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昨年の今頃、千葉県にある香取市佐原伝統的建造物群保存地区(以下、伝建地区)を訪ねました。
ここは栃木県栃木市、埼玉県川越市と共に「蔵造りの街並み」として、数年に一度「蔵の町サミット」などを開いて「蔵の街」として全国的に売り出している観光スポットです。
川越市は地元埼玉県だから何度も訪ねたことがあります。栃木市にも行ったことがありますが、実は蔵造りの街並みが伝建地区ではなく、訪ねてみて初めてその事実を知りました。
残った佐原だけは行ったことがなく、以前から気になっていました。
佐原はさらに、あの「測量の父」伊能忠敬を生んだ街でもあります。
伝統的建造物群保存地区(以下、伝建地区)内で伝統的建造物の一角を成している「伊能忠敬旧宅」は国指定史跡となっていて、さらにその向かいにある伊能忠敬記念館には国宝に指定された「伊能忠敬関係資料」が保存展示されています(こちら、実物を見るのはなかなか難しい国宝ですが、一部を見ることができたのでいずれ紹介します)。
そのような理由から、一度行ってみたいと思っていました。今回、GWを利用して初めて佐原伝健地区を訪ねてみました。
佐原伝建地区を形成する街並みは、南北に流れる小野川の河岸と、それに直行するように走る県道(旧香取街道)沿いに形成されていました。
県道が小野川を渡る橋は、偉人にちなんで「忠敬橋」と名付けられてます。
この忠敬橋を中心に、小野川沿いと街道沿いに東西と南北に街並みが広がっているのです。地図で見ると街並みは十文字に広がっています。
まずは街道沿いを歩いてみました。
道に面して“これぞ蔵造り!”な家が並んでいます。いきなり核心に迫られ、少々興奮してしまいました。
いずれの家も入口が狭く、奥行きのある短冊形の土地に建っています。どこかで紹介した、街道に面した商家の作り方ですね。
反対の東へも行ってみましょう。
こちらはレンガや石造りのモダンな建物が並んでいます。ちなみに写真の道路左手にあるレンガの建物はもと三菱銀行佐原支店だった建物です。千葉県指定文化財となっています。
この通りも商家街でした。明治13(1880)年には川崎銀行の出張所(のちに支店に昇格)がこの地に開設されており、早くから商業的な発展が見込まれていたのでしょう。
三菱銀行佐原支店旧本館は大正3(1914)年に川崎銀行佐原支店の新社屋として建てられたもので、モダンなレンガ造りです。川崎銀行が後に三菱銀行と合併したため、「三菱銀行佐原支店旧本館」という指定名称になっています。
建物上部の角にある緑色のドームが横浜の開港記念会館を思わせ、印象的です。
こちらは内部も見学できました。直線的なデザインを多用した内装が緊張感を産んでいます。お金を数え間違えたらいけませんからね、銀行らしい内装です。
そして石造りの看板建築は家具屋さんでした。近代的ですが、これも伝統的建造物の一つです。
このあと一旦、橋まで戻って今度は川沿いを歩いてみました。
こちらは蔵造りの民家はほとんどなく、木造の家屋が多いです。入口も格子の引き戸が多いです。
そしてやや古い感じの家が多く、蔵造りの街並みとは印象が大きく違いました。しかし、だからなのかとても気持ちが落ち着き、安心感がありました。
蔵造りの家より木造の家が多いのはなんででしょう?
川沿いだから舟運の集散地だったために問屋が多いのかな?
蔵造りの街並みは過去に大火事にあった場所が多く、大火事のあと家々を復興するのに火災に強い蔵造りで建てる例が多いです。佐原も明治25(1892)年に大火事があり、その後に蔵造りが増えたといいます。
もしかして川沿いは水に面しているだけに延焼を免れたとか?
調べてみれば、川沿いに問屋街が多かったのは間違いありませんでした。
佐原の町は古くから香取街道と小野川の舟運で栄えました。陸運と水運が交わる場所、物流の集散地として発展したわけです。
ですから、街道沿いは小売業が、河岸沿いには問屋街が形成されたとのこと。
街並みが違った雰囲気な理由の一つはその点にあるようです。ただ、川沿いが大火事を免れたのかどうかまではわかりませんでした。
佐原の街並みには、千葉県指定の文化財として保存された建物も多いです。先の三菱銀佐原支店もそうですが、他にも次のような建物が指定されています。
特に中村屋商店さんや福新呉服店さんは「佐原まちぐるみ博物館」として、店舗経営の他に内部の見学もさせていただくことができます。
これで、佐原の町を探訪し終えました。
蔵造りと問屋街が住み分けたように存在する一方、モダンなレンガ造りや石造りの看板建築も残る、多様な建物が一つの街を形成する独特な佐原という町に改めて感慨を深めました。
私もいろいろな伝建地区を訪ねましたが、毎回それぞれの街に生い立ちがあって、それぞれ独特な街並みが形成されていることを知ることになります。
地域性や積み重ねた歴史の違いによって様々な街並みが形成されていることを知ると、日本は決して単一な気候や風土で成り立っていないことを強く実感します。それを感じたいために私はあちこちを訪問するのが楽しいのです。
今度はどこの街を訪ねようか。
そんなことを考えながら、佐原の街を後にしました。
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香取市佐原伝統的建造物群保存地区 (平成8年12月・伝統的建造物群保存地区 千葉県香取市佐原)
香取市佐原は千葉県の東北部に位置し、旧佐原市の中心部は南北に流れる小野川と東西に走る香取街道が直交する地にあります。ここには13世紀にはすでに市場があったことが知られていて、古くから栄えた場所であったようです。江戸時代には小野川沿いには“佐原河岸”と称して舟運で繁栄し、伊能家が酒造を始めてからはそれによっても繁盛したそうです。伊能家は、後に「測量の父」と称された伊能忠敬の出身家でもあります。
佐原の中心地は明治25(1892)年に大火に見舞われ、それをきっかけに街道沿いには店蔵を漆喰で造る“蔵造り”が流行しました。それがきっかけで蔵造りの街並みが有名になりましたが、伝建地区になった大きな理由は小野川沿いと香取街道沿いでの建造物の発達の違いにあり、小野川沿いの寄棟造・妻入りの家が多いのに対し、香取街道沿いでは切妻造・平入の家が多いうえにレンガ造りや大正以降の石造りや鉄筋コンクリート造りの店舗があるなど、多様性に富んだ街並みに理由があります。