泉涌寺の次に今回の1番の目的である本家鳥初さんに向かいました。
御池通地下駐車場に車を止めましたが、集合時間までまだ時間があったので、鳥初さんのすぐ隣にある本能寺を参拝しました。

寺町通りに面した門をくぐると、周りをビルやホテルに囲まれた空間に本堂が建っています。
繁華街のお寺ですが、境内は雨のせいもあるのか思わぬ静寂さに包まれていました。

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ただ、残念なのは本堂が修理中なのか、周りをぐるりと工事用の塀で覆われて本堂の参拝はできませんでした。本能寺の変があった場所からは移転していますが、信長公廟はしっかりとお参りしました。

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本能寺は5回も焼失しているみたいで、そのため能の字の書き方が変わっているそうです。

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<本能寺跡>石碑に書かれている言葉(全文)
 応永22年(1415)御開山日隆聖人は、本門八品の正義を弘通せんがため、油小路高辻と五条坊門の間に一寺を建立して「本応寺」と号されたが、後に破却されたので、永享(えいきょう)元年(1429)小袖屋宗句の外護により町端に再建、次いで永享5年(1433)如意王丸の発願により、六角大宮に広大な寺地を得て移転再建、本門八品能弘の大霊場として「本能寺」と改称された。
 その後、天文5年(1536)天文法乱によって焼失、天文14年(1545)第八世伏見宮日承王上人によって旧地より四条西洞院のこの地に移転、壮大なる堂宇の再興をみた。しかるに天正10年(1582)かの「本能寺の変」によって織田信長とともに炎上、天正17年(1589)この地に再建せんとし、上棟式の当日、豊臣秀吉より鴨川村(現在の寺町御池)の地に移転を命ぜられる。一山の大衆声を放って号涙すと。
 ちなみに「本能寺」は度々火災に罹りたるをもって、能の右側の「ヒヒ」(火)と重なるを忌み、火難から去る意を込めて「去」と書くのが慣わしである。

桂離宮の次に、泉涌寺を参拝しました。
雨は止むことなく降り続き、途中かなり強くなっていました。

総門を入ると、参道の左右にいくつかの塔頭があり、長い参道の先にある大門の前の広場に車を止め、大門をくぐると、左手すぐに楊貴妃観音堂があります。

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この楊貴妃観音は美人になれる観音様として、女性に人気があるんですね、知りませんでした。
大門のすぐ右手にあるので見逃す人が多いのか、奥の方に進んでから楊貴妃観音様の場所を聞いている女性が、結構いました。

このお寺も冬の特別公開を行っています。
御座所と霊明殿が特別拝観できました。
御在所の玉座の間は写真でよく見ますが、実際見てみると写真程はきらびやかではありませんでしたが、さすがに趣がありました。

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天皇家は明治から神道ですが、江戸時代まではお葬式は仏式でこのお寺で行われていたんですね。
皇室ゆかりのお寺は京都にかなりありますが、御寺と呼ばれるのは泉涌寺だけだそうです。

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大門から入って仏殿に向かう広い坂がすごく気に入りました、雨に煙り向こうに見える仏殿が素晴らしく良かったです。雨もいいですね。

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今年の正月は七福神巡りにはこれませんでしたが、来年は何とか来たいものです。




泉涌寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

所在地 京都府京都市東山区泉涌寺山内町27
位置 北緯34度58分41.59秒
東経135度46分52.76秒
山号 東山(とうざん)、泉山(せんざん)
宗派 真言宗泉涌寺派
寺格 総本山
本尊 釈迦如来、阿弥陀如来、弥勒如来
創建年 伝・斉衡3年(856年)
開基 伝・神修上人
別称 御寺(みてら)
札所等 真言宗十八本山8番
洛陽三十三所観音霊場20番(楊貴妃観音堂)
京都十三仏霊場6番
文化財 泉涌寺勧縁疏、附法状(国宝)
大門、仏殿、木造観音菩薩坐像ほか(重要文化財)

泉涌寺 (せんにゅうじ)は、京都市東山区泉涌寺山内(やまのうち)町にある真言宗泉涌寺派総本山の寺院。山号は東山(とうざん)または泉山(せんざん)。本尊は釈迦如来、阿弥陀如来、弥勒如来の三世仏。

平安時代の草創と伝えるが、実質的な開基(創立者)は鎌倉時代の月輪大師俊芿(がちりんだいししゅんじょう)である。東山三十六峰の南端にあたる月輪山の山麓に広がる寺域内には、鎌倉時代の後堀河天皇、四条天皇、江戸時代の後水尾天皇以下幕末に至る歴代天皇の陵墓があり、皇室の菩提寺として「御寺(みてら)泉涌寺」と呼ばれている。

歴史
仁和寺、大覚寺などとともに皇室ゆかりの寺院として知られるが、草創の時期や事情についてはあまり明らかではない。伝承によれば、斉衡3年(856年)、藤原式家の流れをくむ左大臣藤原緒嗣(おつぐ)が、自らの山荘に神修上人を開山として草創。当初は法輪寺と称し、後に仙遊寺と改めたという。なお、『続日本後紀』によれば藤原緒嗣は承和10年(843年)に没しているので、上述の伝承を信じるとすれば、藤原緒嗣の遺志に基づき、菩提寺として建立されたということになる。

別の伝承は開創者を空海とする。すなわち、空海が天長年間(824年-834年)、この地に草創した法輪寺が起源であり、斉衡2年(855年)藤原緒嗣によって再興され、仙遊寺と改めたとするものである。空海による草創年代を大同2年(807年)とする伝承もあり、この寺院が後の今熊野観音寺(泉涌寺境内にあり、西国三十三箇所観音霊場の第15番札所)となったともいう。以上の伝承を総合すると、平安時代初期に草創された前身寺院が平安時代後期には荒廃していたのを、鎌倉時代に再興したものと思われる。

鎌倉時代の建保6年(1218年)、宇都宮信房が、荒廃していた仙遊寺を俊芿(しゅんじょう)に寄進、俊芿は多くの人々の寄付を得てこの地に大伽藍を造営し、霊泉が湧いたので、寺号を泉涌寺としたという(旧寺号の「仙遊寺」と音が通ずる点に注意)。宇都宮信房は源頼朝の家臣で、豊前国守護に任じられた人物であり、俊芿に帰依していた。俊芿(1166-1227)は肥後国(熊本県)出身の学僧で、正治元年(1199年)宋に渡り、足かけ13年の滞在で天台と律を学び、建暦元年(1211年)日本へ帰国した。彼は宋から多くの文物をもたらし、泉涌寺の伽藍はすべて宋風につくられた。

泉涌寺は律を中心として天台、東密(真言)、禅、浄土の四宗兼学(または律を含めて五宗兼学とも)の道場として栄えた。貞応3年(1224年)には後堀河天皇により皇室の祈願寺と定められた。後堀河天皇と次代の四条天皇の陵墓は泉涌寺内に築かれ、この頃から皇室との結びつきが強まった。江戸時代には後水尾天皇以下、幕末の孝明天皇に至る歴代天皇が山内に葬られている。このため、皇室の香華院(こうげいん)となり、「御寺(みてら)」と尊称されている。(「香華院」とは、香をたき、花を供える場所、すなわち、先祖が眠る寺の意。)

応仁の乱による焼失をはじめ、諸堂はたびたびの火災で焼失しており、現存の堂宇は近世以降の再建である。大日本帝国憲法施行以来日本国憲法施行まで、営繕・修理費は全て宮内省が支出していた。

あいにくの雨でしたが、早起きして桂離宮に行きました。
9時の参観予約でしたので、8時30分に到着しました。

入場の門のところでしばらく待って、申し込みのはがきと参観者の人数などがチェックされます。
私の前の4人連れが、係りの人に「申し込みでは男性2名・女性2名となってますが?」とチェックを受けていました。どうしたのかと思って見ていると、係りの人が女性を男性と間違えたみたいでした。確かにかなりボーイッシュな女性でした。

その後、建物の中の受付で再度、申込はがきと代表者の身分証明証のチェックを受けます。
十数名が1グループとなり、ガイドの方1名がつき更に最後尾に1名警備の人がついて、1時間で庭園を巡ります。


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雨の中の参観でしたが、それはそれで趣きがあって良かったです。


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ただ、工事のため池の水が抜かれていました。ガイドの方のお話では1年中どこかで修理工事をしているとのことでした。


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庭にある建物はほとんどが装飾を廃した簡素な建築なので、ちょっと見はたいした建物には見えませんが、ガイドの方の説明を聞くとそれぞれに当時の意匠を凝らした建築美であることが、少しですが理解できました。

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桂離宮
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
桂離宮書院
桂離宮庭園桂離宮(かつらりきゅう)は京都市西京区桂にある、約7ヘクタールの離宮(離宮とは皇居とは別に設けた宮殿の意)。[1]江戸時代初期の造営当初の庭園と建築物を遺しており、当時の(王朝)文化の粋を今に伝えている。回遊式の庭園は日本庭園の傑作とされる。また、建築物のうち書院は書院造を基調に数寄屋風を採り入れている。庭園には茶屋が配されている。もとは桂宮家(八条宮家)の別荘であったが、現在は宮内庁京都事務所により管理されている。

参観には宮内庁京都事務所に事前申込みが必要(外部リンクの参観案内参照)。



歴史
桂離宮は17世紀に八条宮家(桂宮家)の別荘として造営されたもので、書院、茶屋、回遊式庭園から成る。近世の皇族の別荘の実態を伝えるものとして貴重である。

桂の地は、古くから貴族の別荘地として知られ、平安時代には藤原道長の別荘(当時は「別業」といった)が営まれていたという。また、この地は風流な観月の名所としても知られていた。桂離宮の近くの西京区松室には月読神社があり、桂の地名も中国語の「月桂」の故事から来ているという。

桂離宮は八条宮家初代の智仁(としひと)親王(1579年 - 1629年)によって基礎が築かれた。智仁親王は正親町天皇の皇孫、後陽成天皇の弟に当たる。智仁親王は初め豊臣秀吉の猶子となったが、秀吉に実子が生まれたため、八条宮家(桂宮家)を創設したものである。本邸は京都御所の北側、今出川通りに面して建設され、現存する(ただし築地塀と表門・勅使門だけを残し、建物群は二条城に移築されている)。

桂離宮の書院は「古書院」「中書院」「新御殿」の3つの部分に分かれ、このうち古書院の建設は1615年頃と推定される。書院、茶屋、庭園などの造営は、八条宮家2代の智忠(としただ)親王(1619年 - 1662年)に引き継がれ、数十年間をかけて整備された。八条宮家は常磐井宮、京極宮、桂宮と名前を変えた後、1881年に断絶し、桂離宮は1883年から宮内省の管轄になった。第二次世界大戦後は、宮内庁が管理している。

建物と庭園
松琴亭内観古書院、中書院、新御殿はいずれも入母屋造、柿葺(こけらぶき)で、書院造を基調としているが、古書院の縁側などには数寄屋風の要素も見られる。古書院縁側からさらに張り出した竹簀子(すのこ)のベランダ状のスペースは「月見台」と称され、桂離宮の主要テーマが観月にあることを示している。中書院と新御殿の水墨主体の障壁画は、幕府御用絵師・狩野探幽一門によるものである。また、月夜の景色などの金・銀下絵を施した親王筆の短冊も壁面に貼られていた。新御殿上段の間の「桂棚」は天下三棚の一つとして知られる(他に修学院離宮、醍醐寺三宝院)。

回遊式庭園には、桂川の水を引いた池を中心に、茶屋、築山、州浜、橋、石灯篭などを配している。茶屋は松琴亭(しょうきんてい)、賞花亭(しょうかてい)、笑意軒(しょういけん)、月波楼(げっぱろう)の4棟があり、他に持仏堂の園林堂(おんりんどう)がある。

自宅から車で10数分のところにあるチベット仏教寺院に寄ってみました。


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場所は龍泉寺の近くで、竜泉寺の湯というスーパー銭湯の道路を挟んで斜め前にあります。
5年程前にえらい派手な寺院風の建物ができたことは、この道路を通るたびに知っていました。


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でもなんなのかは知りませんでしたが、インターネットで以下のような説明を見つけたので行ってみました。


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建物も仏像もまだ新しいので、金色に輝く屋根といい内部の仏像といい、独特の色使いでちょっとカルチャーショックでした。


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パンフレットのは厳しい修行を重ねた女性住職(倶利加羅不動寺の住職)が建立したお寺とありましたが、これほどのものを立てるのは物凄い情熱ですが、財力もかなりのものでしょうね。

<倶利加羅不動寺のホームページより>
強巴林(チャンバリン)は、名古屋の守山の地に建立された日本初の本格的なチベット仏教寺院です。
森下永敏ご住職は、チベットの地に修行の場を求め苦難の末、活佛と呼ばれていた
ボミ・チャンバ・ロドロ高僧より、日本人女性として初めての受戒を受けさせて頂き、
強巴曲珍(チャン・バ・チュ・ドゥン)の法名を賜りました。
チベットで最も古い歴史を持ち『聖なる寺院』と呼ばれる大昭寺より、
本尊、諸尊の佛像、佛画はもとより、佛具、建築資材等の細部に至るまで指導を受け、
4年という歳月をかけて、チャンバリンを建立しました。
ご本尊は12歳の釈迦牟尼像を安置し、チベット佛教の教えの真髄である大蔵経を所蔵しています。
チャンバリンの屋根に輝く法輪と2頭の鹿は、その証です。平成17年3月23日(水)の落慶法要には、
チベットより僧侶をお招きし、入佛開眼落慶法要を厳修していただきました。

日泰寺から北西に歩いて数分のところにある鉈薬師を参拝しました。



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ここは日泰寺の弘法さんの縁日がある毎月21日の10時から14時開扉されます。

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医王堂とも呼ばれる小さなお堂です。
このお堂には本尊薬師仏を囲んで、円空が彫った日光、月光菩薩、十二神将像などが並びます。
特にここの十二神将は、数ある円空の十二神将のうちでも最も大胆なデザインと言われています。

鉈薬師は尾張藩の藩医、張振甫の邸宅だったところと伝えられ、十二神将は名古屋城の残り材を下付されて彫ったものといわれています。
十二神将像は寛文9年(1669年)円空38歳の頃に作られました。

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また、鉈薬師のすぐ隣に高架道路が建設中で、なんでこんな日泰寺の裏の閑静な住宅街にと、かなり驚ろくような場所です。地元住民の反対の立て看板などもあり建設反対運動も行われているみたいです。

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十二神将の写真は名古屋市のホームページの写真です。


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<名古屋市ホームページより>
鉈薬師(なたやくし)
寛文9年(1669)明国の帰化人で尾張藩祖徳川義直の御用医師を勤めた張振甫によって建てられた。医王堂ともいう。堂内には名古屋城築城の余材を鉈一本で彫られたといわれる十二神将、日光、月光菩薩が並んでいる。
(毎月21日に行われる縁日の時には10時から14時開扉される)


毎月21日が日泰寺の縁日ですが、初めて縁日に参拝してみました。

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日泰寺は自宅から車で10数分なので、近くに行った時にはたまに寄っていますが、いつもは静寂な境内が大変なことになっていました。


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車はちょっと離れた霊園の方の駐車場に止めましたが、2つの広い駐車場が車でいっぱいになっていました。初めてみる光景です。

縁日に参拝したのは今回が初めてでしたので、こんなに人が集まっているとは想像以上でした。

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境内の中は果物や魚や乾物、お菓子とか、結構食べ物のお店が多いように感じました。
結構、試食もできたりしましたが、人が多すぎてなかなか試食するのも大変みたいです。

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参道も両側に露天が並び、やはり人でいっぱいでした。

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日泰寺の周りにある、四国八十八箇所巡りのお堂でも、ちょっと大きなお堂では参拝客にお茶だしなどの接待をしていました。

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
覚王山日泰寺 (かくおうざん にったいじ) は、愛知県名古屋市千種区にある超宗派の寺院である。 タイ王国から寄贈された仏舎利(釈迦の遺骨)を安置するために、創建された。「覚王」とは、釈迦の別名。また「日泰」とは、日本とタイ王国を表している。

どの宗派にも属していない超宗派であり、各宗派(現在19宗派が参加)の管長が、三年交代で住職を務めている(ただし境内北側に設置されている僧堂は、曹洞宗が管轄している)。住職は宗派の違うお経を上げることもあるという。

なお仏舎利は、本堂のある境内からやや離れた「奉安塔」の中に安置されている。

境内には仏舎利を日本に寄贈したラーマ5世の像もあり、在日タイ大使は誕生日に参拝するのが習わしになっている。また在日タイ人もしばしば参拝に訪れるという。

最後に妙心寺の雲龍図が見たくて参拝してきました。

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妙心寺は何度も門の前を通っているんですが、時間が無くて今までスルーしていました。
名古屋博物館の妙心寺展には昨年行きましたが、今回ようやくゆっくり参拝できました。

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こちらでは毎週土曜日に泊まりで座禅会(大衆座禅)があり、参加したいとは思っていますが、その厳しさは半端では無いようなので、他の初心者用の座禅会で修行を積んで挑戦したいと思います。

法堂の雲龍図はさすがの見ごたえがありました。
狩野探幽が55歳のとき、8年の歳月を要して描きあげたとされる大作です。
直径12mあり、龍の目は円相の中心に描かれるが、立つ位置、見る角度によって、龍の表情や動きが変化するように見え、通称「八方にらみの龍」と言われているそうです。

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法堂には国宝の梵鐘がいつもは安置されていますが、この時は丁度、地方の妙心寺展に出展のため、パネルしかありませんでした。私は名古屋の妙心寺展では拝観していますが、ちょっと残念。
この梵鐘は戊戌(つちのえいぬ)年(西暦698年)にあたる年の銘文がある日本最古の紀年銘鐘で、音色が雅楽の黄鐘調(おうじきちょう)に合うことから古来「黄鐘調の鐘」として著名で、『徒然草』にもこの鐘のことが記述されているそうです。
テープで音色を聞くことができます。

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また広大な境内には塔頭寺院が38箇院もあります。境外にも10箇院あり、あの有名な龍安寺もそのひとつです。
境内には拝観のできる塔頭がいくつかあるみたいですが、残念ながらそこまでの時間はありませんでした。


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妙心寺

所在地 京都府京都市右京区花園妙心寺町64
位置 北緯35度1分23.39秒
東経135度43分12.67秒
山号 正法山
宗派 臨済宗妙心寺派
寺格 大本山
本尊 釈迦如来
創建年 暦応5年/康永元年(1342年)
開基 花園法皇、関山慧玄(開山)
正式名 正法山 妙心禅寺
文化財 梵鐘、大燈国師墨蹟(国宝)
仏殿、法堂、三門他(重要文化財)
方丈庭園(国の史跡・名勝)

妙心寺(みょうしんじ)は、京都市右京区花園にある臨済宗妙心寺派大本山の寺院。山号を正法山と称する。本尊は釈迦如来。開基(創立者)は花園天皇。開山(初代住職)は関山慧玄(かんざんえげん、無相大師)。

日本にある臨済宗寺院約6,000か寺のうち、約3,500か寺を妙心寺派で占める。近世に再建された三門、仏殿、法堂(はっとう)などの中心伽藍の周囲には多くの塔頭寺院(たっちゅうじいん、子院)が建ち並び、一大寺院群を形成している。平安京範囲内で北西の12町を占め自然も多いため、京都市民からは西の御所と呼ばれ親しまれている。

前回、仁和寺を参拝したのは去年の御室桜が満開の4月でしたので、10ヶ月ぶりになります。
今回は冬の特別公開の金堂と霊宝館の拝観が目的です。

さすがに世界遺産のお寺だけあって、霊宝館には国宝の阿弥陀三尊像をはじめ国宝・重要文化財がずらりと並んでいました。見ごたえがあります。

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国宝の金堂では霊宝館とは別の阿弥陀三尊像と極楽浄土を表した障壁画が公開されていました。
「御室御所」と言われるだけあって、この金堂は元は御所の紫宸殿が払い下げられたものなんですね。
屋根の上に、亀に乗った仙人様のちょっとユーモラスなお姿が拝見できました。

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京の三大門と言われることもあるみたいですが、二王門も見事ですね。


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ただ、京の三大門と言われるのは知恩院三門と南禅寺三門はまちがい無いみたいですが、三番目はこの仁和寺二王門か東本願寺御影堂門か、人によるみたいです。
また、この四つの門で京都4大門ともいうみたいですが、これなら間違いないですね。


また今年も御室桜の満開の4月にはお花見に参拝したいです。

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仁和寺

所在地 京都府京都市右京区御室大内33
位置 北緯35度1分51.63秒
東経135度42分49.58秒
山号 大内山
宗派 真言宗御室派
寺格 総本山
本尊 阿弥陀如来
創建年 仁和4年(888年)
開基 宇多天皇
正式名 大内山 仁和寺
別称 旧御室御所
札所等 真言宗十八本山6番
京都十三仏霊場9番
近畿三十六不動尊14番
御室八十八ヶ所霊場
神仏霊場 巡拝の道 第92番
文化財 金堂他(国宝)
五重塔他(重要文化財)
世界遺産

仁和寺(にんなじ)は、京都府京都市右京区御室(おむろ)にある真言宗御室派総本山の寺院である。山号を大内山と称する。本尊は阿弥陀如来、開基(創立者)は宇多天皇である。「古都京都の文化財」の一部として、世界遺産に登録されている。

皇室とゆかりの深い寺で、出家後の宇多法皇が住したことから、「御室御所」(おむろごしょ)と称された。明治時代以降は、皇族が仁和寺の門跡に就かなくなったこともあり、「旧御室御所」と称するようになった。

御室は桜の名所としても知られ、春の桜と秋の紅葉の時期は多くの参拝者でにぎわう。徒然草に登場する「仁和寺にある法師」の話は著名である。当寺はまた、宇多天皇を流祖とする華道御室流の家元でもある。

先週に引き続き、二週連続で京都に行ってしまいました。
冬の特別公開中の壬生寺の本堂と仁和寺の金堂を拝観しました。
最後に妙心寺の雲龍図が見たくて参拝してきました。

名古屋の自宅をゆっくりと8時半ごろ出て、壬生寺には10時50分ごろ着きました。

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壬生寺は初めて拝観させていただきましたが、本尊は地蔵菩薩でした。

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それで境内にお地蔵さんが多いのですね。
明治の廃仏毀釈で廃されたお地蔵さんや区画整理等で祀られなくなったお地蔵さんがその後、数多く持ち込まれたようです。また夏祭りなどにお地蔵さんのレンタルもやっているみたいです。

京都の中心部にあるお寺なので、境内はそんなに広くはないように見えますが、それでも保育園やりっぱな老人ホーム等があり合わせるとかなりの広さです。
新撰組のゆかりのお寺で、新撰組隊士のお墓もあります。

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特別公開の本堂には、2007年に奉安された友禅画家あだち幸氏による障壁画があり、地獄と極楽が描かれており、かなりの大作でした。


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壬生寺
所在地 京都府京都市中京区坊城通仏光寺上ル
位置 北緯35度0分5.76秒
東経135度44分36.02秒
宗派 律宗大本山
本尊 地蔵菩薩(重要文化財)
創建年 991年(正暦2年)
開基 快賢
正式名 心浄光院 宝憧三昧寺
札所等 洛陽三十三所観音霊場28番(中院)
文化財 木造地蔵菩薩立像、錫杖、列仙図屏風、大念仏堂(重要文化財)
壬生狂言(重要無形民俗文化財)、壬生六斎念仏踊り(重要無形民俗文化財)

壬生寺(みぶでら)は、京都市中京区壬生にある律宗大本山の寺院である。本尊は地蔵菩薩、開基は園城寺(三井寺)の僧快賢である。中世に寺を再興した円覚上人による融通念仏の「大念仏狂言」を伝える寺として、また新選組ゆかりの寺としても知られる。壬生寺は通称で、寺号を宝憧三昧寺、院号を心浄光院という。

最後にものはついでなので、初めて豊国廟へ行ってみました。
智積院と妙法院の間の道を登りきったところにあります。
この道は地元では女坂と呼ばれているそうです。
京都女子学園があり、通学時間などは幼稚園児から女子大生までの女の子で埋め尽くされるみたいです。

私が行った時は土曜日の4時近くでしたので、豊国廟にはほとんど人影はなかったのですが、学校の近くのバス停には女子学生がかなりバスを待っていました。

ここは駐車料金が500円でした。1日OKなので、車が邪魔の時はここに置いて市内観光してもいいですね。ただ、ここまでの坂がちょっときついですが。
階段を登るのは別に50円必要でした。

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東山三十六峰の一つ阿弥陀ケ峰(196m)にあるので565段の階段を登って、豊国廟・五輪の石塔をめざしましたが、最後はかなり息も絶え絶えになりました。


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途中に門が見えるので、最初はそこが終点かと思って登っていましたが、中間地点でした。
そこから更にきつい登りが続きます。

もう誰もいないと思っていましたので、頂上に女子中学生のグループがいて、ちょっと驚きました。写真を頼まれたので撮ってあげたりしました。

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眺めはいいのですが、木が生い茂りすぎで眺望が邪魔されていました。
ここまでに登るのに疲れて、そうそうに名古屋に帰りました。

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帰りの高速はスムーズでいつも渋滞する一宮ジャンクションあたりもすんなり通過できました。
ただ、新名神のほうはやはり四日市付近で渋滞が発生と掲示板に出ていました。