世界遺産の東寺です。

やはり東寺の五重塔はいいですね。

さすが、世界遺産だけあって国宝・重文がごろごろあります。

弘法大師の真言密教の根本道場だけあって、不思議な雰囲気があります。

立体曼荼羅は素晴らしい。


京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-東寺
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東寺
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東寺
五重塔(国宝)
所在地 京都府京都市南区九条町1
位置 北緯34度58分51.48秒
東経135度44分48.02秒
山号 八幡山
宗旨 東寺真言宗
寺格 総本山
本尊 薬師如来(重要文化財)
創建年 延暦15年(796年)
開基 桓武天皇
正式名 金光明四天王教王護国寺秘密伝法院
宗教法人公称:教王護国寺
正式名別称:弥勒八幡山総持普賢院
別称 左大寺
札所等 真言宗十八本山第9番
西国愛染十七霊場第8番
洛陽三十三所観音霊場第23番
京都十三仏霊場第12番
都七福神(毘沙門天)
神仏霊場 巡拝の道 第84番
文化財 金堂、五重塔、御影堂、蓮花門
絹本著色真言七祖像、不動明王坐像ほか(国宝)
世界遺産

東寺(とうじ)は、京都市南区九条町にある東寺真言宗総本山の寺院。「教王護国寺」とも呼ばれる。山号は八幡山。本尊は薬師如来。

東寺は弘法大師空海に下賜され、真言密教の根本道場として栄えた。中世以降の東寺は弘法大師に対する信仰の高まりとともに「お大師様の寺」として庶民の信仰を集めるようになり、21世紀の今日も京都の代表的な名所として存続している。昭和9年(1934年)に国史跡に指定、平成6年(1994年)12月には「古都京都の文化財」の一部として世界遺産に登録された。


名称
東寺の正式名として「金光明四天王教王護国寺秘密伝法院」と「弥勒八幡山総持普賢院」の2つの名称がある。宗教法人としての公称は「教王護国寺」(きょうおうごこくじ)、詳名は金光明四天王教王護国寺秘密伝法院がある。

この寺には「東寺」および「教王護国寺」という2つの名称があり、百科事典等でも東寺を見出し語とするものと教王護国寺を見出し語とするものがある。教王とは王を教化するとの意味であり、教王護国寺という名称には、国家鎮護の密教寺院という意味合いが込められている。宗教法人としての公称は教王護国寺であり、たとえば、五重塔の国宝指定官報告示の際の指定名称は教王護国寺五重塔となっている。そうした観点からは、近代以降の法人名としては教王護国寺が正式名称であるといえる。ただし、東寺という名称も単なる通称・俗称ではなく、創建当時から使用されてきた歴史的名称である。現代においても、南大門前の石柱には真言宗総本山 東寺とあり、南大門、北大門、慶賀門などに掲げられた寺名入りの提灯には東寺とあり、宝物館の名称を東寺宝物館とするなど、寺側でも通常は東寺の呼称を使用している。

平安時代以降近世まで、公式の文書・記録等には原則として「東寺」という表記が用いられ、それが正式名称であり、「教王護国寺」という呼称は特殊な場合以外には用いられなかった。教王護国寺という名称は平安時代の記録類には一切見えず、正式の文書におけるこの寺号の初出は仁治元年(1240年)である[4]。後宇多天皇宸翰の国宝「東寺興隆条々事書」(延慶8年=1308年)、後宇多天皇宸翰「庄園敷地施入状」、豊臣秀吉が2,030石の知行を認めた天正19年(1591年)の朱印状など、寺の歴史に関わる最重要文書にも明確に東寺と表記されている。

三十三間堂は約20数年振りでしょうか。

学生時代に10回ぐらいは行ったことがありますが、旅行会社のアルバイトで行っただけで自分から行ったわけではありません。

最初に行った時のあの千体の数に圧倒されたことだけは覚えていましたが、そのほかのことはほとんど覚えていないものですね。
でも新たな感動を受けました、つい2周もしてしまいました。
駐車時間は無料ですが、40分でお願いしますと言われてましたが、つい1時間以上になってしまいました。

三十三間堂は最高ですね。


京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-三十三間堂

京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-三十三間堂

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三十三間堂

本堂(国宝、北東より)
所在地 京都府京都市東山区三十三間堂廻町657
位置 北緯34度59分16.31秒
東経135度46分18.23秒
山号 妙法院所属の仏堂につき山号はなし
宗派 天台宗
本尊 千手観音
創建年 長寛2年(1165年)
開基 後白河上皇
正式名 妙法院の一部。建物の正式名称は蓮華王院本堂
札所等 洛陽三十三所観音霊場第17番
文化財 本堂他(国宝)
太閤塀他(重要文化財)

三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)は京都市東山区にある仏堂。建物の正式名称は蓮華王院本堂(れんげおういんほんどう)。同じ京都市東山区にある天台宗妙法院の境外仏堂であり、同院が所有・管理している。元は後白河上皇が自身の離宮内に創建した仏堂で、本尊は千手観音である。
沿革
この地には、もともと後白河上皇が離宮として建てた法住寺殿があった。その広大な法住寺殿の一画に建てられたのが蓮華王院本堂、今に言う三十三間堂である。

上皇が平清盛に建立の資材協力を命じて旧暦の長寛2年12月17日(西暦1165年1月30日)に完成したという。創建当時は五重塔なども建つ本格的な寺院であったが、建長元年(1249年)の火災で焼失した。文永3年(1266年)に本堂のみが再建されている。現在「三十三間堂」と称される堂がそれであり、当時は朱塗りの外装で、内装も極彩色で飾られていたという。建築様式は和様に属する。

「三十三間堂」の名称は、間面記法による表記「三十三間四面」(#構造)に由来する。「33」は観音に縁のある数字で、『法華経』等に観音菩薩が33種の姿に変じて衆生を救うと説かれることによる。

江戸時代には各藩の弓術家により本堂西軒下(長さ約121m)で矢を射る「通し矢」の舞台となった。その伝統に因み、現在は「楊枝のお加持」大法要と同日(1月中旬)に、本堂西側の射程60mの特設射場で矢を射る「三十三間堂大的全国大会」が行われる。弓道をたしなむ女性新成人参加者が振袖袴姿で行射する場面は、しばしばニュース番組等で取り上げられる。一般的には「通し矢」と呼ばれているが、60mは弓道競技の「遠的」の射程であり、かつての通し矢とは似て非なるものである。

三十三間堂について次のような伝承がある。後白河上皇は長年頭痛に悩まされていた。熊野参詣の折にその旨を祈願すると、熊野権現から「洛陽因幡堂の薬師如来に祈れ」とお告げがあった。そこで因幡堂に参詣すると、上皇の夢に僧が現れ「上皇の前世は熊野の蓮花坊という僧侶で、仏道修行の功徳によって天皇に生まれ変わった。しかし、その蓮華坊の髑髏が岩田川の底に沈んでいて、その目穴から柳が生え、風が吹くと髑髏が動くので上皇の頭が痛むのである」と告げた。上皇が岩田川(現在の富田川)を調べさせるとお告げの通りであったので、三十三間堂の千手観音の中に髑髏を納め、柳の木を梁に使ったところ、上皇の頭痛は治ったという。「蓮華王院」という名前は前世の蓮華坊の名から取ったものであるという。この伝承により「頭痛封じの寺」として崇敬を受けるようになり、「頭痛山平癒寺」と俗称された。

7月5日の清水寺です。

さすが京都№1の観光寺ですね、観光客が凄いです。

清水寺は10年ぶりくらいでしょうか。


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10年前と比べると、なんか三重塔の朱塗りのあざやかさが薄れてきたような感じがしました。






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清水寺
本堂
所在地 京都府京都市東山区清水1-294
位置 北緯34度59分41.39秒
東経135度47分6.01秒
山号 音羽山
宗派 北法相宗大本山


京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-清水寺





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本尊 千手観音(秘仏)
創建年 (伝)宝亀9年(778年)
開基 (伝)延鎮
札所等 西国三十三箇所16番
法然上人二十五霊跡13番
洛陽三十三所観音霊場10~14番
文化財 本堂(国宝)
仁王門、三重塔、鐘楼ほか(重要文化財)
世界遺産

清水寺(きよみずでら)は、京都府京都市東山区清水にある寺院。山号を音羽山と称する。本尊は千手観音、開基(創立者)は延鎮である。もとは法相宗に属したが、現在は独立して北法相宗大本山を名乗る。西国三十三箇所観音霊場の第16番札所である。

概要
清水寺は法相宗(南都六宗の一)系の寺院で、広隆寺、鞍馬寺とともに、平安京遷都以前からの歴史をもつ、京都では数少ない寺院の1つである。また、石山寺(滋賀県大津市)、長谷寺(奈良県桜井市)などと並び、日本でも有数の観音霊場であり、鹿苑寺(金閣寺)、嵐山などと並ぶ京都市内でも有数の観光地で、季節を問わず多くの参詣者が訪れる。古都京都の文化財の一部としてユネスコ世界遺産に登録されている。

京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-二年坂 京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-清水寺
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京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-清水寺 京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-清水寺

八坂の塔と呼ばれています法観寺です。
今回、八坂の塔の中に初めて入りましたが、写真の様な金剛界の五仏像が安置されていたのは初めて知りました。

一度は入ってみるのもいいかも。でも平日は閉まっていることもあるみたいです。


京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-八坂の塔
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法観寺
八坂の塔
所在地 京都府京都市東山区清水八坂上町388
位置 北緯34度59分54.78秒
東経135度46分45.27秒
山号 霊応山
宗派 臨済宗建仁寺派
本尊 薬師如来
創建年 伝・崇峻天皇5年(592年)
開基 伝・聖徳太子
正式名 霊応山 法観禅寺
別称 八坂の塔
札所等 京都十三仏霊場11番
文化財 五重塔、紙本着色八坂塔絵図(重要文化財)
太子堂・薬師堂(市文化財)

法観寺(ほうかんじ)は京都府京都市東山区にある臨済宗建仁寺派の寺院。山号は霊応山。観音霊場として知られる清水寺の近隣に位置する。街中にそびえ立つ五重塔は通称「八坂の塔」と呼ばれ、周辺のランドマークとなっている。境内は狭く、塔以外に目だった建築物がないことから、「八坂の塔」は、寺自体を指す通称ともなっている。

京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-八坂の塔

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京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-八坂の塔 薬師堂.

京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-八坂の塔 薬師堂 薬師如来・日光・月光

京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-八坂の塔 太子堂 聖徳太子像

京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-八坂の塔 太子堂 

京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-八坂の塔 木曽義仲の首塚












歴史

伝承によれば、当寺の五重塔は592年聖徳太子が如意輪観音の夢告により建てたとされ、その際、仏舎利を三粒を収めて法観寺と号したという。聖徳太子創建との伝承は文字通りに受け取ることはできないが、平安京遷都以前から存在した古い寺院であることは確かとされており、朝鮮半島系の渡来氏族・八坂氏の氏寺として創建されたという見方が有力である。

治承3年(1179年)、火災で焼失したが源頼朝により再建された。その後も幾度か焼失したがその都度再建されている。現在の塔は、足利義教(室町幕府第6代将軍)により再建されたものである。 その間、仁治元年(1240年)に臨済宗建仁寺派に属する禅寺となる。さらに暦応元年(1338年)より夢窓疎石の勧めにより足利尊氏が全国に安国寺・利生塔を建てたが、都の利生塔としてはこの塔を充て仏舎利を奉納した。

戦国時代には、地方から上洛した大名が当寺に定紋入りの旗を掲げることによって、誰が新しい支配者・天下人になったかを世人に知らせたという。
伽藍
五重塔は高さ49mで東寺、興福寺の五重塔に次ぐ高さをもつ純和様、本瓦葺の建築である。中心の礎石は創建当初のものが残っておりそのまま使われている。初層内部には大日如来を中心とする五智如来像を安置する。塔の中は公開されることもあり礎石の上の心柱や諸仏を見ることができる。また階段を二層目まで登ることもでき窓から京の町並みを眺望できる。重要文化財に指定されている。

他の堂宇としては、太子堂、薬師堂、茶室がある。太子堂には、聖徳太子の3歳と16歳の像がある。薬師堂には本尊の薬師如来、日光菩薩、月光菩薩、夢見地蔵、さらに十二神将像が安置されている。 茶室は五重塔の風鐸の音を聞くことができることから聴鐸庵という。(風鐸とは塔の軒先に吊された風鈴状のもののことである。)ほか境内には、木曽義仲の首塚と伝わる石塔もある。

世界遺産の西本願寺です。
裏通りにさりげなく有る、国宝の唐門がすばらしいですね。


京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-西本願寺 唐門


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西本願寺
所在地 京都府京都市下京区堀川通花屋町下ル本願寺門前町60番地 地図
山号 龍谷山
宗派 浄土真宗本願寺派
寺格 本山
本尊 阿弥陀如来
創建年 1272年(文永9年)
開基 覚信尼
正式名 龍谷山 本願寺
別称 お西さん
文化財 書院、飛雲閣他(国宝)
総御堂、絹本著色聖徳太子像他(重要文化財)
世界遺産


京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-西本願寺 御影堂門
京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-西本願寺 御影堂内
西本願寺(にしほんがんじ Nishi Honganji)は、京都府京都市下京区にある浄土真宗本願寺派本山の寺院。正式の寺号は本願寺(ほんがんじ)。山号は龍谷山。同じ下京区内にある東本願寺(正式名称は真宗本廟)と区別するために「西本願寺」「お西さん」などと呼ばれることが多い。 2011年4月9日より本願寺御影堂にて親鸞聖人750回大遠忌法要開始予定。

歴史
宗祖親鸞聖人入滅後、末娘の覚信尼が1272年(文永9年)に現在の京都市東山区林下町(知恩院塔頭・崇泰院付近)に廟堂を営み、遺骨を安置したのが本願寺の発祥とされる。その後、廟堂は内紛のため破壊されたが、3代覚如が再建して専修寺と号し、さらに本願寺と改称した。その後、各地に寺基を移転、1591年(天正19年)、豊臣秀吉により寺地の寄進を受け、天満にあった寺基より現在の堀川六条に移転する。廟堂は江戸時代初頭、東山五条坂西大谷に移り現在の「大谷本廟」となっている。

11代顕如の子教如が徳川家康によって本願寺の東に寺領を与えられ、1602年に本願寺が東西に分かれた際、教如が開いた寺を東本願寺と呼んだため、それまでの本願寺は西本願寺と通称されるようになった。

幕末期には京都を守る剣客集団新選組の本拠地ともなっている。現在まで境内地に大きな変化は無いが、1876年(明治9年)に真宗興正派が独立した際に南境内地を割譲。近年、境内地北側の旧本圀寺跡地(日蓮宗大本山、山科区に移転)を購入している。本願寺の寺基自体は400年以上に渡り移転していない

上賀茂神社です。
ここも世界遺産だけあって見所がいっぱいです。
日曜で日も良かったのか、この日の結婚式は6組あるそうです。

私がいたときだけで3組見かけました。

大勢から写真を撮られたりして恥ずかしいでしょうけど、それも結婚式だから晴れがましさもあっていいかも。

私も今度結婚するときはここでしたいな・・・つまらない冗談です。


京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-上賀茂神社
京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-上賀茂神社
京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-上賀茂神社













ここでは衣冠の着付けの実演をやっていました。

やはり十二単に比べるとどうしても地味ですね。



京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-上賀茂神社
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賀茂別雷神社
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賀茂別雷神社(かもわけいかずちじんじゃ)は、京都市北区にある神社である。「上賀茂神社(かみがもじんじゃ)」の通称で呼ばれる事が多い。式内社、山城国一宮、二十二社の一社で、旧社格は官幣大社。

賀茂御祖神社(下鴨神社)とともに古代の賀茂氏の氏神を祀る神社であり、賀茂神社(賀茂社)と総称される。賀茂神社両社の祭事である葵祭で有名である。

賀茂氏の祖神である賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)を祀る。「別雷」は「若雷」の意味で、若々しい力に満ちた雷(神鳴り)の神という意味である。


京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-上賀茂神社
京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-上賀茂神社



歴史
創建については諸説ある。社伝では、神武天皇の御代に賀茂山の麓の御阿礼所に賀茂別雷命が降臨したと伝える。

『山城国風土記』逸文では、玉依日売(たまよりひめ)が加茂川の川上から流れてきた丹塗矢を床に置いたところ懐妊し、それで生まれたのが賀茂別雷命で、兄玉依日古(あにたまよりひこ)の子孫である賀茂県主の一族がこれを奉斎したと伝える。丹塗矢の正体は、乙訓神社の火雷神とも大山咋神ともいう。玉依日売とその父の賀茂建角身命は下鴨神社に祀られている。国史では、文武天皇2年(698年)3月21日、賀茂祭の日の騎射を禁じたという記事が初出で、他にも天平勝宝2年(750年)に御戸代田一町が寄進されるなど、朝廷からの崇敬を受けてきたことがわかる。

794年の平安遷都の後は王城鎮護の神社としてより一層の崇敬を受け、大同2年(807年)には最高位である正一位の神階を受け、賀茂祭は勅祭とされた。延喜式神名帳では名神大社に列し、名神祭・月次祭・相嘗祭・新嘗祭の各祭の幣帛に預ると記載されている。弘仁元年(810年)以降約400年にわたって、伊勢神宮の斎宮にならった斎院が置かれ、皇女が斎王として奉仕した。

明治の近代社格制度でも官幣大社の筆頭とされ、明治16年には勅祭社に定められた。

下鴨神社の境内摂社である河合神社です。
京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-下鴨神社 河会神社

この神社は鴨長明のゆかりの神社です。





下鴨神社 摂社 河合神社(かわいじんじゃ)

祭神:玉依姫命(神武天皇の御母神)
神徳:安産・育児・縁結び・学業・延命長寿の守護神


「方丈記」の著者・鴨長明ゆかりの神社。
 糺の森の中、「瀬見の小川」の西側にあるのが玉依姫命を祀る摂社の河合神社。正式名称は鴨河合坐小社宅(かものかわいにいますおこそべ)神社で、賀茂社の社家に祀られていた屋敷神だったという。秦氏が祀っていたが、賀茂氏が秦氏の婿となり、祭祀権を譲られたとの伝承がある。元はここより少し南の賀茂川と高野川が合流する只洲(ただす)河原に祀られたことから河合神社という。鎮座の年代は不詳であるが神武天皇の御代からあまり遠くない時代と伝えられていて、「延喜式」には「鴨河合坐小社宅神社」とある。「鴨河合」とはこの神社の鎮座地をいい、「小社宅(こそべ)」は「日本書紀」に「社戸」としるされ、本宮(下鴨神社)の祭神と同系統の神との意であるという。
 明治10年(1887)賀茂御祖神社(下鴨神社)の第一摂社に列せられた。現在の社殿は、延宝7年(1679)式年遷宮により造営された古殿を修理建造したもので、賀茂御祖神社の本殿と同じ三間社、流造、桧皮葺である。境内には「方丈記」の著した鴨長明の資料館と、長明が考案した「方丈の庵」とがある。


京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-下鴨神社 河会神社

京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-下鴨神社 河会神社

京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-下鴨神社 河会神社



2009年5月10日の下鴨神社です。
さすが世界遺産だけあって見所いっぱいでした。
国宝の東本殿と西本殿、糺の森やみたらし池など最高でした。
ちょうど特別拝観期間で十二単の着付けショーもやっていました。


京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-下鴨神社

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(下鴨神社)
賀茂御祖神社

所在地 京都府京都市左京区下鴨泉川町59
主祭神 玉依姫命
賀茂建角身命
社格等 式内社(名神大)・山城国一宮・二十二社・勅祭社・官幣大社・別表神社
創建 不詳
(崇神天皇7年(紀元前90年)頃?)

京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-下鴨神社 相生社



京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-下鴨神社 相生社 連理の賢木


京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-下鴨神社

本殿の様式 流造
例祭 5月15日(賀茂祭、葵祭)
賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)は、京都市左京区にある神社である。通称下鴨神社(しもがもじんじゃ)。式内社、山城国一宮、二十二社の一社で、旧社格は官幣大社。

賀茂別雷神社(上賀茂神社)とともに古代の賀茂氏の氏神を祀る神社であり、賀茂神社(賀茂社)と総称され、両社をもって一社のような扱いをされてきた。賀茂神社両社の祭事である賀茂祭(通称葵祭)で有名である。

上賀茂神社の祭神である賀茂別雷命の母の玉依姫命と玉依姫命の父の賀茂建角身命を祀ることから「賀茂御祖神社」と呼ばれる。八咫烏は賀茂建角身命の化身である。

付属施設に糺の森(ただすのもり)、みたらし池がある。


京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-下鴨神社 御手洗川沿いに咲く花
京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-下鴨神社 さざれ石

京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-下鴨神社

京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-下鴨神社

京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-下鴨神社 糺の森に咲く花

京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-下鴨神社 糺の森

京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-下鴨神社 御手洗川沿いに咲く花


京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-下鴨神社

由緒
京都の社寺でも最も古い部類に入る。社伝では、神武天皇の御代に御蔭山に祭神が降臨したと伝える。また、崇神天皇7年(紀元前90年)に神社の瑞垣の修造が行われたとの記録があり、この頃の創建ではないかとの説がある。一説には、天平のころに上賀茂神社から分置されたともされる。上賀茂神社とともに奈良時代以前から朝廷の崇敬を受けた。平安遷都の後はより一層の崇敬を受けるようになり、大同2年(807年)には最高位である正一位の神階を受け、賀茂祭は勅祭とされた。延喜式神名帳では名神大社に列し、名神・月次・相嘗・新嘗の各祭の幣帛に預ると記載されている。弘仁元年(810年)以降約400年にわたり、斎院が置かれ皇女が斎王として賀茂社に奉仕した。


京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-下鴨神社 

京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-下鴨神社 

京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-下鴨神社 御手洗川

2009年5月10日の平安神宮です。
朝9時前でしたので、車もまだぜんぜんいなかったので、つい路上駐車をしてしまいました。
15分ぐらいでもどったら駐車違反を貼られていました。
路上駐車は止めましょう。
違反金15,000円の請求は2~3ヶ月後の忘れたころにやってきました。


京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-平安神宮


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平安神宮

大極殿を模した外拝殿
所在地 京都府京都市左京区岡崎西天王町97
主祭神 桓武天皇
孝明天皇
社格等 官幣大社・勅祭社・別表神社
創建 1895年(明治28年)3月15日
本殿の様式 七間社流造
例祭 4月15日
主な神事 10月22日(時代祭)

平安神宮(へいあんじんぐう)は、京都府京都市左京区にある神社である。旧社格は官幣大社、勅祭社。現在は神社本庁の別表神社。


京都日記 世界遺産・ときどき名古屋-平安神宮


歴史
明治28年(1895年)3月15日に平安遷都1100年を記念して京都で開催された内国勧業博覧会の目玉として平安京遷都当時の大内裏の一部復元が計画された。当初は、実際に大内裏があった千本丸太町に朱雀門が位置するように計画されたが、用地買収に失敗し、当時は郊外であった岡崎に実物の8分の5の規模で復元された。博覧会の後は、建物がそのままにして、平安遷都を行った天皇であった第50代桓武天皇を祀る神社として創祀された。皇紀2600年にあたる昭和15年(1940年)に、平安京で過ごした最後の天皇である第121代孝明天皇が祭神に加えられた。平安神宮では、京都を守る四神の御守が授与されている。

昭和51年(1976年)1月6日、火災が発生し本殿・内拝殿など9棟が炎上、焼失した。創建が比較的新しく文化財指定を受けていなかったため、国からの補助金が見込めなかったが、全国からの募金により3年後に再建された。この火災は、後に新左翼活動家加藤三郎の犯行であることが判明した。