2015年、10月末から11月アタマにかけて、
東北は岩手県を旅行しました。
岩手県には、小学校の頃の家族旅行で「小岩井農場」や「平泉」に行ったことがあり、
社会人になってからも「平泉」を再訪したのですが、
「盛岡市」などはまだ観光したことが無かったので、今回チョイスしました。
4日間、岩手県内を巡ります。
という事なんですが、なんと、今、その岩手県の盛岡市に住んでます
7年前に旅行した地に、おととしの11月から仕事で異動し、在住しております。
岩手県の魅力に日々触れていますが、このブログに関しては
当時訪れた時の心境のままで綴り」たいと思います。
当日は最寄りの「武蔵新田駅」を5時40分に出発しました。
東京駅からは「東北新幹線」。
6時30分頃の新幹線ですが、車内は満席でした
旅の朝は、トーゼン ビール
東北新幹線は読み物が置いてあっていいですね~
都心からどんどんのどかになっていく風景、 2時間ちょっとで「盛岡」です。
癒されますね~ 県庁所在地なのでそれなりの町並みですね~
盛岡駅
結構な人が降りました。
駅構内には、お土産物屋や、特産品の展示などがされていました。
こちらは岩手のお祭りの模型。
東北の祭りで、岩手は「さんさ踊り」ですね~
「チャグチャグ馬コ」も知っていました。
「南部の曲がり家」 観光案内所で情報収集。
「盛岡駅」の字体、なんか、いいっすねぇ~
駅前の風景です。
今では見慣れた景色。
「盛岡駅」の駅前には地下道がありました。
ここを通って市街地へ向かいます。
駅前通りを往きます。 開運橋 工事中でした。
まずは「盛岡城跡公園」に向かいます。
観光の前に、公園のそばにあるお店で、盛岡名物の「じゃじゃ麺」を食べます
それにしても、盛岡、寒い
さすが、東北、度胆抜かれる寒さです
秋やのに、体感は完全に冬。
おととし11月に赴任した時も寒すぎて体調崩したくらい。
今年はだいぶ慣れたけどねー
この日は、天候もあまりすぐれませんね~
北上川 です。
川沿いにはホテルやマンションが立ち並んでいます。
繁華街の「菜園」エリアへ。
北東北では最大の繁華街です。
朝早いのであまり人がいませんねー
カワトク という百貨店があります。
「カワトク」の前に鎮座する、 恵比須神社
「恵比須神社」は兵庫県西宮市の「西宮神社」から分霊され鎮座しています。
「カワトク」の前を歩いて行くと、
盛岡城 の見事な石垣が現れました。
「盛岡城」の観光は、「じゃじゃ麺」を食べてからにします。
「盛岡城跡」や「桜山神社」の前には、いかにも昭和な飲み屋街があります。
すごいノスタルジー感じるええ感じの飲み屋街です。
その中に、 盛岡三大麺 の、
じゃじゃ麺 のお店があります。
「じゃじゃ麺」発祥の 白龍 さんでいただきました。
9時頃からお店が開いてます。
並んで食べるのいやなので、朝から行きました。
ビールも飲みましたよ
腹ごしらえして、観光のスタートです。
飲み屋街と官公庁の間にある 内丸緑地
城の内堀に囲まれた公園です。
内堀のそばに 鐘楼 も建ちます。
下曲輪の土塁の上に建つ「鐘楼」は、1679年11月に、
4代藩主「南部重信」の子「行信」の発願によって、
「聖寿禅寺」の「大道和尚」が銘文を作り、
「小泉仁左衛門清則」によって鋳造された鐘です。
もとは外堀の土塁上にあり、「日影門外時鐘」と云われました。
昭和30年頃まで盛岡市民に時刻を知らせていました。
「内堀緑地」から、
「桜山神社」の鳥居が建ちます。 飲み屋街の前に「岩手公園」の碑。
「岩手公園」は「盛岡城跡公園」のことです。
飲み屋街を抜けて、
桜山神社 を参拝します。
1749年の創建。
「盛岡藩」第8代「南部利視」により初代「信直」の遺徳を偲び、
「盛岡城内淡路丸」に神殿を建立、その神霊を勧請して、
「淡路丸大明神」と奉ったのに始まります。
第11代「利敬」が1812年に「櫻山大明神」と改称。
その後、1818年に南部家初代「光行」を合祀しました。
社殿は「盛岡城三の丸跡」にあり、「南部藩」の総鎮守として信仰されました。
現在に残る「本殿」、「拝殿」、「神門」は、1899年に建立されたものです。
1926年(大正15年)、「南部利淳」から寄進された南北朝時代初期の、
国長作の刀が所蔵されており、重要文化財に指定されています。
例大祭は5月25~27日に開催され、武者行列や伝統芸能の奉納などが行われます。
「本殿」の裏に巨大な岩が鎮座します。 南部稲荷神社
「南部稲荷神社」
五穀豊穣の神様が祀られています。
烏帽子岩
「盛岡城」築城時、この地を掘り下げた時に、大きさ二丈ばかり突出した大石が出てきました。
この場所が、城内の祖神さまの神域にあったため、「宝大石」とされ、
以後吉兆のシンボルとして広く信仰され、災害や疫病があった時など、
この岩の前で、平安祈願の神事が行われ、
南部藩盛岡の「お守り岩」として、今日まで崇拝されています。
(つづく~)