毎度、当ブログへお越しいただき、ありがとうございます。
今回は福島県伊達郡桑折町にある「桑折西山城跡」を訪ねました。
なんでも、仙台藩伊達氏の先代にあたる伊達氏14代・稙宗の本拠だったというお城です。
伊達家の分国法として有名な『塵芥集』は、時代的にここで制定されたと考えられているくらい伊達家の歴史上、重要なお城です。
伊達政宗は17代目であり、稙宗は政宗の“ひいおじいちゃん”にあたります。
そんな由緒あるお城の跡が福島県の北端に近い所にあったとは知りませんでした。
それでは行ってみましょう。
桑折西山城跡を訪ねる
桑折西山城跡へは、東北自動車道なら国見インターから約10分ほど、電車ならJR東北本線の桑折駅が最寄りです。
ちなみに、桑折は“こおり”と読みます。初見では読めないよね。
桑折町内をチョチョッと走ると、桑折西山城跡への案内標識が表れます。
それに従って進むと、だんだん山の方へ向かいますがご安心ください。
そのまま案内に従って進めば、やがて桑折西山城に関するガイダンス施設がありますので、そこの駐車場が利用できます。
桑折西山城ガイダンス施設がある「大かや園」
このガイダンス施設、桑折町の老人福祉センター「大かや園」に併設されていて、日帰り入浴施設もあります。
お城訪問の後でひとっ風呂浴びるのもいいかもしれませんよ。
なお、大かや園の名前にある“大かや”は、施設の目の前にある「万正寺の大カヤ」が由来です。
こちら、福島県指定天然記念物にもなっているカヤの大木で、一見の価値があります。
なお“万正寺”とはこの辺りの地名で、お寺はありません。
でもかつては、ここにそんな名前のお寺があったともいわれています。
桑折西山城へ
では、早速お城へ行ってみましょう。
ところで、「仙台藩伊達氏のご先祖のお城なんだから、大きな石垣があって歩きやすいんだろうな」などと思ってはいませんか![]()
それは大きな間違いですから、気を付けてください。
西山城は山の上にある、いわゆる山城です。時期によってはシカやイノシシが出るようです。クマが出ることもあるようです。
それなりの装備で向かってください。
大かや園でガイダンス施設を訪ね、まずは解説と出土品の展示を見ました。
桑折西山城の紹介DVDでは城郭考古学で有名な千田嘉博先生が、城跡を実際に歩いて解説される様子が放映されていました。
そして施設を出て、登城口のあるところまで歩きます。
さあ、ここからはちょっとしたハイキングですよ。
登城口にあった平面図で、城内の郭の配置を把握しておきましょう。
ここからしばらくは整備された遊歩道が続いています。しばらく歩くとこんなゲート
があり、猪除け柵がありました。
ここで察してください。野生動物に遭う可能性もあるんか
と。
今回は時期的に野生動物との遭遇はなさそうなので、熊鈴・虫除けなどは用意しませんでした。
まあ、西山城を訪ねる際はご注意ください。
ここから山道です。
途中、かつての大手道の跡がありました。
小さな平坦地が段を築いてました。
かつては、ここから谷沿いに本丸まで直登するのが大手道でした。
いやあ、思った以上に「土の城」じゃん!
ここで『塵芥集』がまとめられたっていうから、もっと石垣とかがあるお城かと思っていました。
戦国期の、まさに「東国の城」といった感じだったので、意外です。
こういったお城の方が好き![]()
大手道は、ここから直登もできますが、道は藪に埋もれて危険が伴います。登城の際は自己責任でお願いします。
私は整備された現在の道で登りました。
この道は九十九折れに登っているので、緩やかで安全に登れます。
やがてかつての大手道と合流し、大手門跡へ向かいます。
まあ、大手道はかつてここで直角に曲がっていたようで、いまや新道の方がまっすぐに大手門へ向かっているので、どこから大手道に重なったのか、今ではわかりません。
しばらくは登りで、まもなく大手門跡の石碑が見えてきました。
大手門跡は調査では見つかっていないそうです。
しかし、ここは左からは二の丸の裾に位置する切岸が迫り、右からは谷を切るように設けられた低い土塁が今も見られます。
また、道も虎口のように曲がっています。
そんな理由から、ここに大手門があったと推定されています。
大手門跡の碑から山の上を見上げてみてください。
斜面には、腰郭とか帯郭といわれる小郭がたくさん築かれている様子が見られます。
そのさらに上の山上に本丸や二の丸があるのですが、ここはまず、出郭だった“砲台場”へ行ってみましょう。
まずは“砲台場”へ
大手門の右手、谷を切るように設けられた土塁の始点側に、本丸方向から張り出すように伸びる尾根があるのがわかります。
まずは、この尾根の上に登ってみました。
この尾根の先端に「砲台場」と呼ばれる出郭があります。
登った先は尾根先端が平らに整地されて開けていました。ここが砲台場です。
なんでも明治時代の初め、戊辰戦争の際に仙台藩が反政府勢力だった会津藩に対して、ここに砲台を設けたそうです。
現在も土塁に5カ所の窪んだ部分があり、砲門を設けた跡とされています。
また、この土塁の前には犬走り状の平地があり、砲弾を砲筒に詰めるためではないかとされています。
つまり、土塁は明治時代に造られたもので、戦国時代のものではないんです。
ま、それを踏まえての「桑折西山城跡」なので、ここもしっかりと見ておきたいポイントです。
現地では土塁は見えたのですが、砲門を据えた窪みについては、いかんせん草木が深すぎて近寄り難く、確認できませんでした。
実際に大砲を置いたのか、砲弾を撃ったのかどうかは記録がなく、わからないそうです。
西山城の出郭だったのは間違いありません。
本丸・二の丸を攻める
では、いよいよ本丸へ行きましょう。
砲台場から大手門跡へ戻り、谷をはさんだ反対側にある階段を登ります。
階段を登っていくと、先ほど大手門から見えた多くの帯郭、腰郭がその両脇に見られました。
この階段を登り切ったところに、本丸表門の跡があります。
ここからは薬医門だったのか、4本の柱および柵列の跡が見つかっています。
調査によって見つかった柱の跡が表示されていました。
ここから先が「本丸跡」になります。
本丸の中央には「高館城跡」の石碑がありました。
かつては高館城とも呼ばれていたそうです。
本丸跡を歩いていると、桑折西山城がなぜこの場所に築かれたのか、がよくわかります。
西山城のある山と、その向こうに見える山の間は非常に狭く、いわゆる「狭隘な」谷状の地形をつくっているのです。
桑折町のある場所は福島盆地の北にあたり、この狭隘な地形のために中・近世の奥州街道はここを通過していたのです。
なお、古代から中世のかつての東山道もここを通っていたとのこと。
現在もJR東北本線、東北新幹線、東北自動車道、国道4号はここを通過しています。
すなわち、桑折町は交通の要所となっているのです。
千田先生もガイダンス施設のDVDの中でこのことを解説されていました。
私も先生に倣って、ちょうど通過した東北新幹線を写し込んで写真を撮ってみました。
東北新幹線「やまびこ」が通過しているのがわかりますか![]()
さて、本丸内では発掘調査が行われ、大きな掘立柱の建築物跡が見つかりました。
この建物は本丸内で政務を担うための建築物だった「主殿」の跡と見られています。
こんな山の中にこんな巨大な掘立柱の建物があったんです。
ここで『塵芥集』もまとめられたと考えられています。
『塵芥集』は、まだまだ戦国期の動乱が続く中で編纂されたんですね。
伊達氏のお家存続の思想的中心となった貴重な心構でもありますから、それはこんな実戦的な時代と現場で生まれたんだと思うと、感慨深いですね。
また、本丸の周囲の斜面も、防御のための施設がいっぱい見られました。
たとえば、帯郭の跡とか。
本丸を取り囲んでいた空堀の跡とか。
また、搦手口とみられる裏門の跡も発見されています。
二の丸から中館へ
ここから本丸・二の丸へ戻ります。
ちなみに二の丸は本丸のような郭があるのですが、発掘調査も行われておらず目立った特徴がなかったのか写真を撮っていませんでした。
なんてこった![]()
桑折西山城は高館といわれた本丸・二の丸以外にも、中館、西館といわれた大きな郭がありました。
これらの郭は高館とは別の城のように機能していたと見られていて、大きな郭や防御施設が今も残っています。
本丸から二の丸を通って、まずは中館に向かいました。
二の丸から、整備された遊歩道を歩いてきます。
やがて大きな平坦地が見えてきました。これが中館です。
周囲が切り立った斜面・切岸に囲まれ、枡形虎口も設けられています。だから別の城のように機能したといわれているのでしょう。
中館の郭内には現在、見られる遺構はありません。
その周囲の切岸は、中館に残る遺構らしい遺構です。
その他、ガイダンス施設の解説によると、現在まで残っていて見られる遺構としては枡形虎口があるはず。
その場所は中館の南東側。
現地でガイダンス施設の平面図と照らし合わせてみたら、通路から外れた場所でした。
なんとまぁ…
現地は草に埋もれていました。
踏み分け踏み分け、行ってみることにしました。
その場所は草が深いですが、なんとなくスロープがあり、かろうじて桝形になっているのがわかりました。
上の写真で枡形がわかりますか![]()
発掘が行われているようなので、いずれ復元が行われるかもしれません。
中館から二の丸・本丸方向を望みました。
こうやってみると大きなお城だよね。
石垣がない「土のお城」だからちょっと舐めてかかっていたけど、そこはやっぱり伊達氏が築いた城だったんだね。
中館から西館へ
中館から西館へ向かいました。
途中、薬研堀の巨大な空堀が斜面を遮ってて、迫力を感じました。
この薬研堀が中館と西館を区画しています。
ここを過ぎると西館に入ります。
西館には土塁が残り、発掘調査で全貌が明らかになった「二重枡形」といわれる珍しい形状の虎口も見られます。
この二重枡形虎口は桑折西山城跡の一番の見所らしくて、見学通路の整備方法を見てもイチ押しらしいことがわかります。
もともとこの通路は両側が石積で築かれていたらしいです。
この虎口は城破却のとき徹底的に破壊したらしく、通路側に石が大量に転がっている状態で発掘されました。
崩された石積の石が通路上に大量に転がっていた状態が発掘され、そのまま整備されてます。
ところで、実はこの桝形虎口には、崩されていない石積が見られます。
下の写真は現地の解説板から引用した平面図ですが、赤い丸のところに石積みが残っています。
この石積、上の平面図で見れば積まれた方向は通路側に向いていないことになります。
崩されなかった枡形の遺構なのか![]()
後世に築かれたシカやイノシシなどの野生動物除けの石積(いわゆる猪垣)か![]()
現地には解説がありませんでした。
すっげぇ気になる…
当時のものなら興奮モノだし、猪垣なら興味ないわ…
分かる人、教えてください。
というわけで桑折西山城を見てきました。
図らずも仙台藩伊達氏のルーツをたどる見学となったことや、この場所に巨大な城が築かれた理由、その残り具合の良い城跡などなどを見学できて大満足です。
皆さんもぜひ、桑折西山城を訪ねてみてください。
よろしかったら「いいね」や、フォロー申請をお願いします…
































