ダンナとヨメはんが、この伊那谷に引っ越してきたのは、今から、7年程前。

 

 それまで住んでいた川崎を去る切っ掛けとなったのは、ダンナの両親の存在でした。

 

 70歳まで現役で働いていた父は、持病の急激な悪化から入院し、その後、癌を含む何度かの手術を経た後、無事に退院、母との二人暮らしが始まりました。

 

 おかしくなったのは、それからです。

 

 奇妙なことですが、父が入院している間は、特に問題はありませんでした。

 母は甲斐甲斐しく病院へ通い、父は父で呑気に病院暮らしを(奇妙な表現ではあるが)満喫していました。

 退院したら、ああするだのこうするだの。

 父が禄でもない夢を語ると、母も、満更ではなさそうに、そんな父を元気づける。

 

 或いは、と息子のダンナは薄情にも思ったりするのです。

 

 もしも、その後、父の容体が急変し、そのまま帰らぬ人となっていたら。

 

 それはそれで、哀しくも幸せな結末ではなかったのではないか。

 

 その後の10年を思い返すと、そう考えずにはいられないダンナは、やはり、親不孝以外の何物でもありません。

 

 でも。

 

 端折って〈結論〉から言ってしまえば、結婚後、40年以上も専業主婦として、或る意味自由気儘に暮らして来た母にとって(然も、父は〈マスオさん〉だったから、姑や舅との軋轢すら母は経験することはなかったのです)、いきなりの父との朝から晩までの24時間二人暮らしは、確かに地獄だったのだろうと思います。

 

 同時に明らかになったのは、それまで築いてきた豊かで幸せな〈夫婦生活〉が、実は、お互いに全く向き合わず、そっぽを向きながらであるからこそ成り立っていた、幻想のような構造だったという事実だったのだと思います。

 

 妻は、夫を詰り、非難することしかしなくなり、

 夫は、妻に反論するでもなく、詫びを入れるでもなく、

 

 妻は、夫がほとほと目障りになり、

 夫は、妻など存在しないかのように振る舞う。

 

 夫婦は、壊れました。