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前回は群馬県の草津温泉を紹介しましたが、今回は草津から程近い所にある「六合赤岩重要伝統的建造物群保存地区」(以下、赤岩集落)を紹介します。
この集落は一時、世界遺産に推薦もされた集落です。富岡製糸場などと共に推薦されたのですが、選定されなかったということがありました。
それでも、群馬県を代表する養蚕で発展した集落です。それが理由で重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。
ちなみに赤岩集落のある中之条町六合は、平成の大合併以前は「吾妻郡六合村」という自治体でした。“ろくごうむら”ではなく、“くにむら”と読みます。
人気お笑いコンビ「タイムマシーン3号」の関 太さんの出身地だそうです。旧六合村では全村を挙げて(?)関さん推しです。
では、訪ねてみましょう。
国道292号線を草津温泉から南下します。途中、白砂川が形成する谷の西岸に沿って進みます。すると、やがて対岸に赤岩集落が見えてきます。
赤岩集落は白砂川の東岸傾斜地中腹にあります。
チャツボミゴケのときに紹介した、旧長野原線の太子駅跡から程近い場所です。
292号線から標識に従って左折し、川を渡ると集落の北端です。ここに駐車場があります。
集落内は自動車で移動するには向きません。なのでこの駐車場に駐車して後は集落内を散策しましょう
現在も生活を営む人たちがいますので、迷惑にならないよう静かに散策するのがおススメです。
ここは江戸時代まで、農業や林業を生業とした集落でした。もっとも山深い村では耕作できる土地が少ないことは想像に難くなく、生活は厳しいものがあったようです。
ところが明治に入り、質の良さやヨーロッパでの蚕種の病気(微粒子病)の大流行があり、日本産の生絹は急速に需要が拡大しました。そんな時勢に合わせて赤岩集落でも養蚕が盛んになり、蚕の飼育に特化した造りの家々が建ち並ぶ、現在の集落の姿となったのです。
集落内には養蚕のために改造された家々が密集しています。だから伝統的建造物群保存地区に選定されました。
そのうちの一件を紹介します。
このお宅は、屋根に煙り出しの天窓が残っている、典型的な養蚕農家です。1階が住居、2階が養蚕のための空間になっています。
また下の写真のお宅は、1階は今でも居住されているのですが、2階を養蚕博物館「かいこんち」として公開しています。集落の道から直接2階に出入りできるようになっているのが特徴です。
ただ、このような養蚕農家の建物は赤岩集落だけで見られるものでもありません。私の家の近所でも見かけますが、以前養蚕をやっていたお宅は採光のために2階の窓が大きく、屋根に天窓が付いています。
赤岩集落を特徴づけるのは養蚕農家が集まった家並みだけでなく、大量の蚕を飼育するために3階建てになったお宅でしょう。三階屋といいます。元は4棟あったそうですが、現在まで残るのは「湯本家」と「関家」だけになってしまいました。
湯本家は町指定文化財にも指定されています。
土蔵造りで、江戸時代に遡る建物だそうです。江戸から逃亡する高野長英を匿ったという言い伝えもあります。事前に予約すれば内部も見学できるそうですが、この日は予約しなかったので外観を見ただけでした。
今回はもう一件の三階屋、関家を見学させてもらいました。
関さんのお宅も1階は今も居住されており、見学は2階以上となりました。今もお住まいになられているので、写真は数枚だけ紹介させていただきます。
2階と3階は吹き抜けの空間となっていて、ここで大量の蚕を飼育していました。
ここに下の写真のような蚕棚が大量に置かれていたわけです。最盛期には人を雇い、親戚も呼んで一晩中世話をしたということです。
通気のための武者窓や、床の通気穴なども当時のままに残されていました。
養蚕農家が通気を特に気にしている理由は、ご存知でしょうか?
蚕の生産に温度管理はとても重要なのですが、今と違って空調が整っていなかった当時、気温が下がるときには火鉢などで暖を取りました。
効率よく暖気を循環させるには通気が必要だし、大量の火鉢を使用すれば一酸化炭素中毒にもなります。そのために通気窓や煙り出しのための天窓が必要になるのです。
そして赤岩集落では蚕の餌となる桑や、田畑の耕作も行われていました。関家には、そのための作業場所としての納戸もありました。
関さんには快く見学させていただいたお礼を述べて関家を後にし、赤岩集落の共同作業所だった建物や、集落の信仰を集めたお堂なども訪ねました。
下の写真は、稚蚕飼育所だった建物です。最近まで集会所としても使われていました。稚蚕飼育所とは、卵から2~3齢くらいまで蚕を孵化、成長させる場所です。蚕は4回の脱皮を繰り返して成長する(4齢)ため、農家の負担を減らし生産効率を上げるために共同で行われることがありました。
そして集落のはずれにある毘沙門堂。これらも伝統的建造物です。
他にも、六合赤岩重要伝統的建造物群保存地区としては寺院や神社、そして集落背後にある山林も地区に入っています。広大な山林は赤岩集落の入会地だったようです。この山林なくして赤岩集落もなかった、重要な存在なんです。
惜しくも世界遺産にはならなかった赤岩集落ですが、富岡製糸場などと共に群馬の製糸業を支えた地区であることは間違いありません。世界遺産じゃなくても貴重な文化財です。みんなで大切にしていきましょう。
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六合赤岩重要伝統的建造物群保存地区 (平成18年7月 重要伝統的建造物群保存地区選定、群馬県吾妻郡中之条町六合赤岩)
赤岩集落は55世帯、138人が居住する山村です(2013年調査)。集落は白砂川の形成した谷地の東岸斜面中腹に形成され、背後には入会地の山林が広がっています。江戸時代には田畑の耕作や林業で生計を立てていましたが、明治時代になって養蚕が盛んになり、近代的な技術が導入されて発展しました。
地区内には赤岩神社の他に祠堂、水神や山の神、馬頭観音などの信仰に結び付いた石像や石碑、墓地が点在し、養蚕のために発達した住居が残されていて山村の養蚕集落が特徴的に残されていることから重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。