父が退院して間もなく、ダンナに1本の電話がかかって来ます。

 

 母親からでした。

 

 父の体調が優れず、今、病院の救急外来にいる。

 すぐに来てくれないか。

 

 その日は、日曜日。

 

 病院に向かったダンナが、救急外来の前で目にしたものは、診察を待つ多くの人々に交じって座る父親と母親でした。

 

 ただただ、不満と怒りを表すだけの母親と。

 ただただ、苦痛に顔を歪めるだけの父親と。


 妻からは、夫に対する心配や不安は微塵も感じられず、夫からは、妻に対する労いも信頼も、いや、妻の存在自体、果たして感知しているのかどうか。

 

 それほどの苦痛は、残念ながら、妻には届いていないようだったし、夫は夫で、もう自分のことだけで精一杯。

 

 周りは何も視えていない。

 

 それは、多分、お互いに。

 

 この時の二人の状態は、哀しいほどに、その後の未来を象徴していました。

 

 検査の結果、手術後の体内の処置が万全ではなく、結局、再手術を行わなければなりませんでした。 

 

 再手術は成功。

 しかし、続く長い再入院は、父親を一気に変化させました。

 

 うつ症状。

 

 饒舌だった父親は、無口、無気力になり、家に戻っても日がな一日、椅子に座っているだけ。

 

 やがてダンナは、何かというと母親に呼びつけられるようになります。

 

 自分から薬を飲もうともせず、全部、人頼り、少しは世話する人の気持ちをわかってほしい、ありがとうの一言もないし、ただ座って食べてうたたねしてるだけ、散歩でもしてきたらといっても、ちっとも言うことを聞きやしない、ちょっと外に連れ出してよ、一日中一緒にいるこっちの身にもなってほしいわよ。

 

 律儀な息子であるダンナは、母親の言う通り、父親を外へ連れ出し、母親の愚痴を一身に聴き、宥め、助言し、時には泊りがけで父親を連れ出しては母親の息抜きの時間を作ってやり、深夜に調子が悪くなったと電話してきた母親をかかりつけの病院に連れて行き、また愚痴を聴いて、宥め、意見し、あれこれと工夫をしてやって、少しでも二人が気持ちよく暮らせるように努力しているうちに10年近くが経ち、最終的に出したのは、『こいつら、ダメだ』という結論でした。