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名宝を訪ねる~日本の宝『文化財』~

国宝や史跡、天然記念物などの国指定文化財を巡り堪能し、その魅力を紹介するブログ

毎度、当ブログへお越しいただき、ありがとうございます。

 

今回は、北信地方(長野県の北部・豪雪地帯として有名)だったらここは絶対紹介しておきたい!という文化財を訪ねます。

 

それは白馬村青鬼(あおに)重要伝統的建造物群保存地区です。

 

 

山村の茅葺民家の風景を残したいとして選定されたのでしょう。思った以上に山奥でした。

 

それでは訪ねてみましょう。

 

  青鬼集落までの道

 

私は愛車で訪ねたのですが、公共交通機関を利用する場合の経路をたどってみました。ただ、集落まで来る路線バスはないので、最寄駅からタクシーを利用することになると思います。


最寄りの駅はJR大糸線・信濃森上駅となります。


白馬駅から一駅、JR大糸線の信濃森上駅

 

 

駅前は、下の写真のようにとても寂れています。

 

この駅は無人駅です。リゾートで有名な白馬駅はひと駅隣です。かつては有人駅で、新宿駅からの特急が停車していたこともあったというから、その凋落ぶりは甚だしいものです。

 

かつては賑わっていた面影が残るものの、すっかり寂れてしまった信濃森上駅前

 

隣の白馬駅は駅も大きく、駅前には商店が立ち並んで活気にあふれていました。さすが、リゾート地の玄関口といった様相です。

 

ひるがえって一駅隣の信濃森上駅は、正直見る影もありません。かつては民宿などもあったようです。看板を掲げたお宅がありましたので。

 

今はどう見ても看板だけ残して、経営していないようです。かつての賑わいは遠い昔のこと、のようです。

 

というわけで、信濃森上駅でタクシーを捕まえることはとても難しいことと思われます。公共交通機関を利用して青鬼集落を訪ねる場合はJR白馬駅で下車、タクシーで訪問、ということになります。

 

 

私は例のごとく愛車で訪ねました。駐車場はあるので心配いりません。

 

 

信濃森上駅の前を通る県道をさらに北上すると、右手にダムが見えてきます。

 

姫川に設けられた「姫川第二ダム」です。

 

放水する姫川第二ダム

 

 

本格的なダムでした。当日はダムマニアなら熱狂する「放水」を味わえました。

 

そして県道は堰堤の前に架かる橋を渡ります。

 

姫川第二ダム下流を渡る橋

 

 

橋を渡ってすぐ、県道から分かれて山の方へ登る道があります。

 

青鬼集落への標識はこの山道の方向を指していました。標識に従って県道から岐れ、山道に進みました。

 

青鬼集落への道 県道との分岐点

 

急に道が狭くなり、心の底に不安が湧いてきました。「対向車が来たらすれ違えるのか!?」

 

 

とはいえ、とにかく進んでみるしかありません。道は左へ右へとうねりながら、ひたすら山奥へ続いています。途中に民家は一切なく、「本当にこの先に集落なんてあるのかびっくりマークはてなマーク」と、マジで不安になります。

 

しかもこの道、この奥で進められている砂防堰堤の建設工事のため、大型ダンプが日に何度も往復しているようなのです。

 

こんな狭くてうねる道をびっくりマーク反対からダンプが来たらどうすりゃいいんだ…滝汗

 

と、先ほど湧いた不安は大きくなり、緊張が増します。

 

うねりながら斜面にへばりつくように登っていく山道

 

実際には途中に待避所が何箇所かあるので、対向車にそれほど気を遣うことはありませんでした。やがて急に目の前が開けました。先のダムの分岐点から10分ほど登ったころです。

 

民家が見え、急に生活感が感じられました。そこが青鬼集落でした。

 

目の前に急に民家が…

 

道の終点に集落訪問者向けの駐車場がありますので、ここに車を停めて散策しましょう。

 

 

 

  白馬村青鬼 重要伝統的建造物群保存地区

 

駐車場は集落の一番西のはずれにあたります。

 

「山深い場所だな…。伝建地区(重要伝統的建造物群保存地区)じゃなかったら、絶対訪ねてくるような場所じゃないよ…。」

 

というのが第一印象です。

 

青鬼地区 西から

 

しかし、伝建地区になり有名になったのか、意外と訪問者は多いようです。この日も3組ほどのグループを見かけました。

 

白馬村青鬼地区は山村の藁葺き(現在は鉄板被覆)民家の集落である点が重要視されました。

 

集落西端の民家

 

今でこそ青鬼集落まではメイン街道である松本街道(千国街道)から狭い山道を登ってたどり着くような、袋小路のような場所にある集落ですが、松本街道から千国宿(現:北安曇郡小谷村)で分岐する善光寺道はかつて、この青鬼村を通って戸隠神社や善光寺方面へ通じていました。

 

ここに集落が築かれたのは、かつて人通りの多い街道沿いだったからなのです。

 

しかし時代が進み、人の流れも変わってしまったので山間の鄙びた集落となってしまったのです。交通は不便、耕作地は収量が多いわけではないのに手入れが大変な棚田や斜面での畑作、となれば人口が流出してしまうのも必然で、かつて24戸あった集落も、現状では15戸が残るだけとなり、しかもほとんどは空き家化しており通年で居住している住民は数えるほどとなっているそうです。

 

とにかく過疎化が極端に進んで限界集落と化し、伝統的建造物の保存にも支障が出ているようです。

 

民有地や伝統的建造物(空き家)への不法侵入は特に問題となっているようで、今後の保存活用にどこからどれだけの資金を投入するのか、とても気になります。

 

 

この集落にある民家は寄棟で、平入の軒端を切り落としたような兜造りの民家が特徴で、ほとんどの民家は近代に入った明治中期までに建てられたとみられています。

 

明治年間に集落中央の民家が焼失する大火もあったそうですが、旧態を復した民家で再建されたおかげで景観が保たれました。

 

 

青鬼集落を代表する民家は公共施設として利用できるように整備され、「お善鬼の館」と名付けられていました。ここはちょうど集落中央にあたる建物で、青鬼集落に残された民家の構造が見学できる施設としても公開されていました。

 

お善鬼の館

 

お善鬼の館 囲炉裏や梁、柱が昔ながらに残る座敷

 

お善鬼の館 座敷に祀られた神棚や仏壇は伝統的なまま残されている

 

お善鬼の館 活用しやすいように現代的に改装されている集会室

 

お善鬼の館では古い大きな梁や柱が見られる

 

古い民家の構造がそのまま残り、材となった樹の曲がりをそのまま利用して大きな屋根を支えている様子がわかります。

 

そもそもこの周辺は豪雪地帯。雪の重みにも耐えられるように敢えて曲がった樹木をアーチ状に構造材として利用しているのでしょう。

 

 

お善鬼の館を出て、集落を歩いてみます。

 

集落自体はさほど大きくなく、現存する伝統的建造物の住宅は14棟だけです。

 

集落の中央通り

 

これらの住宅がほぼ、同じ標高に沿って並んでいるため、独特な集落の景観を形作っています。

 

 

集落内の民家

 

同じ標高に沿って並ぶ独特な集落の景観

 

 

屋根の棟の先端には、漢字が一字書かれています。かつて大火があったせいか、火難除けの「水」の字が多いですが、屋号を示すものもあるそうです。

 

棟先の「水」の字

 

その他、住宅ではない蔵も伝統的建造物となっています。

 

 

  青鬼地区の棚田 北アルプスを背にした絶景

 

集落の東、宅地が途切れたその先には棚田が広がっています。棚田は集落の耕作地として景観を形成している重要な要素であり、伝統的建造物とみなされています。

 

そちらへも足を運んでみました。ただし今でも耕作が行われているので、遊歩道以外は立ち入り禁止となっています。

 

青鬼集落では稲作や畑作、養蚕が主な生業だったそうで、水田耕作は傾斜地に棚田をつくって行なわれていました。

 

集落東方に広がる棚田

 

山の斜面に築かれた棚田

 

 

棚田の畔には石垣を構築し、土止めを行っていました。それらの石垣はほとんどが江戸時代からのもので、修繕を繰り返しながら利用されてきました。

 

棚田に築かれている、土止めの石垣

 

 

棚田の高所からは北アルプスの山々を背景にして集落の全景が眺められます。

 

時期を選べば北アルプスの山脈をバックに千国街道沿いの街並みを眼下に眺め、水田に張られた水には山々が反映して風景画のような絶景が眺められるようです。

 

この日は残念なことに北アルプスの高山は雲に隠れてしまい、絶景とはいきませんでした。

 

棚田の高所から眺めた集落 眼下に白馬村の中心部が見えるが北アルプスの山々は雲に隠れていた

 

 

  青鬼集落を形成した伝統的な構築物たち

 

その他にも伝統的建造物があります。ここからは集落の形成に大きく関わっている神社、水路、石仏群を紹介します。

 

 

まずは村の鎮守・青鬼神社から。集落の北斜面に鎮座します。

 

集落の中央付近から北側斜面に向かって登る石段があり、その奥に神社の境内がありました。

 

青鬼神社の参道は酸素を消費する

 

さすが、山間集落の神社です。石段の傾斜と長さは半端ないです。息を切れ切れ登ることになります。

 

やがて二の鳥居が見えてきますが、もうその両側はご覧の通り、鬱蒼とした杉の木の森です。

 

青鬼神社の参道 鬱蒼とした森の中に二の鳥居と、その奥の社殿が見える

 

 

そして集落北斜面の中腹に、青鬼神社は鎮座されていました。

 

青鬼神社の社殿

 

古くから青鬼集落を見下ろし、お守りされてきたのでしょう。ここでは9月の祭礼時に「火揉みの神事」が行われていて、昔ながらの方法で火を起こし、祭礼に使用する神聖な火を焚くそうです。

 

 

そして、この村では沢の上流から安定して水が供給されるように「青鬼上堰」と「青鬼下堰」という2本の水路が設けられました。人間の生活に欠かせないのが水利。これらもしっかりと見てきました。

 

青鬼上堰は集落北側の斜面上を、等高線に沿うように流れていました。青鬼神社裏をさらに登った斜面上で見ることができました。

 

青鬼上堰 青鬼神社裏にて

 

 

青鬼下堰は棚田の中央付近を流れ、集落内ではその中央を横切って流れていました。集落の裏手あたりで見るのが、一番雰囲気があります。

 

青鬼下堰 集落東端のあたりにて

 

 

また集落の西端、南北に石仏群が1ヶ所づつあり、やはり青鬼神社と共に古くからの信仰の風景を伝えています。

 

北側にある阿弥陀堂石仏群には現在もお堂があります。

 

阿弥陀堂石仏群

 

 

南側の向麻石仏群には双体道祖神や庚申塔、観音仏などの石塔がありました。

 

向麻石仏群

 

 

以上で、青鬼集落のほぼ全域(立ち入りできるところ)を網羅して歩いてきました。

 

いまやこれほど日本の原風景を留めた山間集落は、過疎や限界集落の問題を抱えていて滅びつつあります。

 

私の住む埼玉県にも山間集落はありますが、やはり限界集落の問題を抱えていて、中には廃村となったところも少なくありません。

 

廃村になってしまうと空き家への不法侵入だけでなくイタズラや放火といった問題まで生じ、それによって山火事といったさらに大きな問題も発生してしまいます。

 

そういった直接的な問題だけでなく、伝統や生活習慣の断絶といった日本らしさ、文化の部分の消滅という問題が挙げられます。青鬼集落でも直接には話を聞けませんでしたが、建造物の保存だけでなく、おそらく伝統的な神事や行事の継続、ひいては集落の存続といった問題が発生していると想像されます。

 

行政も伝統的建造物群保存地区に選定だけしておいて、お金のやり繰りもあるせいか、これらの問題を先送りにしているだけに感じられました。

 

私もお金さえあれば、こういった事業にドーンと寄付したいところですが、まず自分の生活がありますからそうはいきません。やはり行政に何とかして欲しいところです。