埴輪は倭の人たちが作ったのだろうか? | 志布志に住む sibusi070のブログ

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一昨年、愛知県東海市から生まれ故郷に帰ってきました。

オラは埴輪にはどうしても納得がいかないのよ。

大和時代の大王(天皇)の古墳からたくさん出土される埴輪。大王が亡くなったときに一人だけを埋葬するのはさみしかろうということで一緒に埴輪も納めたのだろうと想像する。



埴輪についてわからんことは、

どう見てもあのデザインは当時の倭の兵士の格好ではなかろう。

それに、あの頃の倭人があんなデザインをするとは思えないよ。大和時代のころの遺物に説得できるほかのものが見当たらないよ。


ていうことは、古墳の設計や埴輪のデザインは外国から倭にたどり着いた人たちによるものだろうな。

古墳などもエジプトのピラミッドもりも大きいらしい。そこまで大きいものをつくらんでもと思うのだ。


それと、古墳を研究した学者の記録では、古墳の完成までには数十年かかっていると。そうしたら、費用も相当かかっているはず。


当時、それほど財力を持っていた倭人がいたはずがない。


このように、想像していくと、ピラミッドよりも金のかかる古墳を作る費用をだしたスポンサーがやはり外国から倭にやってきたと見るべきかな。


何故外国から流れ着いた人が、大和の大王のでかい墓を作る費用をだしたのか?

亡くなった大王に相当な世話になっていてだから

大王を奉り、感謝の意を表したかったのかも。じゃそれは誰よ。

ここが古代史の難しいところよ。


そして、埴輪も外国人のデザインによるものだろう。


当たっていなくたって怒る人はもういないのだから。


この金をだしたスポンサーを考える想像はこれからも続くのです。