毎度、当ブログへお越しいただき、ありがとうございます。
今回は庄内平野を代表する近世城郭、山形城跡を紹介します。
お城の跡は私もあちこち訪ねますが、私以上にお城マニアといわれる人はたくさんいらっしゃいます。山形城跡もそういった方々がその歴史を紹介していますので、歴史の解説はそちらに譲ります。
私が訪ねる理由といったら「なぜ、文化財に指定されているのか」を実地で見聞するためですから、早速お城の跡を訪ねてみましょう。
それでは、レッツゴー![]()
山形城跡を訪ねる まずは二の丸外周から
山形城跡はJR山形駅から徒歩で15分で到着します。
地元の方には「霞城公園」で通っています。公園内には県立博物館や体育館などがあり、山形ではサクラの名所でもあります。
明治時代になって日本陸軍の駐屯地となったこともあり、城内の建物はすべて破壊されてしまいました。
本丸の周りをぐるりと囲うように二の丸が、さらにその外側を大きく加工用に三の丸があるのが山形城の特徴で、いわゆる『輪郭式』のお城でした。
本丸にあった堀は埋め立てられ、かつてのまま残された遺構は二の丸の堀と門の石垣、土塁や三の丸の一部の土塁と堀くらいでした。
ところが日本陸軍が退去したあと、本丸と二の丸の範囲が霞城公園として市民に開放されるようになり、公共施設や運動場が築かれました。
しばらくは市民の憩いの場となっていたのですが、その後に城内を発掘してみたらかつての本丸の堀や土塁、石垣がよく残されていることが分かったのです。
今、かつて県営野球場だったところは発掘調査が行われ、その成果に基づいて本丸の土塁や堀、建物跡などの復元が進められています。
東北有数の大規模な近世城郭の遺構が復元できる状態で残されていたのは貴重でしょう。
現在は山形城の本丸と二の丸の範囲、三の丸に残るごく一部の土塁と堀跡が国指定史跡となっています。
JR山形駅から北へ15~20分ほど歩くと、霞城公園の入口に到着します。ここはかつての山形城二の丸の南大手門と呼ばれた門の跡になります。
山形城は門だったところに石垣が築かれていますが、これが良く残されています。
二の丸南大手門も石垣が良く残されています。打ち込みハギでワイルドな感じが近世初頭の石積みらしくていいです。
隅の算木積みとその勾配も見事です。
南大手門東側の土塁の上には、土塁の上に塀があったことを示す基礎石が見られます。
そして、山形城は門のところ以外は基本的に土塁と堀に囲まれたお城です。
そんなところもまだ中世城郭の名残を見せていて、いい感じです。
現在見られる山形城の姿に整備されたのは山形の雄・最上氏のあと、元和8(1622)年に山形藩へ移封された鳥居忠政の時代とされています。
霞城公園は山形城跡の二の丸より内側一帯のことを指します。
本丸は一度埋め立てられているので堀跡などはほとんど復元になります。
先に当時の様子がそのまま見られる二の丸の4ヶ所の門と濠・土塁を巡りましょう。
山形城跡に残る二の丸の遺構
山形城の二の丸は現在も水を湛える濠跡と土塁で囲まれています。
その範囲は、かつて野球のグラウンドがあって県立博物館や体育館も建てられたくらいですから充分に広いです。
土塁や濠には折れなども見られ、中世城郭っぽさが感じられました。
その周囲には南大手門、西不明門(「あかずのもん」と読みます)、北不明門、東大手門の各門が設けられ、南と東の大手門が城内への主要な出入口でした。
二の丸の堀に沿って外周を一周してみようと、歩きはじめました。まあ、このあと「やめとけばよかったかな?」と後悔することになるのですが。
二の丸南大手門から見た西側の濠 この濠の外側をここから歩き始めたのですが…
まずは西廻りに、南大手門から西不明門へ行きました。
こちらと北不明門は、かつて緊急のとき以外には開くことはなかったといわれる門です。だから「あかずのもん」といわれました。
しかし、その石垣や桝形は非常によく残されています。
とくに西不明門は連続桝形といわれる、桝形(城門で、周囲が土塁や石垣に囲われた通路部分で、防御と反撃がしやすいように直角に曲がっている構造)が並んだ珍しい平面形をしています。
西不明門の外枡形 石垣に囲われて直角に曲がった通路が良く残る、枡形の典型
連続桝形が残っている例は珍しいのだとか。
ただ、普段は使わなかった不明門なのに、なんでこんなに厳重な構造をしていたのかが疑問ですね。
西廻りにまわっているので、続いては北不明門に向かいます。
ここも見事な石垣が残っていて、それぞれに櫓や門があっただろう痕跡が見られて、城好きなら興奮すること必至な見ごたえある門です。
でも、画像ではイマイチ伝わらないので大幅にカットさせていただきました。
簡単な説明で済ませて申し訳ありませんが、次の東大手門に行きたいと思います。
山形城 二の丸東大手門を見る
ここで、文章を章分けしました。
なんでここで分けたかというと、東大手門は往時の姿に復元されているからです。山形城跡の見どころの一つとなっています。
明治期の写真なども残っていたようで、それらを基にして元来の建築法で復元されているところに意気込みを感じました。
櫓門だけでなく、その南に伸びた櫓も復元されていて、かなり立派な城門だったようです。
江戸城を彷彿とさせるとのことで時代劇や映画の撮影にも「江戸城の城門」としてロケ地に選ばれることがあるそうです。
山形城跡 本丸を訪ねる
お城といえば本丸ですね。
ここを落とさなければ城を攻略したとはいえないのですから。
では、山形城の本丸はどうなっているのかというと…
明治時代になってから、日本陸軍に駐屯地として城内の土地が明け渡されて駐屯地となったため、本丸の濠は埋め立てられて整地されてしまいました。
戦後には野球場などがあったそうです。
で、先にも述べましたが発掘してみたら濠などは割とそのまま埋められたために結構いい状態で残されていたそうです。
まあ、土塁や石垣の上部はそれなりに破壊されていたようですが。
今、山形城本丸跡はかつての威容を復元するために発掘調査が進められています。
本丸跡の現状 遠くに発掘調査を進めている区画(ブルーシートで覆われているところ)が見える
また、一部は調査が終わって復元も終了しています。
実際に見ました。
見た感想としてはまあ、復元するのはいいんですけどね。
こういうのって、これではいかにも重機で造りました感がバリバリじゃないですか。
私は、このカクカクと整備されている土塁があまり好きではありません。そんなにカッチリと造る必要、ある![]()
![]()
まあ、景観を長く保つためには仕方ないのかな。
ほかにも、かつて本丸にあった一文字門が復元されています。
石垣が黒いところと白いところにくっきりと分かれていますね。
下の黒っぽいところは発掘調査で出土した石垣。
白いところは絵図などを基に門の復元のため、新しい石を積み直したもののようです。
きれいに復元されて、調査を基に雁木も復元されています。
発掘調査では、絵図と同じ位置で井戸が出土したり、絵図にはない石垣が出土したりもしています。
なかなかの見どころです。
山形城内で発見! 石垣の刻印
石垣といったら、刻印を見つけるとテンション上がりますよね。
山形城の石垣にも刻印がありました。
いずれも二の丸北不明門の石垣で見つけました。
刻印ではありませんが、城内の石垣から見つかった銘文のある石も城内に展示されています。
一文字門の前の堀から、崩落した石垣の石の中から見つかったそうです。
この年に一文字門石垣の修築記録はないそうで、発掘調査によって明らかになった新たな山形城の歴史といえるでしょう。
山形城の三の丸土塁
山形城の二の丸までの範囲が現在の霞城公園です。
野球場や体育館、県立博物館も入ってしまうほどの広大な面積が山形城の二の丸までの範囲です。
これだけだって相当に広いのですが、ところが山形城にはその外側にさらに三の丸があったそうで、その内側に家臣団の屋敷などがあったというのです。
現在も三の丸を囲っていた土塁と濠の一部が3ヶ所ほど残されています。
そのうち、十日町にある歌懸稲荷神社境内の土塁と堀は山形城跡の附指定地となっています。
霞城公園からここまでは、なかなかの距離です。JR山形駅をはさんで反対側にあるのですから。
え
だとすると山形新幹線も通っているJR山形駅って、お城の中にあるんか![]()
どれだけ広かったんだ、山形城…
すごいわ…
というわけで、東北有数の規模を誇る近世城郭、山形城跡を訪ねました。
あまりに広いので、見残してきているところがあります。
それが三の丸の土塁、残る2ヶ所。
国指定史跡になっている確実なところは十日町のところだけしか確認していません。あと2か所も、たとえ国指定史跡ではなくとも見ておきたい![]()
というわけで、見たらまた報告します![]()




























