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山梨県にある「御勅使川旧堤防」。
治水システムの遺跡として、これほど総合的に残された場所は全国的にも珍しい。
そんな遺跡を訪ねています。
今回は3ヶ所の指定地の内2ヶ所目、「将棋頭」を訪ねました。将棋頭は2カ所に残されています。
上空から見ると、将棋の駒のような形をしていることから「将棋頭」といいます。
駒の頂点に当たる部分に川の流れが当たり、 流れの勢いを分散させています。
それによって堤防の内側にある集落は洪水から守られる、というわけです。
まずは市内竜岡に残る「竜岡将棋頭」へ向かいました。
現地には高い所が周囲に無く、将棋の形を眺め渡すことはできませんでした。
堤防に沿って歩くと将棋の形を感じることはできるのですが、写真でお伝えするのは難しいです。
堤防の築き方や石の積み方、使用している石材は石積出と同じようです。
何度も修築が繰り返されているため、一番古い基礎部分がいつ築かれたかははっきりわかりませんが、少なくとも17世紀には築かれていたと考えられています。
現地には基礎まで発掘された様子が残っているのですが、現在の地面から3~4mほど下まで掘り込まれています。
水害などで上流から流れてきた土砂が堆積し、埋没していたんですね。長期に渡って水害と戦ってきた痕跡ですよ。
将棋の駒を彷彿とさせる堤防の屈曲がありました。
集落や田畑をかばうように築かれた堤防なので、結構な規模の堤防なんです。
だけど、写真ではその大きさを全望できませんでした。せめて堤防の端っこから堤防を遠望してみたので、その大きさを感じてください。
続いて訪ねたのは、御勅使川対岸に当たる場所にある「白根将棋頭」です。
コチラは発掘調査によって堤防の一部が見つかり、その部分が露出展示されていました。
将棋の駒の形は失われています。
やはり現在の地面から4mほど下に基礎の石積みが見られ、水害の歴史を感じました。
石積出もそうでしたが、発掘調査をした深さが水害や河川の流れに運ばれた土砂の堆積の厚さを物語っています。
それを掘り起こした現代の調査技術にも驚きますが。
それぞれの遺跡は石積みが見られる程度で地味かもしれませんが、こんな堤防遺跡が御勅使川流域では各所で発見されています。
一本の河川沿いに様々な形の堤防が築かれていることも興味深いです。
その一部が史跡指定されて保存されていますが、これらは御勅使川流域で発見された堤防遺跡のごく一部なんです。
次回は御勅使川旧堤防の3カ所の指定地の3ヶ所目、最近になって史跡公園として整備が完成した「枡形堤防」を訪ねます。