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無題

友人の子供が、最近二足歩行を始めたそうです。



まだ会っていません。



最後に会った時はまだハイハイでした。



そんなに前の事じゃないんですけどね、子供の成長って早い。



これがまた可愛くてしかたないわけです。



僕の携帯電話の待ち受け画面、ずいぶん前からその子の写真ですし。



たまに待ち受け画面を人差し指でなでなでしながら「よしよし」ってしてますからね。



まぁ、なんかあまり懐かれていないような気がするけど。







そもそも僕、その友人夫妻が大好きなわけ。



そいつらの子なんだから、これが可愛くないわけがない。



「うわーい!」ってなるわ。



近々会えそうです。



子供が好きな割りに、どう振る舞えばいいのかわからなくて戸惑ってばかりいた僕ですが、最近ではその子に会うと、どこかの親戚のおばちゃんみたいに「可愛いねーまた会えたねーよちよち!」とできるようになりました。



まぁ、その子は男の子なんですけど、もし女の子だったらなかなか「可愛いねー!」ってできないかもしれません。「こいつ、ロリコンの変態なんじゃねぇの?」という世間の誤解が怖いです。

ただでさえ外見からして「まともじゃない」と見られがちなんだから、この世知辛い世の中、おいそれと女児をつかまえて「よちよち」なんて言えませんよね。



でも、子供って可愛いよねー



子供とお年寄りと動物に好かれるようなロッカーになりたいと思います。











無理か。







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無題

創作とか芸術って、すごく遠回りですよね。



人って、自分の頭の中にあるものを、何らかの形にして人に伝えなければならない。



言葉もそうです。



思っているだけじゃ、自分の頭の中にある想いや意思や想像は人に伝わりません。

頭の中を覗けるテレパシー機械があれば、自分の感情も意思もすべて完璧に相手に伝わるでしょう。それができないって、なかなかの不便さ。人間って、不便。



もし脳みそ覗き見ができれば、色々なものがもっとずっと早く洗練されて、研ぎ澄まされただろうに。芸術だって自己表現だってコミュニケーションだってすべて完璧なプロセスを歩んでいたはず。早い時期に醜い戦争を終え、人を許すという思想が人類の習慣となり、「怒り」や「憎しみ」がエンターテイメントになっていたに違いない。



そう考えると、表現をする作業なり行為なりって、すごく遠回り。







そういえば最近、久し振りに原稿用紙にペンで原稿を書くという機会があったのですが、原稿を書く形式や様式、表現って、すげぇ面倒くせぇ。字体の良し悪しまで気にすると、本当に面倒。何枚書き直したことか。



人って、結局どこまでいっても生身だ。



パソコン、デジタル家電、果てはファッションや流行に至るまで、実はすべてアナログな人間らしさの上に成り立っているものだとは思いませんか。



音楽もそうです。

絵を描くのも、造形するのも、映像を作るのもそうです。







世の中には「すげぇ!」や「素晴らしい!」が溢れている。



でも、芸術に関しては、



評価を求める旅を終えなければ、きっと人は自分の脳みそに忠実な物なんて作れない。



脳みそに忠実な表現なんて不可能なのかも。



そう考えると、



相対的な評価が必要な人間社会って、すごく残酷で不気味で、不器用だと思います。



芸術だって、結局はバーチャル。



コミュニケーションも、ある意味では言葉というバーチャルであり、態度、仕草、立ち居振る舞いというバーチャルです。



人間が発信するものって、受信する人間がその人柄や発想や感性、個性や世界観をバーチャル的に体感する一つの媒体に過ぎない。



俺ら結局生身の人間なんだから、



バーチャルがリアルに勝つことなんてないんですよね。



それを補うために、日本語には「没頭」という言葉がある。あるいは「熱中」という言葉がある。



習慣や伝統というものがあって、常識や倫理観がある。



あーなんだろ。



もどかしいよね。



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ココメモリ第七話

ココメモリ第七話を公開しました。



今回は、東京スカイランドからの帰り道でのお話しです。



https://www.youtube.com/watch?v=8wuCXYgg0_w



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