということは、自己と他者を相対的に比較して、その上で自身の向上につなげるということができないということですから、そんな人はどこに行ってもあまり使える人間になる見込みはないですよね。
まとめると、話し方で人をイラつかせる人は本当にどうしようもない人だし、それが改善される見込みがなければ、どこでなにやってもその人の性質的に開花することはほとんどないんじゃないかなということです。
それは教授や先生でも同じで、つまらん講義をする人は大抵、格好良くもないスーツで万年出勤しているものです。
課題の合間の愚痴でしたヽ(´▽`)/