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今回は愛知県西尾市にある久麻久神社本殿を訪ねました。
※この記事は過去記事です。
愛知県西尾市は多くの文化財を抱えています。とくに西尾市吉良地区は、『忠臣蔵』で有名な吉良上野介の知行地だったそうです。
吉良地区には行かなかったのですが、西尾市内には歴史ある神社がいくつかあります。久麻久神社も延喜式内社とされる由緒ある神社です。
特に、この神社の本殿は国指定重要文化財となっています。それでは訪ねましょう。
久麻久神社本殿を訪ねる
久麻久神社は西尾市内にある八面山の中腹に鎮座します。
ここの本殿は16世紀、室町後期の神社建築とされているそうで、貴重な建物ということで重要文化財に指定されています。
解体修理の際、向拝の蟇股に「大永7(1527)年」の墨書が見つかっており、様式などから見てもその頃の建築とみて間違いないそうです。
早速訪ねてみましょう。
八面山は西尾市の中心からやや東寄りにある小さな山ですが、西尾の市街地から望むことができます。その中腹にある神社ですから、本来は山そのものを聖域として祀った神社だったのではないでしょうか。
麓に駐車場があるので車を停め、鳥居をくぐって急な石段を登ります。正面に拝殿がありますので、ご挨拶をしました。
この神社の御祭神は牛頭天王。この神様は本来、厄神とされています。京都・八坂神社の御祭神で、疫病をもたらすと考えられたそんな神様です。疫病が流行るとお祭りをしてなだめすかし、疫病の退散を祈った、そうやって始まったのが京都の祇園祭の起源とされています。
また、その荒ぶる姿から『古事記』の素戔嗚尊とも同一視されていて、この神社でも由緒書きに御祭神を「牛頭天王(素戔嗚尊)」と書いていました。
なんでこんな話をくどくどとするかというと、これから見る本殿の建築様式にそれらのことが関係していると思われるからです。
とにかく、お参りをしてから本殿の方へ回ってみましょう。
本殿は拝殿より一段高い位置に、石垣を築き石柵を巡らした段の上にありました。
素敵な檜皮葺の屋根ですが…
何か気付きませんか?
屋根が入母屋造、平入りではありませんか。入母屋造は寺院建築に多く、神社建築だと別名“八坂造り”ともいわれます。
京都・八坂神社の本殿がその代表例です。そちらは国宝に指定されました。やはり入母屋造・平入りになっています。八坂神社の建物自体は江戸時代の建築ですが、おそらく建築様式は平安の昔から踏襲されていることでしょう。
これは仏教建築の影響とみられています。
ここ久麻久神社も入母屋造・平入り。久麻久神社は祭神が牛頭天王なので八坂神社と何らかの関連があるのでしょうね。
正面三間、梁間二間、正面と左右に縁と高欄をめぐらしています。正面には屋根から伸びた向拝があり、見世棚風に上がり縁が設けられていました。
この向拝が先に行くにつれて強い曲線を描いてせり上がっているところが、この建物の力強さを演出しています。
さて、もっと建築の細部を見てみましょう。
あまり装飾がなく、白木の質素な建物です。
その代わり、組物が力強く感じられる。向拝のせり上がりといい、質実剛健な感じは室町後期の建物っぽいです。
正面から見ても木組みがしっかりしていて、そのかわり彩りがないのはこの時期の建築によく見られる特徴です。
この後、安土桃山時代になると彩色や彫刻がワッと増えていくのが、にわかには信じられません。
わずかばかりの装飾が見られるのが、向拝と蝦虹梁の間に見られる、手挟の彫刻
ここに、ちょこっとばかり、雲と渦巻を組み合わせたような彫刻が見られました。
向拝の正面、蟇股にも彫刻がありました。丸彫りなんですよ。その代わり、あまりデザイン性は高くない、彫りも浅いです。
時代性を感じます。
木鼻にもわずかばかり、雲形の彫刻がありました。こちらは劣化が著しいため、だいぶデザインが崩れていました。
本殿正面にも蟇股彫刻が見られました。菊のような花の彫刻です。こちらは浮彫でした。丸彫りを填め込んでいる、といった方ががいいのかな?
この久麻久神社本殿、近寄って見ることができません。神域ということだからなのか、周辺は立入禁止となっていました。ズームレンズを駆使して、ここまで見ることができました。
それでも附指定でさらに、本殿内の宮殿や鰐口などがあるそうなのです。
しかし、さすがに本殿内まで見せてくれとは言えませんでした。神様のおわしますところは、直接見ることはやはりお断りされるものだし、やたらと見ていいものでもないでしょう。見たいですけどね。
というわけで、神様に辞して次の目的地へと向かいました。
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