《母の面影》
春の午前の日差しに煌めくシルバーのMINIクーパーは、大津波の被害のため損壊した村の駅舎前から左折をし、かつてわたしが小学校時代に住んでいた国鉄官舎へと向かいました。
いつの間にか膝の上で熟睡していたシーが目を覚まし、得意のピンク色の舌をちょっと だけ出してじっと前を見つめています。
つきあたりのT字路を左折すると、いよいよとても懐かしくたくさんの思い出がつまった国鉄官舎です。
南北に3棟並んでいるうちの1番奥の棟が、わたしの住んでいた北棟です。
マグダラのマリアが奥まで進んで、春の日差しを受けたMINIクーパーを停めました。
一瞬で、あの頃が蘇って来るようでした。
目の前には、老朽化が進んではいるものの2階建のコンクリート造の国鉄官舎が、長い年月を経てかわらずそこにありました。
東日本大震災の大津波からも難を逃れていました。
もう長いあいだ誰も住んでいなかったため、コンクリートの白い壁はひどくくすみ、カーテンのないサッシのガラス扉も汚れが目立ちます。
建物の南側の、かつてはコスモスやチューリップが咲いて華やかだった庭も、コンクリート製の柵がところどころ倒れ、短い雑草が生えているのみです。
わたしたちは車から降りて、ところどころ倒れたコンクリート製の柵に囲まれた庭に入りました。
シーは、さっそく地面に鼻をつけてあたりを嗅ぎまわり始めます。
わたしは、庭のこのあたりが春になると色とりどりのチューリップが咲き、秋になると背の高いコスモスが風に揺れていたことを、マグダラのマリアに話しました。
さらに南側のサッシのガラス窓から室内を覗くと、がらんとした6畳ほどの和室と奥の薄暗く狭い台所が見えます。
まな板の上でものを切る包丁の音が聞こえて来るようです。
あの狭い台所で母は、毎日ご飯の用意してくれました…
そして突然、母の面影が鮮明に蘇ります。
すでにかなり前に亡くなった母の最期の姿が…
深夜の薄暗い個室の病室には、わたしとベットの上で苦しみや痛みに耐えている母だけです。
病弱な父は、夜になると自宅へ戻り睡眠を取っていました。
わたしは、ときおり吐き気に襲われて嘔吐する母の対応を続けていました。
もう回復する望みは失われていました。
助かる望みもないにも関わらず、あまりにも苦しそうに顔を歪め必死に耐えている母の表情に、どこかで奇跡が起こることを願いつつも、もういいだろう、楽になって欲しいと思いました。
母の手を取り、室内灯の仄かな灯りに照らされた、苦痛に歪んだ鼻に管を通された顔をずっと見つめていました…
母は、自分のことはすべて後にして、このぼくを育てることのみに捧げた人生だったと心に響かせながら…
まだ朝陽が昇る前でした…
亡くなった後に、担当だった何人かのまだ若い看護婦さんたちから、母がひとことも苦しいとか痛いという言葉を発しなかった、こんなに気丈な方ははじめてです、とても驚きました、と伝えられました。
突然、シーが吠えました。
振り返ると、シーがわたしの膝まで跳んで来て、しっぽをめいっぱい振りながら小さなピンク色の舌でわたしの顔を舐めようとします。
わたしは、シーの春の日差しに瞬く毛並みの小さなからだを抱きしめました。
シーにも、わたしの母の面影が見えたのだと感じながら…
