山梨県甲州市・勝沼氏館跡を訪ねる ー  | 名宝を訪ねる~日本の宝『文化財』~

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国宝や史跡、天然記念物などの国指定文化財を巡り堪能し、その魅力を紹介するブログ

今回も当ブログへお越しいただき、ありがとうございます。

 

今回紹介するのは、お城らしくありませんが中世の「お城」です。

 

全体に地味な風景ばかり紹介することになります。しかし、このお城はその内容がおもしろいので、最後までご覧ください

 

 

このお城は主郭部分が広く全面的に調査され、豊富な出土品が出土しました。そのため、戦国期の武士の生活をかなり詳しく明らかにしました。

 

また遺構の保存状態が良好でした。だから出土品と合わせて、城内の施設やその機能が明確になりました。

 

そのうえ、家臣屋敷跡などの外郭部分ではまだ未発掘のところがかなり広範に残っていて、地形から相当良好な遺構がまだまだ眠っているようです。

 

そんな城跡なので、ここではその魅力が十分伝わらないでしょうけれども、ぜひこのブログを見ていただきその存在を知ってもらいたいのです。

 

それでは、訪ねてみましょう。

 

そのお城は、「勝沼氏館跡」と称されています。広大な範囲が国指定史跡に指定されていて、主郭部分は史跡公園として整備されていますので、どなたでも気軽に訪問できます。

 

勝沼氏館跡(東半部全域を高台から見たところ)

 

 

以前に紹介した大善寺から甲州街道を甲府方面へ向かいますと、勝沼氏館跡の駐車場入り口が左手に現れます。

 

勝沼氏館跡の駐車場入口

 

 

この付近は甲州街道の「勝沼宿」にあたり、館跡は宿場のほぼ中央付近にあたります。こんな街中で状態が良いままのお城跡が見つかったのがまず驚きです。

 

甲州街道と勝沼宿の街並み

 

上の写真、道路右側の街並みのすぐ裏が勝沼氏館跡なんですよ。お城としては交通の要所を抑えた、ナイスなポイントです。

 

 

館跡の発見は山梨県が県立ワインセンターの建設に先立って行われた埋蔵文化財調査によるものでした。その豊富な内容から史跡の全面保存が決定しました。

 

調査の契機となった旧山梨県立ワインセンター(現・県産業技術センター)

 

今も当時のワインセンターは史跡公園の隣接地にあります。なぜか史跡指定範囲に建てられています。

 

「遺構は壊さないから」って前提で建てられたんですかねぇ?

 

わざわざ史跡地内に建てなくてもよかったんじゃありません?マニアとしては胸にモヤモヤしたものが残りますね。

 

 

 

 

 

 

 

勝沼氏館跡は大きく「内郭」、「北西郭」、「北郭」、「東郭」、「郭外・家臣屋敷地」と区画されています。

 

勝沼氏館跡 平面図

 

まずは駐車場から西側に行ってみましょう。こちらには最初に発掘された内郭部が、史跡整備されて見学できるようになっています。

 

最初に内郭を囲う大きな堀が現れます。

 

内郭を囲う堀(東から)

 

 

しかもこの堀、実は土塁を伴って二重に内郭を囲っていたんです。外側の土塁跡も一部ですが残存していました。

 

二重土塁 外側の土塁(残存部)

 

 

今見られるのは内側の堀だけ。しかも保存のために土が覆せられているので元の堀よりだいぶ浅いです。

 

発掘時はもっと深かったとか。復元(埋め戻し復元)なのが残念です。

 

内郭を囲う堀(西から)

 

堀跡西端から内郭へ入れる木橋(内郭北側馬出)があるのですが、その前に内郭東側へ回ります。

 

内郭東側には東郭からの通路があったらしく、本来はここにも木橋があったそうです。

 

木橋の基礎が石組で残されていました。

 

内郭東側 木橋跡(遠景)

 

 

内郭東側 木橋の基礎

 

木橋が再現されていないので、ここから内郭へ入ることはできません。

 

内郭へ入るにはもう一度西側へ回ります。

 

西側には県道(県道34号 休息勝沼線)が館跡を分断するように南北に走っています。入口は県道のすぐ脇にありました。

 

内郭への入口(内郭西側)

 

 

県道の向こう側にも館跡は広がっていて、「北郭」「北西郭」と呼ばれていたようです。

 

ただこちらは観光農園の敷地になっていたので、見学は遠慮させていただきました。

 

北西郭跡を内郭から眺める

 

 

内郭への入口には木橋が再現されていました。その先には馬出があります。

 

内郭西方馬出と再現木橋

 

この木橋、手すりなどが一切ありません。この日はあいにくの雨で、木橋の上は滑りやすくちょっと怖かったです。腰が引けつつ、何とか渡りました。

 

ここから西方を見ると、日川が形成した谷地形がよく見て取れます。なぜここに館跡が築かれたのか、地形の面でもよくわかります。

 

日川は館跡の南側を舐めるように流れています。館側には崖が形成されています。館跡南側では日川が天然の堀の役割を果たしているんですね。

 

勝沼氏館跡の西方を望む

 

 

ちょっと寄り道しましたが、内郭へ行ってみましょう。内郭はいろいろと復元されていて、解説が省略されている復元遺構もあるようでした。

 

内郭(北側馬出)

 

北側門 番所跡

 

 

下の写真のような石積みも、整備事業で垣根の基礎のために築かれたわけではないようです。

 

解説のない石積み

 

馬出のところに復元平面図があるので見較べてわかったのですが、ここからは石組の水路が出土しているんです。

 

それを復元しているんですね。

 

その他はおおむね遺構表示があるのでわかりやすいです。

 

内郭 南西部の工房跡

 

南西部にある工房跡からは、焼土層や鉄滓が見つかっていて小鍛冶工房があったとみられています。

 

またこの周辺からは溶融付着物がある土器が大量に見つかり、その付着物を分析したら金を精錬していたことと、その金がここから北西方向にある黒川金山から産出したものであることまでわかりました。

 

金の産出場所と精錬場所が明らかになった例は珍しく、注目されたそうです。

 

 

黒川金山は4年ほど前に訪ねていますので、そちらの記事もどうぞご覧ください。

 

 

 

内郭の中心建物は礎石建ての大きな建物だったようです。これが主屋だったようです。

 

内郭 全景(北東から)

 

 

内郭 中心建物(西から)

 

 

主屋に並んでほぼ同規模の礎石建物があり、常の御座所とされています。

 

常の御座所跡(南から)

 

 

その北側には水汲み場や台所とみられる遺構が発見されました。

 

内郭 水汲み場跡

 

水汲み場はしっかりとした石組で囲われていて、日常の水源として利用されていたようです。

 

この水汲み場や台所周辺からの出土品は充実していて、土器や木製品もさることながら魚の骨や果物の種まで見つかり、当時の館内の日常生活がかなり詳しく再現できるほどだったようです。

 

他にも半地下式蔵や櫓台、会所跡なども検出されています。北東隅からは雪隠(厠)の跡も見つかっています。

 

当然、寄生虫卵の調査もされたようですよ。

 

半地下蔵跡

 

 

内郭東門 櫓台跡

 

 

 

雪隠跡

 

 

 

内郭を出て、東郭跡へ行ってみましょう。

 

東郭は館の拡張で広がった区域で、土塁や堀跡、工房跡、家臣屋敷跡などが見つかっています。

 

東郭 東側土塁

 

東郭 堀跡

 

 

東郭 工房群

 

東郭の工房群は掘立柱建物群で、今では木組や木杭で遺構の位置表示があるのみです。

 

しかしここからの出土品は充実しており、各建物が何の工房だったか特定できるほどだったそうです。

 

すごくないですか?

 

 

そして東郭の東端からは家臣の屋敷とみられる建物跡、馬屋跡が2つ見つかっています。

 

今は復元された掘立柱で土壁造りの建物がありました。

 

 

家臣屋敷跡(北側の屋敷)

 

家臣屋敷跡(南側の屋敷)

 

東郭のさらに東には家臣屋敷群とみられるエリアがあります。こちらは面積が広く、果樹園となっていることもあり調査が行われていないようです。

 

しかし、城下町が形成されつつある状況が保存されているとみられていて、今後の調査結果が楽しみなエリアです。

 

もしかしたら果樹園の段々もそれぞれが家臣屋敷の跡なのかもしれません。

 

館跡東側の家臣屋敷エリア

 

 

最後に、館の北東側にある尾崎神社をお参りしました。こちらは館跡の鬼門除けとして創建されたと伝えられていて、勝沼氏館跡の一部として史跡指定域に含まれています。

 

登り口は下の写真のような急傾斜です。

 

尾崎神社 参道入口

 

 

斜面を登り切ると、小さな祠がポツンと祀られていました。これが尾崎神社でした。

 

尾崎神社

 

これで勝沼氏館跡を隅々まで周りました。

 

いかがでしたか?

 

私としては遺構もおもしろかったのですが、なんせとても充実していたという大量の出土品が見たかったです。

 

出来れば現地で。

 

山梨県立埋蔵文化財センターに所蔵されているとのことですが、ここからだとやや遠いのです。

 

現地にワインセンターなんか建ててないで、出土品の博物館をつくればよかったのに、と山梨県の政策を批判しながら、館跡を後にしました。

 

 

 

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勝沼氏館跡(昭和56年5月・史跡指定 山梨県甲州市勝沼町勝沼)

 

勝沼氏館跡は15~16世紀に活躍した有力武将の館跡です。武田信虎(武田信玄の父)の弟である信友がこの地を拠点とし、勝沼氏を名乗っていました。

 

本文でも述べましたが、遺構もさることながら出土品の充実した量が特筆され、当時の武将の生活が詳細に復元できる貴重な遺跡として史跡指定されました。