京都日記 世界遺産・ときどき名古屋


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毎月21日は日泰寺の弘法さんの縁日なので久々に寄ってみました。
6月21日は月曜でしたので、休日と重なった日の縁日と比べると露店も人出も1/2~2/3程度でした。

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日泰寺は日本で唯一無宗派のお寺としても有名です。
明治37年にタイから贈られた釈迦の遺骨を安置するために、日本仏教会が建立した超宗派のお寺です。
明治31年にイギリスのウイリアム・ペッペが古墳発掘中に釈迦の遺骨を納めたことを記した舎利容器を発見し、これによって釈迦が実在の人物であることが文献的にも考古学的にも証明されました。

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ペッペが発掘した釈迦の遺骨の一部は仏教国タイにもたらされ、その後、タイ国王より日本国民へ贈物として日泰寺の安置されました。


日泰寺の周りを取り囲んで四国八十八ヶ所のミニ版の八十八ヶ所巡りがあり、縁日には各札所でお茶やお菓子の接待があります。

また日泰寺の山門前に千躰地蔵堂がありいつもは鍵が掛かっていますが、縁日の日は開扉され千躰のお地蔵様をお参りできます。


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今日は先週の休日出勤の振休でしたので、午前中久々に鉈薬師(なたやくし)医王堂を参拝しました。


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こちらは今は個人所有となっており、毎月21日の日泰寺の弘法さんの市に合わせて朝10時から午後2時まで開扉されます。


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鉈薬師は中国風の円空仏で有名ですが、特に名古屋城築城の余材といわれる角材で作られた十二神将像の中国風表現は他の円空仏には作例がなく鉈薬師独特の形態と言われています。

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これは鉈薬師を完成させた中国明朝滅亡による亡命帰化人である張振甫(ちょうしんぽ)の要望指導であると考えられています。

振甫の名前は千種区振甫町の町名や一昨年に廃止された振甫プールなどに残っていますね。

内部には鎌倉時代の作と思われる薬師如来坐像を本尊とし両脇に円空作の日光、月光両菩薩が安置され、さらにその左右に阿弥陀如来坐像・観音菩薩坐像がまつられています。

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両側脇壇には上記の十二神将像が6体づつ十二支順にまつられています。
鉈薬師とは円空が鉈一本で日光、月光菩薩、十二神将像を彫ったことから呼ばれたようです。

私が毎日通勤している名古屋の伏見交差点(広小路通伏見)周辺です。



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この交差点の下は地下鉄の鶴舞線と東山線の伏見駅で、この周辺は基本的には銀行や企業などのオフィス街となっていますが、少し歩くと長者町の繊維街があります。

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2番出口を地上に出ると目の前に巨大な立方体のモニュメントがあり、伏見交差点のランドマークとなっています。


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その脇には堂島ロールで有名なモンシュシュが入っているカフェがあります。1日4回堂島ロールの売り出しがあり、前はその時間になると凄い行列ができていましたが、今は予約ができるようになりましたので行列もかなり短くなっています。

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その反対側には御園座があり、歌舞伎や演歌ショー等に開演のときには賑わっています。


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御園座の横路地を入った御園通には「白波五人男のからくり時計」があり1日4回ほど五人男が口上を言います。

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この伏見通りは、前は片側5車線の10車線道路でしたが、昨年、片側2車線づつを潰して自転車専用道路と駐輪場と荷降し用の車寄せができました。


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自転車専用道路は1.3キロほどですが、専用道路になったのはいいこととは思いますが、それまであった100本以上の街路樹が切られてしまいました。大変残念なことです。

近くには名古屋観光ホテルという名古屋では老舗のホテルがあり、名古屋城のお堀にあるウエスティンナゴヤキャッスルと名古屋の高級ホテルを二分してきましたが、そのすぐ近くにヒルトン名古屋というライバルができて競争が激しくなっているみたいです。

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あとは中部電力のでんきの科学館があり小中学生で賑わっています。
ここは入館は無料ですが、私はまだ入ったことがありません。
コンサートホールなどもあり催しものもさかんに行われているみたいです。

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また地下鉄の東山線のホームと直結して伏見地下街という繊維街の地下街があります。
この地下街は50年以上の歴史があり、昭和の香りというか、かなりレトロな地下街となっています。


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オアシス21の道路を挟んで目の前にある名古屋テレビ塔にも行ってみました。

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オアシス21は東区東桜でしたが、名古屋テレビ塔は中区錦3丁目になります。


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錦3(きんさん)というと名古屋では一番の繁華街になりますが、久屋大通公園も錦3なんですね。

名古屋テレビ塔は昭和29年に電波塔としては日本で最初に完成し、名古屋中心部のシンボルとして親しまれてきました。
高さ180mで地上90mにスカイデッキ、100mに金網で囲まれたスカイバルコニーがあり、名古屋市内や周囲の山々の眺望が楽しめます。

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地上アナログ放送の終了に伴い2011年には電波塔としての役割は終了する予定です。

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2006年にリニューアルが行われタワーレストランなどの飲食店中心となりましたが、私も会社の部下の結婚式がここで行われて出席しました。

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地上100mの最上階スカイデッキでのタワーウエディングと美しい夜景を見ながらの4Fタワーレストランでの披露宴もなかなかいい感じでした。

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その他にも毎月いろいろなイベントが行われたり、毎日ライトアップされています。
これからの季節はオープンカフェでの喫茶や食事もいいですね。

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オアシス21は名古屋の中心部にある公園やバスターミナル、飲食店、ファッション専門店、雑貨店、おもちゃ店などの複合施設ですが、私が通勤で利用する名鉄瀬戸線の始発駅である栄町駅が隣接していて毎日そばを通るのですが、公園には1回ぐらいしか行ったことがなかったので会社帰りによってみました。

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水の宇宙船(大屋根)と緑の大地(地上公園)と 銀河の広場(吹抜公園)からなっています。

水の宇宙船(大屋根)は屋上の公園で地下広場の真上にあり、地面はガラス張りで、中央から水が流れて銀河の広場に光の波紋を描きだしています。ガラス張りなので水の中に銀河の広場をゆらゆらと見ることができます。

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緑の大地(地上公園)は芝生の公園となっておりベンチや花壇や樹木も並んでいます。また愛知芸術文化センターへの連絡橋もあります。

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銀河の広場(吹抜公園)は地下の広場となっておりイベントなどが行われます。「いやしす」と言う名前の恐竜をモチーフにしたマスコットキャラクターがあり、周りを30数店舗の商業施設が取り囲んでいます。

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屋上公園はライトアップされており結構幻想的というか、近未来的でもあります。


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地蔵院の後に嵐山に向かいました。
渡月橋を渡り、嵐山のメインストリートを北に向かってまっすぐ車を走らせ突き当たったところに清涼寺があります。

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このお寺は初めて拝観しましたが、光源氏のモデルといわれる源融や法然上人、豊臣秀頼、徳川綱吉の母である桂昌院などのゆかりのお寺であり、インド・中国・日本の三国伝来の釈迦像や棲霞寺の本尊である阿弥陀三尊坐像の国宝をはじめみどころがいっぱいでした。

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清涼寺の本尊である国宝のインド・中国・日本の三国伝来の釈迦像は「清涼寺式釈迦像」と呼ばれ、納衣の襞の細かい波紋や頭髪を編みこんでいたり、国産の釈迦像とはあきらかに違う特徴がありその模刻が全国に100体ほどあるみたいです。

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春季(4・5月)と秋季(10・11月)は特別拝観で本尊と霊宝館が拝観できます。
霊宝館には平安時代の国宝棲霞寺本尊の阿弥陀三尊坐像をはじめ本堂釈迦如来両脇侍の文殊・普賢菩薩や釈迦十大弟子像、四天王立像など国宝や重文が満載でした。

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方丈では自由に写経もでき、この日2回目の写経ができました。


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清涼寺の後はイイダコーヒ本店に行ってチャパタサンドセットを食べて名古屋に向かいました。
ただ、集中工事のことをつい忘れており、京都東の入口から渋滞となっていました。



清凉寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
所在地 京都府京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町46
位置 北緯35度1分24.57秒
東経135度40分27.44秒
山号 五台山(ごだいさん)
宗派 浄土宗
本尊 釈迦如来(国宝)
創建年 寛和3年(987年)
開基 奝然
別称 嵯峨釈迦堂
札所等 京都十三仏霊場2番
文化財 木造釈迦如来立像及像内納入品、木造阿弥陀三尊坐像ほか(国宝)
紙本著色融通念仏縁起2巻、木造文殊菩薩騎獅像ほか(重要文化財)

清凉寺(せいりょうじ)は、京都府京都市右京区嵯峨にある浄土宗の寺院。山号を五台山(ごだいさん)と称する。嵯峨釈迦堂(さがしゃかどう)の名で知られ、中世以来「融通念仏の道場」としても知られている。宗派は初め華厳宗、後に浄土宗となる。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は奝然(ちょうねん)、開山(初代住職)はその弟子の盛算(じょうさん)である。

歴史
棲霞寺
この寺の歴史には、阿弥陀三尊を本尊とする棲霞寺(せいかじ)と、釈迦如来を本尊とする清凉寺という2つの寺院が関係している。この地には、もともと、嵯峨天皇の皇子・左大臣源融(みなもとのとおる、822年 - 895年)の別荘・栖霞観(せいかかん)があった。源融の一周忌に当たる寛平8年(896年)、融が生前に造立発願して果たせなかった阿弥陀三尊像を子息が造り、これを安置した阿弥陀堂を棲霞寺と号した。その後天慶8年(945年)に、重明親王妃が新堂を建て、等身大の釈迦像を安置した。一説では、「釈迦堂」の名の起こりはこの時であるという。

清凉寺
棲霞寺草創から数十年後、当時の中国・宋に渡り、五台山(一名、清凉山)を巡礼した奝然(ちょうねん、938-1016)という東大寺出身の僧がいた。奝然は、宋へ渡航中の985年、台州の開元寺で現地の仏師に命じて1体の釈迦如来像を謹刻させた。その釈迦像は、古代インドの優填王(うてんおう)が釈迦の在世中に栴檀(せんだん)の木で造らせたという由緒を持つ霊像を模刻したもので、実は模刻像と霊像とが入れ替わったとする縁起を持つため、「インド - 中国 - 日本」と伝来したことから「三国伝来の釈迦像」と呼ばれている。奝然は、永延元年(987年)日本に帰国後、京都の愛宕山を中国の五台山に見立て、愛宕山麓にこの釈迦像を安置する寺を建立しようとした。奝然は、三国伝来の釈迦像をこの嵯峨の地に安置することで、南都系の旧仏教の都における中心地としようとしたものと思われる。すなわち、都の西北方にそびえる愛宕山麓の地に拠点となる清凉寺を建立することで、相対する都の東北方に位置する比叡山延暦寺と対抗しようとした、という意図が込められていたとされる。しかし、その願いを達しないまま長和5年(1016年)、奝然は没した。かれの遺志を継いだ弟子の盛算(じょうさん)が棲霞寺の境内に建立したのが、五台山清凉寺である。

大念仏(融通念仏)
融通念仏との結びつきができたのは、弘安2年(1279年)以降のことである。この年、大念仏中興上人と呼ばれる円覚が、当寺で融通念仏を勤修している。その後、当寺で大念仏が盛んになり、融通念仏の道場となった。嵯峨大念仏が初めて執行されたのは、下って嘉吉3年(1443年)のこととされる。その後、応仁の乱で本寺の伽藍は焼失するが、文明13年(1481年)に再興された。

出開帳
享禄3年(1530年)に円誉が当寺に入り、初めて十二時の念仏を勤修してより、本寺は浄土宗の寺となる。釈迦堂(本堂)は、慶長7年(1602年)に豊臣秀頼によって寄進・造営されたが、その後、嵯峨の大火が類焼し、本堂以下の伽藍は被災し、また、大地震の被害もあり伽藍の破損は甚大となる。元禄13年(1700年)より、本尊の江戸に始まる各地への出開帳が始まる。また、徳川綱吉の母である桂昌院の発願で、伽藍の復興がおこなわれた。 このように、三国伝来の釈迦像は信仰を集め、清凉寺は「嵯峨の釈迦堂」と呼ばれて栄えた。一方、母体であった棲霞寺は次第に衰微したが、今に残る阿弥陀堂や、阿弥陀三尊像(国宝、現在は霊宝館に安置)に、その名残りをとどめる。

伽藍
「五台山」の額が掛かる仁王門を入ると、正面に三国伝来の釈迦像を安置する本堂(釈迦堂)があり、本堂の東側には、旧棲霞寺本尊の阿弥陀三尊像を安置していた(現在は霊宝館に安置)阿弥陀堂が、通例の阿弥陀堂とは逆に、本尊が西を向く形で配置されている。また、本堂西側には南向きの薬師寺がある。現在の本堂は元禄14年(1701年)、阿弥陀堂は文久3年(1863年)の再建である。

仁王門から本堂への参道の西側には法華経に由来する多宝塔、法隆寺夢殿を模した聖徳太子殿、狂言堂などがある。狂言堂は、春の大念仏の季節には賑わいを見せる。参道を挟んだ東側には、堂の正面に傅大士(ふだいし)父子像が安置された一切経蔵(輪蔵)がある。

境内には以上の他、宝物を収蔵展示する霊宝館、法然上人求道青年像、豊臣秀頼首塚などがある。

文化財
国宝
木造釈迦如来立像および像内納入品
「歴史」の項で述べた、いわゆる「三国伝来の釈迦像」である。像高約160cmで、魏氏桜桃という日本にはない材で作られているという。縄目状の頭髪や同心円状の衣文の形式など、一見して日本の通例の仏像と異なる様式を示す。奝然が宋に滞在中の985年、台州開元寺で作らせたもので、刻銘、納入品等の記載から、張延皎および張延襲という作者の名もわかっている。
この釈迦像の模造は、奈良・西大寺本尊像をはじめ、日本各地に100体近くあることが知られ、「清凉寺式釈迦像」と呼ばれる。また、この像の胎内からは、造像にまつわる文書、奝然の遺品、仏教版画など多くの「納入品」が発見され、これらも像とともに国宝に指定されている。納入品のうち「五臓六腑」(絹製の内臓の模型)は、医学史の資料としても注目される。その他、奝然の遺品としては、生誕書付(臍の緒書き)や手形を捺した文書なども発見された。
木造阿弥陀三尊坐像

「歴史」の項で述べた、棲霞寺の本尊である。源融の一周忌に当たる寛平8年(896年)に完成したと思われる。
絹本著色十六羅漢像16幅

中国・北宋時代の羅漢像として唯一の遺品。東京と京都の国立博物館に8幅ずつ寄託されている。
重要文化財
紙本著色釈迦堂縁起(伝元信筆)6巻 
紙本著色融通念仏縁起 2巻
木造文殊菩薩騎獅像
木造帝釈天(伝普賢菩薩)騎象像
木造地蔵菩薩立像
木造毘沙門天立像
木造毘沙門天坐像 - 2009年度指定。左脚を踏み下げて座す、図像的に珍しい毘沙門天像。平安時代後期。
木造四天王立像
木造十大弟子立像
源空、証空自筆消息(2通)(附 熊谷直実自筆誓願状 1巻、迎接曼荼羅 2幅、迎接曼荼羅由来 1巻)

西芳寺の後に、すぐ近くの地蔵院を参拝してみました。
西芳寺から鈴虫寺に向かう途中を右に折れ、階段を登って行きます。
この階段のおかげで穴場になっているのでしょうか。

若い女性を中心に賑わっている鈴虫寺とは対照的に、参拝客も少なく、静寂さの中に空に真直ぐ突き刺さる竹の林が風に吹かれる音が聞こえて来るだけの非常に落ち着ける、また竹の葉とカエデの緑が調和した美しいお寺でした。

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紅葉の季節はこのカエデは見ごたえがあるんでしょうね、紅葉の時は超穴場となっているみたいです。

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参道から本堂まで続く竹林は竹の寺というだけあって見事でしたが、鈴虫寺に集まる若い女性向けのお寺ではないですね。

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方丈もほとんど独り占めで、「十六羅漢の庭」と呼ばれる平庭式枯山水を独占できました。

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庭には十六羅漢の修行の姿を表している石が配置されており石の一つ一つが羅漢を意味しているほか、名椿「胡蝶佗助」や五葉松などとともに苔を楽しむことができました。

本堂の南側には、自然石で造られた宗鏡(そうきょう)禅師と細川頼之(よりゆき)公のお墓がありますが、自然石のお墓というのは珍しいですね。


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細川頼之公は南北朝・室町時代、3代将軍義満の時に管領となり室町幕府の基礎を築いた武将です。
このお寺は頓智で有名は一休さんが幼少期を過ごしたお寺としても知られています。

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京都には北野白梅町にも地蔵院があり、そちらは椿の寺として知られ普通の椿は、ぽとっ、と花ごと落ちますが、椿の寺の五色椿は色とりどりの花びらが一枚づつはらはらと落ちてゆくとのことです。
全国に地蔵院は他に20ぐらいはあるみたいです。


地蔵院
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

地蔵院(じぞういん)は、京都市西京区にある臨済宗系の単立寺院。山号は衣笠山。本尊は地蔵菩薩。周囲を竹林で囲まれていることから竹の寺の通称で知られる。一休宗純は幼少時、この寺で修行したと伝えられる。
歴史
この寺は、1368年(応安元年)、室町幕府管領を務めた武将細川頼之によって創建された。頼之は碧潭周皎(へきたんしゅうこう、宗鏡禅師)に帰依して出家した。当寺の実質的な開山は碧潭周皎であるが、碧潭は法兄である夢窓疎石を勧請開山としている。

南北朝時代には勅願寺となって寺運も興隆したが、応仁の乱の兵火により伽藍を焼失し寺運も衰えた。

江戸時代中期に中興され、江戸期には天龍寺に属した。もとは臨済宗に属していたが、1968年(昭和43年)に独立して単立寺院となった。

文化財
重要文化財 銅造千手観音坐像 - 鎌倉時代。像高27.9cmの小像。細川頼之の妻の念持仏であったと伝える。
市指定文化財 方丈庭園 - 方丈庭園は「十六羅漢の庭」と通称される平庭式枯山水庭園である。

昨年から京都の世界遺産を中心に廻っていましたが、西芳寺以外は比較的簡単に廻れ、西芳寺だけは往復はがきで予約申し込みが必要なのでつい億劫で残っていました。
こういう時手続きをしていただける友人がいるとありがたいですね。

西芳寺は予約のいらなかった学生の頃、数回は行っているはずですが、ほとんど記憶がありません。学生のころは興味がなかったんでしょうね。

予約が13:00でしたので、知恩時の近くで買ったおにぎり弁当を車の中で食べながら向かいました。西芳寺近くの有料駐車場に車を駐車して15分ぐらい前には到着できました。ちなみに駐車料は3時間1,000円とありましたが、一応3時間ということみたいです。

西芳寺の隣に鈴虫寺がありますが、こちらは若い女性が次々と参拝しています。
西芳寺の参拝客とは年齢層がかなり違います。
鈴虫寺は駐車場も第2駐車場まであり、警備員さんが2人で車の誘導に追われていました。
鈴虫寺の若い女性をターゲットにしたマーケティング戦略は見事です。

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西芳寺も往復ハガキでの拝観申込や写経への参加、3,000円の拝観料と違った意味で特徴的です。
西芳寺の本堂では既に、写経を始めている方もいました。13:00過ぎに簡単な説明があり、般若心経を読経しその後写経がはじまりました。


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本堂にはざっと100名近くはいましたが、外人観光客も多く立ちひざや立ったまま腰をかがめて写経している方もいました。

写経は正座して気持ちを落ち着けて、ゆっくり硯を磨り無心に写経できたらいいのでしょうが、まず正座がしていられなくて胡坐になり、また文字をなぞるだけですがそれも上手くいかなくてとても無心で写経はできなかったです。

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写経が終わった方から庭園に行きますが、お寺の方は写経が途中でも時間の無い方はお庭にどうぞとさかんに言ってました。

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お庭はさすがに世界遺産だけあり100種類以上の苔が見事でした。
庭園自体も、上段の枯山水と、下段の池泉回遊式庭園の2つから成っており、夢窓疎石の傑作ですね。
銀閣寺などの有名庭園のお手本となっているだけのことはあります。


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先日からようやくマスコミも大々的に取り上げ始め、政府も本格的に対策をとるようですが、全てが遅すぎですね。

赤松農相はここにきても「対応のしようがない。わたしがやってきたことは反省するところ、おわびするところはない」と責任のがれの発言しているのは呆れますね。

前後の発言が全部報道されているわけではなく、この部分だけ強調して報道されているとは思いますが、

死ぬような苦しみを味わっている畜産農家がたくさんいるのこの発言はありえないと思います。


友人のブログに載っていたものですが、そのまま転載します。


「口蹄疫」

現地はかなりひどい状態の様です。

長いですが、最後まで読んでください!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今日も6軒の仲間が消えて行った。
1人は10年以上の付き合いになる。熱いヤツで、
「これからはJAや問屋を通してじゃなく、農家自身が消費者に訴えかけれるものを作って行かなきゃ!!」が口癖のヤツだった。
口ばっかりでなく、勉強熱心で努力家だった。
もう廃業するしない。

口蹄疫発生当初から現場が放出を要望してる消毒剤がある。
ビルコン。
ドイツのバイエル製薬の消毒剤。殺ウイルス力が強く、開発された当初から『世界のウイルス性伝染病が半分になる』とまで言われた消毒剤。
今使われている逆性石鹸系の5000倍の殺ウイルス効果を持ち、塩素系なので散布後長時間ウイルスを抑える。さらに人や牛への害が少ない。

10年前の口蹄疫の時は初動で2000本、1カ月で10000本のビルコンが国の財源と指導の下配られた。口蹄疫ウイルスより感染力の強い鳥インフルの時もこれを大量に散布し封じ込めた。
このビルコン、今年4月半ばからのアイスランドの噴火によるヨーロッパの空港閉鎖で国内の在庫がかなり少なくなっていた。
そこに口蹄疫。在庫の奪い合いになり、一瞬でなくなった。
だが全国の農政局に合わせて5000本の家畜防疫用のビルコンのストックがある。
俺も初めはこれが放出されるものと思っていた。
鹿児島の徳田議員が農水省に放出を要請、
「非常時用のストックで、非常時かどうかは大臣が判断する」との解答。
俺も農水省の友人に聞いてみた。が、「大臣にしか権限が無い。俺達農水の職員もおかしいと思う。でもどうにもできないんだ…」と。
が、大臣は一切対応を見せない。

バイエル製薬の知人によると、
アイスランドの噴火による空港制限は続いていて、限られた飛行枠では旅客機優先。貨物機はほとんど飛べない。今、中国や韓国も口蹄疫対策に国を挙げてビルコンの確保に乗り出している。中国はイベリアの貨物船をチャーターし、エジプトまで海輸し貨物機を飛ばし1万本を確保。韓国は火山灰の影響が少ない空軍の大型輸送機を飛ばし1万5千本を確保した。国を挙げての体勢に、日本の薬品卸会社じゃ買い付けの時点で太刀打ち出来ない。
それでも、バイエル日本支社の社長が必死になって確保した1500本のビルコンを確保した。

が…
5月3日に日本に届いたビルコン1500本、
『口蹄疫はアジア全体に蔓延しており、日本一国の問題ではない』と、小沢と岡田が500本を韓国・中国に無償で提供…。
さらに500本を小沢の地元の東北に…。
九州に来たのは500本のみ。
そのうち250本は数万頭規模の大手が独占。
宮崎1区の河村議員が宮崎の選挙支援した農家に50本を横流し。
最終的にJA川南に届いたのは20本のみ。発生農場の入り口で使うくらいで、焼け石に水だ。

現在川南では消毒剤が枯渇し、消毒効果の薄いハイターや酢まで持って来て散布している。
牛・豚・羊にとって最大の脅威とされる口蹄疫。それにく素手で立ち向かう様なもの。これでは、ウイルスは拡散していくばかり。


昨日の夕方、岩手の農家から電話があった。
『小沢議員が確保し、部会に届いたビルコン20本を●の所に送りたい』
涙が出そうになった。
もし岩手まで口蹄疫が攻めて来ないとも限らない。
それでも、俺達仲間を支援したい。
最近、東北の和牛が躍進しているのは“第一花国”“菊安舞鶴”“菊福秀”“平忠勝”と言った種牛が出てきたから。でも、どれも東北の“菊谷”と言う血の濃い血統。交配する為に宮崎や鹿児島の雌牛を飼っている。
逆に宮崎は宮崎の血統とは離れた東北の血統を導入している。
うちにも東北のみならず全国から来た牛がいる。全国各地でうちで産まれた牛が活躍している。
和牛の育種・生産は100年もの間、ライバルである産地同士で力を合わせる事で成り立って来た。

一部の小沢の取り巻き達が考えるように一朝一夕で成り立ってきた産業じゃない。
俺達の繋がりナメるな。

この20本を使えば、俺を含め仲間内の農家10軒を当分の間守りきれる…

俺も喉から手が出るほどほしい。
…でも、これは全て川南に送ろうと思う。
口蹄疫の爆心地…、
仲間達が毎日倒れていく。
これで1人でも仲間が助かれば…、
1頭でも多くの牛や豚が生き延びれば…。


今、宮崎に続々と全国各地の農家から消毒剤が届き始めた!!
誰もが『政府が消毒剤を配布するだろう』そう思っていた。でも、20日間もの間、政府は見て見ぬふりのまま毎日沢山の仲間が倒れていく。もう宮崎だけの問題しゃない。
佐賀の肥育農家の部会から、熊本の酪農家から、阿蘇のチーズプラントから、大分の若手繁殖農家の勉強会から、鹿児島の種畜場から、兵庫但馬の育種部会から、伊賀松阪の肥育部会から、山形の大手牧場から、種子島、沖縄、石垣島、山口、広島、島根、鳥取、京都、愛媛、香川、愛知、岐阜、新潟、群馬、長野、栃木、青森、北海道…
みんな、いつ自分の所に口蹄疫が来るかわからない。
でも、ストックしていた消毒剤を放出した。

宮崎の仲間の為に!!口蹄疫と闘うために!!

これでやっと武器が届く!!
戦える!!

うちの●●がシンガポールでビルコンを150本確保した!!
あと、5日もすれば日本に届く。全てを川南にぶち込む!!誰にも文句は言わせない!!!

イギリスの口蹄疫リファレンスセンターが余りの日本政府の対応の悪さに、ドイツのバイエル本社に要請をかけた。
MarkShuwalut常務の計らいで後10日で2000本のビルコンが届く!!!!

そうなれば、いや、それが本来の防疫体勢。

それまで、みんな持ちこたえてくれ。

これを乗り越えて、またみんなで宮崎の畜産を再興させることが全国の仲間への一番の恩返しになるから!! 」


別の方の5月10日の朝の日記

「朝4時。2時間しか寝てないのに目が覚める。

牛舎に入り、1頭1頭ヨダレは出てないか、水泡は出来てないか、びくびくしながら見て回る。
最後の1頭を見て、
「あぁ、良かった。今日も出て居なかった。」とため息を付く。
それから2時間の消毒作業。念入りに隅から隅まで消毒をする。もう、消毒剤も残り少ない。
それが終わると餌やり。本来の餌の量よりちょっとだけ多めにやる。
もしかしたら、今日が最後の餌やりになるかもしれないから。
ちょっと気の荒いヤツ、臆病なヤツ、おとなしいヤツ…
色んなヤツが色んな顔で楽しみに餌を待ってる。
みんな子牛の時からミルクを与え、餌をやり、病気をしたら治療して…、うちの牛はみんな自分の子供だと思ってる。
昨日発症した川南の農場…
うちの牛が行ってる。
年間100頭以上の子牛を売るけど、みんなどんな子でどこに行ったか覚えてる。
人慣つっこくて、元気な子だった。もうすぐ、薬を射たれ殺される。

朝食を取る。もう冷蔵庫には味噌と煮干しかない。買い物にすら行けない。
米だけは大量にあるがw
時間も無いんで簡単に朝食を済ます。

携帯が鳴る。
1日に何度なるだろう。その度にびくびくする。
電話に出る。
「○○んとこが出た…」電話の向こうで泣くように叫ぶ。
…大学の同級生だ。
明るくていつもバカばかり言ってるヤツだった。卒業して、2年会社努めをして、実家を継いだ。規模を拡大し、いい牛を出していた。熱くて、一生懸命なヤツだった。
口蹄疫。もう、廃業するしかない。
雌の子牛は大体40万くらいする。それを買って、種を付けて、10月して子牛が産まれ、3年手塩にかけて育て上げてやっと肉になる。
牛舎が1000万、機材が500万、機械が1000万、母牛が100頭で4000万、回転資金が1000万。
全頭殺処分。
補償金は母牛の4000万の4/5、3200万のみ。
莫大な借金のみが残る。
口蹄疫を出したら5年は牛を入れられない。
口蹄疫が出た牛舎や農場の機材や機械は、同業者には敬遠され、売れない。
一昨年、結婚して、
子供が出来て、仕事にさらに熱くなり、
飲む度に子供の自慢ばかりして、
「お前も早く子供作れよ」と笑っていた。

もう廃業するしかない…。
子供と奥さんを守る為に離婚するだろう。
もしかしたら…

ソイツに電話してみたが、電話には出ない。
俺には今ソイツの所に行ってやる事もできない。
何もしてやれない。

涙が止まらない。
今は自分を守る事しかできない。

毎日、何人もの仲間が消えていく。

今、仲間内で電話で話すと必ず言う言葉がある。

“仇、討とうな”

消えていくヤツはみんな一生懸命で、牛を愛するヤツばかり。
俺達が口蹄疫から生き残り、いい牛を育ていい肉をつくる、消えて行ったヤツラが愛し作り上げた宮崎の畜産業と血統を守る。
それが仇討ち。
俺達に出来る事はそれしかない。

一刻も早い沈静化を祈っています。」


これが、報道されない(させていない?)宮崎の現状です。
みなさん、助けてください。



声をあげていきたい。」





            




皆さんありがとうございます
昨日も20人近いマイミクさんが日記に書いてくれて1件1件お礼を言いたい所ですが、バタバタしてて
今一番ありがたいのはこの現状を知ってもらうこと世論で政府を動かすしかもう手が無いんです

昨日日記に書いた仲間の輪による消毒剤の話も、政府の圧力がかかり、
“各県まず自分所の防疫の徹底をせよ。宮崎は農相みずから出向き全力で対応している”
との電話があったみたいです。

消毒剤が圧倒的に足りません。
消毒剤の事は昨日書きましたが、
人手も圧倒的に足りません。
政府は“現場スタッフを国としても確保している”と発表してますが、一昨日までの現場スタッフ350人のほとんどは県のスタッフ。
九州農政局から3人の獣医師と20人のスタッフ、追加で30人の自衛隊。
農政局の獣医師はペーパー獣医師で現場しゃまともに牛に触ることも出来ない、追加で来た自衛隊は4日出たら2日休み実質2/3の労力。
昨日から宮崎による確保と九州各県の応援により倍の700人体勢に。
それでも殺処分対称の1割しか処分出来てません。
県も、保健所も、獣医師も、JAも、市町村も、休みなしで必死になって頑張ってます。

保健所の友人はGWどころか、発生からずっと休み無し、6~21時の重労働。爪は割れ、消毒剤で手の皮膚が爛れ…、
それでも必死になって戦ってます。
マイミクさんの旦那さんも新婚、子供が産まれて初めてのGWも休み無しで頑張ってくれてます。
ホントに感謝しています。

それでも全然処分が追い付かないんです。
今、処分対称の10万頭のうち、20日間で処分が終わったのは1万頭にも届きません。
今1日の処分頭数が千頭。毎日発症する頭数の方が圧倒的に多いんです。
感染した牛は毎日10億個、豚は5兆個のウイルスを撒き散らします。感染拡大が止まりません。

4月末に発症した友人の農場では、今のペースでは5月内に処分出来るかどうかと言った所です。
全て殺されてしまう。それでも弱れば排出するウイルスが増える。だから、殺されるのがわかってても、毎日餌をやり、ビタミンをやり、あらゆる手を尽くして少しでも牛を健康に保とうとしてます。
でも、農場全ての牛に広がり、弱い子牛から次々に弱り、死んでいきます。
死んでも処理業者も出入りできないため、死体の上に大量の石灰を乗せても、腐敗し異臭を放ち始め、
それでも親牛は自分の子を一生懸命舐め、石灰を落とそうとします。
消毒剤の不足から、本来は牛に使わないような強い薬を大量に毎日浴びせられ、牛は毛が抜けぼろぼろになっていきます。
そんな中で、自分の家族同然の牛を殺す事も出来ず、飼い続けなければならないんです。

また、保健所や獣医師が殺処分現場に集中せざるを得ず、発症が疑われる農場の検査も出来ず、
テレビや報道では50件80000頭となっていますが、
俺が把握してるだけで発症の疑いがあり検査待ちの所があと40農場あります。
とにかく人手が足りないんです。

もう殺処分が追い付かないんです。首相が激甚災害に認定し、自衛隊を出さない限り、拡大は収まりません。
「その必要があるかどうかを関係閣僚と話し合い、必要とあれば検討する」とか言ってる場合じゃないんです!!

ワクチンと言う手も有りますが、現行の法律では使えず、
しかも大臣は「参院選後の国会で立案立法を…」
とか言ってますが、
その頃には国内の牛・豚・山羊・羊・鹿・猪…等の偶蹄類はいなくなってるでしょう。

皆さんにお願いです。
とにかく、今、宮崎で大変な事が起こってると言うことを、多くの人に伝えて下さい。もう世論で政府を動かすしか方法がないんです。

資材機材も、人手も、予算も…
もう国に頼るしかないんです。
よろしくお願いします。

知恩寺から歩いて出町に向かいました。
河合橋と出町橋の上は葵祭の見物客で一杯で、渡るのはかなり大変でした。
何とか橋を渡って、川原町今出川の交差点のところで葵祭の行列を観ていました。

京都日記 世界遺産・ときどき名古屋


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15日の葵祭の見物客は8万7千人、行列は約500人からなり全長約1㌔で見物時間は1時間程かかるみたいです。

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残念ながら、西芳寺の予約時間があるため早々に切り上げて、西芳寺に向かいました。


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