震災と命日。 | しびから生活。

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アラフィフ・独身(離婚経験あり)生活のしびからな日々を少々。
人とのつながりと、美味しいものと、神社巡りな日々を書き留めておきます。
そして我が家に来てくれたイタリアングレーハウンドの喜助(きすけ)との生活も。

本日は阪神淡路大震災から25度目の1/17。

当時21歳。保育士をめざして二浪後、一念発起で社会人一年生となった頃だった。

 

自宅は神戸市灘区。

前日に親友と、生田川にあるライブスタジオに備品を買いに行き、その後中途半端に寝て&目覚めてしまったこともあって、再度寝入ったのが3時頃だったか。

 

そして5時46分

大きな揺れで目が覚めた。

当時は父・母と実家ぐらしで、両親が叫び声で私の名を呼んでいた。

案外私は冷静で、大変な状況ではあるもののメガネや財布、鍵をコートのポケットに入れ、歪んで動かない引き戸を無理やり開けると、二階階段踊り場の床が抜け、1階の基礎が見えた。

ギシギシ鳴る階段を降り、玄関から外を出ると、瓦が路地を覆い、空を見上げるとまだ暗いはずなのに、四方の空は火事で赤く光っている。

正直この世では無いと錯覚するくらい、異様な光景だった。

後から聞くと、震災で亡くなった同級生も数人いた。

 

あの日あの時受けた衝撃は未だに忘れられない。

 

あれから25年。

私は結婚し、子宝に恵まれ、16年前に父も亡くなり、離婚をしたあと今は東京にいる。

人生とはわからないものである。

 

そして昨年の1/17に中学時代からの大の親友が亡くなった。

震災当時、彼は京都の大学生で一人暮らしをしており、彼自身は被災しなかったが、神戸に戻ってきて被災した友人に「水のいらないシャンプー」を配ってくれた。

 

1/17は震災の日と親友の命日で、私にとっては忘れられない一日となった。

写真は神戸ではなく、自宅近くにある天王洲アイルの夜景。

転職の為昨年1月末に大森から品川に引っ越した。

 

…品川に住みたかった、好きな神社の近くだった、比較的お値段が安かった。

山手通り沿いで、まっすぐ歩けば彼女の住む家にぶつかる…などなど、今の住居を選んだ理由は色々あった。

が、飲みすぎて千葉の自宅に帰れずほぼ月1〜2回は我が家に宿泊していた友人の職場が品川にあり、泊まったとしても歩いて10分そこそこで、彼も利用しやすいだろうというのも理由の一つだった(笑)

 

彼が亡くなる数日前に飲みに行き、「品川に引っ越しするで」というと「ほんま、歩いて会社行けるから楽やな」とすぐにでも泊まる気満々で笑っていたことが今も忘れられないが、結局一度も宿泊することなく逝ってしまった。

 

1/17は私にとっても大事な日。

今日は神戸と、彼のことを思い浮かべる一日としよう。