バカになるということ
しばらくブログを更新していませんでした。
職業柄、僕は様々な文体で文章を書きます。
で、
しばらくブログを更新していないと、
「あれ?どうやってブログを書いてたっけ?」という具合になる。
書き方を忘れるね。
できるだけ“素の自分”でブログに文字を綴りたいと思いつつも、
その“素の自分”といったものがどういった面持ちなのかを忘れる。
すぐに自分を見失うシッキーでございます、こんあんあ。
っつー感じで!
今日は「バカになるということ」について書きたい。
「バカになれ」という言葉をよく聞きます。
僕も常々「バカな自分でありたい」と思って生きてきました。
ところが、その「バカになれ」という言葉を述べる人達がこぞって賢い人間達であるということに気付いたのは、つい最近のことです。
賢人の「バカになれ」という言葉を妄信して、バカを目指して生きてきたら本当にバカになってしまった。
で、実際に僕が本当にバカなのかどうなのか検証するのはよしとして、この「バカになれ」という言葉の本質を今一度探ってみたいと思うのです。
そんでもうめんどくさいから結論からポポイっと言っちゃうけど、
「バカになる」ってのは、かいつまんで具体的に言うと、
「良識を持った上で社会と法律を恐れるな」
ということだと思うんですよね。
たとえば僕は、これまでにバカをやるために反社会的なことばかりして生きてきました。
ここ数年まともだけど、この「悪への傾倒」の心理は、「かっこつけたい」とか「迫をつけたい」といったような浅ましい欲求に起因するものだった。女性がブランドに傾倒するようなもんかもしんない。
お陰で僕は、法律とか税務署とか警察とか弁護士とか、未だに嫌いだし怖いです。
悪いことはしてもいいんです。
ただ、本当に悪いことはしちゃいけないんですよね。
してもいい悪いことってのは、「悪くない悪いこと」。
この微妙なニュアンスを理解できなければ、本当のバカにはなれないと思うんですよね。
端的に言っちゃうとモラルの問題なんだけど。
あー、ちょっと待って。なんかめんどくせーな。
つまりね、なんつーの、まぁ要はね、
頭の良い奴らは、これらを説明するのがめんどくせーから、もう大体のところをはしょって
「バカになれ」
という一言で済ませてるっつー話ですわ。
以上!
恋
こんあんあーシッキーです。
最近は、もうなんか、ね。
楽しいよね毎日。
好きなことしかやってない。
まぁ、近況報告はそんな感じで、
いやー女の子って大変やなーって思う。
あ、恋ね。恋の話。
女の子ってほんと繊細でいじらしくて可愛いよ。
男の些細な言動で傷ついたりへこんだり悲しんだり。
いいなー
みんな恋してますか?
ところで、うんこってほんと大変だよ。
ひねり出されて流される。
うーん、
うんこってほんと大変。
Sickyでした。