「私がダメだった」の前に、ちょっと待ってみる
ふと、こんなことを思いました。
もしかしたら、私の嫌な思い出って、全部が「私の捉え方のバグ」だったのではないか?
もちろん、本当に何があったのかは、その場面ごとに違う。
だから「全部そうだった」と決めつけるつもりはないのだけれど、
「もしかしたら、私が思っていたほど、私は悪くなかったのかもしれない」
そう思ったら、
なーんだ。
いや、そうだったのかもしれない。
じゃあ……
そこまで強く、自分を否定しなくてもいいんじゃない?
そんな感覚が出てきました。
────────
私は小さい頃から、
「なんでできないんだ」
「頑張ればできるはず!」
「努力が足りない!」
「頭が悪いのか?」
「ちゃんとやらないからできないんだ」
「しっかりやれ!」
「みんなに嫌われるぞ」
「だから友だちがいないんだ」
そんな言葉を、自分にずっと向けてきました。
最近は、そういう自分への厳しい言葉も、だいぶ少なくなってきていたのですが。
改めて眺めてみると、
「できない」
↓
「努力が足りない」
↓
「自分がダメ」
↓
「みんなに嫌われる」
↓
「友だちがいないのも自分のせい」
と、
ひとつのことが、どんどん「自分そのものの否定」まで広がっていたんですよね。
────────
そこで、小さい頃の自分を思い浮かべてみました。
その子は、どんな子だったんだろう。
私から見えたのは、
健気な頑張り屋さん。
全ての負を背負って、
それでも自分一人でどうにかしようとしている。
そんな子でした。
そして、今の私から、その子に声をかけました。
「ねえ。
全てを背負わなくても大丈夫なんだよ。
そのための仲間だったり、家族だったりするんだからね。
でも、偉いね。
自分一人で抱えて、逃げずにどうにかしようとしてきて。
すごいことだね。」
すると、その子は、
「……?」
という顔をしている。
ちょっと意味がわからなくて、しっくりきていない。
でも、
とにかく褒められていることだけはわかる。
そんな顔でした。
────────
だから私は、その子に微笑みながらハグして、
「いい子、いい子」
と頭を撫でてあげました。
すると。
身体から、
スーッと「頑張らなきゃ」という緊張が抜けていく。
そして、涙がつーっと流れました。
そこで思ったんです。
もしかしたら私は、
「もっと頑張らなきゃ」
「ちゃんとしなきゃ」
「できなきゃダメ」
と、自分を叱咤することで、ずっと何とかしてきたのかもしれない。
でも、
その子は本当は、
もっと頑張る必要があった子ではなくて、
すでに十分頑張っていた子だったのかもしれない。
────────
その子を抱きしめている私は、
泣きながら笑っていました。
泣き笑いの、安心感のある笑顔。
その子は、まだ全部を理解したわけじゃない。
でも、
「怒られていない」
「失敗したから見捨てられるわけじゃない」
「頑張り続けなくても、ここにいていい」
そんなことを、少し感じているようでした。
そして私は、その子を抱きしめながら思いました。
「もう、一人で全部やらなくていいよ。」
「頑張ってきたね。」
「偉かったね。」
「いい子、いい子。」
────────
嫌な思い出が浮かんだとき、
「本当に私が悪かったのかな?」
と、少し立ち止まってみる。
出来事そのものと、
そのとき自分が受け取った意味と、
その後ずっと自分に言い聞かせてきた言葉。
それらは、もしかしたら全部同じではないのかもしれません。
そして、
「あのときの私の捉え方が少し違っていたのかもしれない」
と思えるだけで、
「だから私はダメだった」
まで一緒に背負わなくてもよくなるのかもしれない。
少なくとも今日の私は、
昔の自分を責めるのではなく、
抱きしめてあげることができました。
それだけでも、なんだか十分な気がしています。
あの頃の私へ。
全てを背負わなくても大丈夫。
もう、一人でどうにかしなくても大丈夫。
でもね。
一人で抱えて、どうにかしようとしてきたあなたは、
本当に偉かったよ。
よく頑張ったね。
いい子、いい子。
ふと、こんなことを思いました。
もしかしたら、私の嫌な思い出って、全部が「私の捉え方のバグ」だったのではないか?
もちろん、本当に何があったのかは、その場面ごとに違う。
だから「全部そうだった」と決めつけるつもりはないのだけれど、
「もしかしたら、私が思っていたほど、私は悪くなかったのかもしれない」
そう思ったら、
なーんだ。
いや、そうだったのかもしれない。
じゃあ……
そこまで強く、自分を否定しなくてもいいんじゃない?
そんな感覚が出てきました。
────────
私は小さい頃から、
「なんでできないんだ」
「頑張ればできるはず!」
「努力が足りない!」
「頭が悪いのか?」
「ちゃんとやらないからできないんだ」
「しっかりやれ!」
「みんなに嫌われるぞ」
「だから友だちがいないんだ」
そんな言葉を、自分にずっと向けてきました。
最近は、そういう自分への厳しい言葉も、だいぶ少なくなってきていたのですが。
改めて眺めてみると、
「できない」
↓
「努力が足りない」
↓
「自分がダメ」
↓
「みんなに嫌われる」
↓
「友だちがいないのも自分のせい」
と、
ひとつのことが、どんどん「自分そのものの否定」まで広がっていたんですよね。
────────
そこで、小さい頃の自分を思い浮かべてみました。
その子は、どんな子だったんだろう。
私から見えたのは、
健気な頑張り屋さん。
全ての負を背負って、
それでも自分一人でどうにかしようとしている。
そんな子でした。
そして、今の私から、その子に声をかけました。
「ねえ。
全てを背負わなくても大丈夫なんだよ。
そのための仲間だったり、家族だったりするんだからね。
でも、偉いね。
自分一人で抱えて、逃げずにどうにかしようとしてきて。
すごいことだね。」
すると、その子は、
「……?」
という顔をしている。
ちょっと意味がわからなくて、しっくりきていない。
でも、
とにかく褒められていることだけはわかる。
そんな顔でした。
────────
だから私は、その子に微笑みながらハグして、
「いい子、いい子」
と頭を撫でてあげました。
すると。
身体から、
スーッと「頑張らなきゃ」という緊張が抜けていく。
そして、涙がつーっと流れました。
そこで思ったんです。
もしかしたら私は、
「もっと頑張らなきゃ」
「ちゃんとしなきゃ」
「できなきゃダメ」
と、自分を叱咤することで、ずっと何とかしてきたのかもしれない。
でも、
その子は本当は、
もっと頑張る必要があった子ではなくて、
すでに十分頑張っていた子だったのかもしれない。
────────
その子を抱きしめている私は、
泣きながら笑っていました。
泣き笑いの、安心感のある笑顔。
その子は、まだ全部を理解したわけじゃない。
でも、
「怒られていない」
「失敗したから見捨てられるわけじゃない」
「頑張り続けなくても、ここにいていい」
そんなことを、少し感じているようでした。
そして私は、その子を抱きしめながら思いました。
「もう、一人で全部やらなくていいよ。」
「頑張ってきたね。」
「偉かったね。」
「いい子、いい子。」
────────
嫌な思い出が浮かんだとき、
「本当に私が悪かったのかな?」
と、少し立ち止まってみる。
出来事そのものと、
そのとき自分が受け取った意味と、
その後ずっと自分に言い聞かせてきた言葉。
それらは、もしかしたら全部同じではないのかもしれません。
そして、
「あのときの私の捉え方が少し違っていたのかもしれない」
と思えるだけで、
「だから私はダメだった」
まで一緒に背負わなくてもよくなるのかもしれない。
少なくとも今日の私は、
昔の自分を責めるのではなく、
抱きしめてあげることができました。
それだけでも、なんだか十分な気がしています。
あの頃の私へ。
全てを背負わなくても大丈夫。
もう、一人でどうにかしなくても大丈夫。
でもね。
一人で抱えて、どうにかしようとしてきたあなたは、
本当に偉かったよ。
よく頑張ったね。
いい子、いい子。
