《あの日 Papt4》


3月の紺碧色の天井いっぱいの夜空に、星たちは今夜も変わることなく何十億光年ものはるか彼方から夏の終わりの蛍のような儚い光を届けていました。
宇宙はその果てしのない使命を邁進し、今日も膨張を続けています。
しかしその宇宙から見ればひとつの銀河系に過ぎない天の川銀河の、さらにひとつの恒星に過ぎない太陽の、そしてさらにひとつの惑星に過ぎない地球のひとつの島国では、すべてが何ら変わりないように見えて、すべてが変わっていました。
未曾有の大地震に、巣穴に洪水が押し寄せた蟻たちのごとく人々は、日常を大きく逸脱した状況に、異様な高揚と興奮を見せていました。

この異様な高揚と興奮は、何であったのでしょうか?
草食動物が肉食動物に睨まれた時の感情、草食動物が肉食動物の牙に捕らえられた時の受容の感情、そんなものに近かったのでしょうか?
人類が滅亡する日も、こんな静かな高揚と興奮に包まれているのでしょうか?

そんな街全体の高揚と興奮を肌で感じつつ、わたしは煌めく星空を眺めながら、お風呂に入れてもらうため祖母の家へ向かいました。


90歳を越えているとても厳しい性格の祖母とその長男の叔父は、すでに床に着いていました。
わたしは、庭の井戸から引いた水を利用したお風呂からあがると、茶の間で長男の嫁である叔母が出してくれたお茶を飲みながら、しばらく話しをしました。
嫁と姑の間で苦労し普段は忙しく動いている叔母と、こうして一対一で話しをするのは初めてです。
叔母はとても整った顔立ちをしていますが、普段から化粧をすることもほとんどなく髪には白髪が見られ、私なんかほとんど美容室にも行ったことがないのよ、と苦笑いをしていました。
そしてわたしに、明日、自転車に乗ってこの甚大な被害をもたらした海を見て来なさいと強く勧めたのです。

ユキヒロさんの今後のためにも
この地震がどんなものであったのか
肌で感じて来なさい
あの海を見て来なさい
………

その時わたしは、ああ叔母は物事をよくわかっている方なのだ、とあらためて思いました。
化粧もせず華やかなこともなく毎日忙しく働いていますが、物事の本質を、社会や人間の真実をよくわかっている方なのだと…


翌日は、ほとんど風もない穏やかな日でした。
すでに停電は解消されましたが、水道からまだ水は出ていません。

食べるものもないので、空腹のままかつて母が使っていたママチャリを物置から出して、叔母から強く勧められたあの海へと向かいました。
春の穏やかな日差しが心地よく、わたしは珍しく白いスポーツキャップをかぶって、これから目撃する甚大な大津波の傷跡に対して、こころを真っ白にして向き合おうとペダルを漕ぎ出しました。

国道4号線を越えると、海までは一直線の道路が続きます。
南東北総合病院の傍を過ぎ、大津波から最後の防波堤の役割を果たした東部自動車道が南北に走り、そのトンネルを潜ると辺りは一変しました。

春の穏やかな日差しの下で、大津波の傷跡が見渡す限り広がっています。
さまざまな瓦礫がときおり光に反射し、田んぼや畑、そして海へと続く道路にもありとあらゆる種類の瓦礫が散乱し、何台かの自動車も横倒しになっています。
瓦礫を避けながら自転車を漕ぎ続けると途中、茶色の毛並で巨大で丸々と太った豚が、道端の側溝へ顔を覗き込むように死んでいました、おそらくどこかの養豚場から流されて来たのでしょう。

民家の並ぶところまで来ると、今度は大半を占める2階建の住宅のほとんどの1階が壊滅的な被害を受け、もはや柱だけになっている家が何軒もありました。
しかし驚いたのは、こうした家々のすべてにおいて誰一人として後片付けをする者もなく、まさにゴーストタウンのように人影が途絶えていたことです。
しかしよく考えてみると、これらの家々の多くの方々が犠牲になられていたのです。

そしてようやく防風林の松林があるべきところまで来ると、この海辺付近の住宅はもはや1階の柱が数本残されているだけで、家のかたちすらありません。
松林も多くが流され、残った松の木の間から白い砂浜と灰色のコンクリート製の堤防が見えました。
わたしは、わずかに残った松林に自転車を停めると、白い砂浜を海へと歩きました。
コンクリート製の堤防が一部崩れて、白い飛沫をあげている青い太平洋が覗いています。
堤防の階段を昇り、ようやく水平線の彼方まで広がるあの海を見渡しました。

青い海は何事もなかったかのように、太陽の光に煌めく波をざーと飛沫を立てながら、白い砂浜へと寄せては引いています。
しかしその白い砂浜も、残骸のようなたくさんの瓦礫に占領されていました。

砂浜の先の北方にある仙台港では、象徴的に高さ数10メートルもある白い巨大な石油タンクが横倒しになっています。
わたしは春の太陽の光の下で、平常を保つ煌めく青い海と、瓦礫が散乱する白い砂浜、そして横倒しの巨大な石油タンクを、コンストラストを描きながら脳裏に焼きつけました。

そして人類にとって甚大な被害をもたらしたこの巨大な大地震も、宇宙や地球規模で見ればほんの些細な出来事に過ぎなかったとともに、宇宙や大自然の前で人間は、何と無力な存在なのだろうとあらためて実感しました。
神は弱く脆い人間が作りあげた1つの想像であり、人間が人間を支配するための手段であり道具に過ぎず、大自然の脅威の前では、鐘の音を鳴らすこともできず沈黙せざるを得ないということも…

そしてわたしのこころの奥には、あの「小さな顔の大きなひとみ」のきみが、たしかに確実に芽生えていました。
この未曾有の危機のあとの世界で出会うであろうきみが…


ちなみに海から戻るとそのままわたしは、食料を探すため市内を自転車で巡りました。
お腹が何度もグーグー鳴り、お腹と背中がくっつきそうになっていました。
もはやスーパーやコンビニは、食料品が尽きて閉店しています。
商店街の一角のあるラーメン屋が、炊き出しのご飯とおかずをパックにして販売していました。
ようやくわたしは、お腹と背中がくっつくことを避けられました。


しかしこの頃、海に面した東京電力の福島原子力発電所では、大津波によって危機的な事故が発生し、海から遠く離れた中通りの県民さえも放射能の脅威と恐怖のため、その日のうちに避難せざる得なかったのです。
後日わたしは、大学時代の1つ歳上の女性の先輩が、その日のうちに福島市から山形の米沢市まで避難したことを知らされました。
幼い子供がいる家庭ではとくに、放射能の脅威と恐怖から逃れなければならなかったのです。