《空の色》


子どもの頃に住んでいた国鉄官舎の裏に、厳かで神秘的な自然の「森」がありました。
同じ国鉄官舎に住んでいた、当時高校生の姉のように優しかった純子ちゃんとよく一緒に行ったものですが…

国鉄官舎のコンクリートで舗装された専用通路から、夏になるといっせいに咲き出す旧時代の残滓のような向日葵畑を抜けると、「森」で唯一のけもの道がありました。

母親から「森」へひとりで入ることを禁止されていたわたしは、深夜に布団からそっと抜け出し月明かりを頼りに、強欲な雑草を踏みしめながら「森」の中のけもの道を歩きました。
樹々や雑草、ときおり咲いている名前も知らない小さな花などの植物の匂い、どこかで鳴いている昆虫や野鳥の声、そして風に揺れて樹々の葉や枝がざわめく音、それらすべてが「森」であり、わたしはけもの道を歩きながら、このままこの「森」と同化してしまうのではないかとよく思ったものでした。

そしてそのような「森」の奥に、この村で「森の隠遁者」と揶揄されていた1人の男が住んでいた、赤錆びたトタン屋根の古い木造平屋建の一軒家がありました。
男は、そのあだ名の通り滅多に姿を見せることはありませんでしたが、彼は毎晩その古い一軒家から「森」に向けて、Ravelの「亡き王女のためのパヴアーヌ」をピアノで弾いていました。
月と星たちが見守る「森」では、なんとピアノの音色がコンサートホールのように響き渡り、樹々が共鳴していました…

またわたしは子ども心に、「森」の樹々の梢がアンテナとなって宇宙の声と交信をし、宇宙の声=森の声だと思っていました。
そして「森」の奥で1人で暮らしている「森の隠遁者」こそが、森の主である「ほふられた子羊」の仮の姿であり、クロアゲハ蝶が姿を見せると、ようやくその本来の姿を見せるのではないかと…


わたしは、シーの白にゴールドの体毛のやや寸胴な身体を抱きかかえ、ほんの少しクロエオードパルファムの香りを漂わせたマグタラのマリアは、その細い腕をわたしの腕に通して、まだ雑草だけの向日葵畑の傍らから、あの懐かしい「森」を眺めました。


空の下に「森」がありました。
空の色が子どもの頃に眺めた空と同じ色なのか、まったく違う色になってしまったのかはわかりません。
ただわたしは、わたしの胸に赤ん坊のように抱っこされて、ピンク色の舌をちょっとだけ出しているシーが見つめている空…
その空と同じ色の空を、感じたいと思っていました。

シーのつぶらでくもりのないまなこに、あの「森」がどう映るのか?
と胸が締めつけられる思いをしながら…