私のブログに来ていただいて

ありがとうございます。

このブログでは神経発達症(ASD,ADHD)の

長女のことをメインに書いています。

 

こんばんは。

前回は中央寄せのフォーマットで書いてみましたが、

パソコンとスマホでは文字の位置がちょっとずれるんですねあせるあせる

スマホで見るときはちょっと見にくいですが、そのままにしておこうと思います爆  笑

 

今回は私と長女のある日のやりとりを書こうかなと思います。

 

長女がずっと「私は悪い子なのかな」とか「私の性格って悪いのかな」

と毎日のように言います。

私は全然そうは思いません。

長女にも伝えています。

 

それでも、毎日のように同じことを聞きます。

これも特性なのかな。

毎日同じ答えしか返ってこないのに。

 

何度も聞いてくるので、こちらもいい加減疲れてきてしまって、

「何度聞いても同じ答えよ」って言うと、

 

「陰で悪口を言ってる子が嫌なんだ。面と向かって言ってほしい」って長女はぽつりと答えました。

 

「そっかー。お母さんは直接言われる方が傷つくから、陰で言ってくれてた方がいいな。

放っておけばいいだけのことだし。

自分の性格悪いとか言われたって、それが私だから直せないって思っちゃうよ。」

と私は言いました。

 

まぁ、ここからも色々と話していたのですが、

 

「お母さんのアドバイスを聞いても、難しいなって思っちゃう。

私の見方が変わったらお母さんのアドバイスが私に入ってくるのかなぁ。」

と言われてしまいましたショボーン

 

本当にアドバイスって難しい。

私と長女は違う人間だから、感じ方も違えばポリシーも違う。

私も結構直球どストレートだと思っているのですが

長女も直球どストレートではあるものの、やっぱりちょっと私とは違うんですよね。

直球どストレートになる場面が違うのかなぁと思っています。

 

長女の「どうして私は怒りっぽいんだろう。そんな自分にイライラする。」という話にも

 

「年をとれば怒ると疲れるから怒らなくなるんじゃない?

お母さんも怒ると疲れるし、疲れたくないから怒りたくないよ。

でも怒れるお母さんはまだまだ元気ってことよ

もっと年をとったら怒らなくなると思うよ」

と答えていますが、長女は納得してないなって思います。

 

たぶん、長女はただ聞いてほしいだけなんだろうな。

私が話してもあまり長女には響いてない気がしています。

話を聞いて、長女はどう思うか、どうしたいかを聞いたりもしますが、

いつもできてるわけじゃないです。

話を聞いて、余計なアドバイスしてしまいけんかになったりもします。

 

長女が神経発達症だったから考えるようになった「普通」。

確かに特性があることで困り感はきっと多くある。

でも、一緒に暮らしていると

長女の「普通」というものが見えてくる。

同じ「普通」という言葉なのに

一般的な「普通」と長女の「普通」は同じじゃないものがある。

だからわからなくなるんだと思う。

そこから自分が普通じゃないって思ってしまうんだと思う。

悲しいなと思う。

普通じゃないことは今後強みになるはずなのに。

人から見られる自分を気にしすぎて自分を見失ってるように見える。

オンリーワンを目指して子育てしてきたけど、

中学という思春期はすごく邪魔してくる。

早くこの時期が過ぎてほしい。

今はたくさん悩んで、嫌なことも経験して糧にしてほしい。

 

長女のような子はあまり嫌な経験はしない方がいいみたいだけど

もういじめにあってしまっている以上、

これより酷いのはないんじゃないかと思っています。

 

最近、米津玄師さんの歌をよく聞きます。

「飛燕」という曲が好きなのですが、

 

猛り立つ声には 切なさが隠れている

誰がその背中を なでてやろうとしただろう

 

という歌詞に、長女が中1でいじめられていた時のクラスメイトを思ってしまいます。

誰も手を差し伸べてくれなかったことを。

 

ずっと 羽ばたいていた 未来へ向かう 旅路の中 

道の正しさは 風に託して ただ進んでいけ

 

ここは、長女へのアドバイスになるなぁって思って聞いてしまいます。

長女は正義感が強くて正しいことをしたい、裏を返せば間違ったことはしたくないという気持ちが強くて動けない時があるので、まずは思ったようにやってごらんと伝えられそう。

 

長女には、まだまだやれることもたくさんあるし、

これからどんどんできることも増えていくと思うんです。

今の状況を嘆いて、歩みを止めないでほしいと思います。