<群馬県>~秘湯を訪ねて(1日目・ダムに沈む渓谷を往く④) | 花咲く旅路

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「吾妻渓谷遊歩道」の散策を終えて、「川原湯温泉駅」の方に戻ってきました。

 

この時点で12時30分。

 

14時頃に、この日宿泊するお宿の送迎が駅に来てくれるので、

 

それまで時間がまだあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

駅に戻る途中に、もともとあった「川原湯温泉」街を散策しましょう。

 

 

 

「川原湯温泉」への案内板通り、下って行きます。

 

 

 

 

「川原湯温泉」の開湯には諸説あり、一説は「鎌倉時代」前後、

旅の僧「光林」がこの地へ訪れた時、近くの寺院に宿泊を求めました。

その夜、持仏の「薬師如来」が夢枕に立ち、霊泉のお告げを受けました。

「光林」和尚の正式名が「川原朝臣権頭光林」だった事から、

「川原湯温泉」と名付けられたそうです。
 

もう一説は1193年、「源頼朝」が浅間山麓で、巻狩りの途中に湯煙が出ているのを見つけ、

温泉を発見したと云われています。

源泉近くには巨石があり、「頼朝」は「王石」と名付けたそうです。

それから400年後、突然温泉が枯渇し住民達が困り果て、話し合いの結果、

温泉がニワトリの卵をゆでたような匂いであったことから、

同じ様な匂いのする"ゆで卵"を湯の神に捧げ祈祷したところ再び温泉が湧き出たそうです。
村人達は「お湯湧いた、お湯湧いた」と叫び、「お祝いだ、お祝いだ」と

温泉をかけあったことが、天下の奇祭「湯かけ祭り」の起源とのことです。

 

「湯かけ祭り」は、毎年1月20日の早朝5時に始まり、

共同浴場「王湯」前に祭壇が設けられ、温泉の恵みに感謝し、

裸でお湯をかけ合う威勢のいい奇祭です。

紅白のふんどし姿の男達が「お祝いだ!お祝いだ!」という力強い掛け声とともに

湯をかけ合うと、たちまち湯気が立ち上がります。

「湯かけ祭り」のことを唄った「川原湯音頭」が鳴り響くなか、掛け声は続き、

祭りのクライマックスは、高さ4mほどにつるされたくす玉めがけてお湯をかけ、

中から飛び出した4羽のニワトリをつかまえ祭壇に奉納する時です。

見物客にも容赦なくお湯がかかるそうです。

 

 

 

 

 

 

川原湯神社       がありました。

 

 

創建は1520年と伝わります。

もとは「薬師社」と号し、川原湯の守り神として祀られていましたが、

1872年(明治5年)に「湯沢神社」と改められました。

1915年(大正4年)、境内社などを合祀し、「川原湯神社」と改称され、

「川原湯村」の村社となりました。

2001年(平成13年)には火災に遭い、全焼ししています。

「八ッ場ダム」の建設に伴い、新しい温泉地に遷座されます。

 

 

 

社殿は石段を上がって行った温泉街を見下ろす高台にありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

1933年(昭和8年)に、歌人の「与謝野晶子」、「鉄幹」夫妻が立ち寄り、

この際、「鉄幹」は”川原湯の 社のすだれの 古りたれど 入りて拝めば 肩ふれて鳴る”と

短歌を残しています。

社殿前に歌は掲示されていました。

 

 

 

 

下から見上げた社殿。

 

 

 

石碑なども建ちます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

神社の鳥居をくぐったところには、      足湯      がありました。

 

 

 

 

新川原湯温泉源泉      もここです。

 

 

新しい温泉地への移転のため、この年の6月30日に、足湯と源泉は閉鎖されました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先ほど新しい温泉街に公衆浴場「王湯」がありましたが、

元々の       王湯      がこちらです。

 

 

 

 

 

 

 

 

芭蕉句碑             川原湯の音頭の紹介。

 

 

 

「芭蕉句碑」

”山路来て 何やら床し 菫草”

実際に「松尾芭蕉」が「川原湯温泉」を訪れたことはないそうです。

江戸時代後期に「平花庵雨什」が建立しました。

 

 

 

 

 

 

                 馬頭観音

 

 

 

 

 

 

 

 

 

旅館がいっぱい建っていたのでしょうが、

今は廃墟となったり、取り壊されたりしています。

 

 

 

 

 

 

 

 

                      ”吾妻恋し麦酒 冷えてます”の張り紙。

「聖天露天風呂」閉鎖のお知らせ。      んー、寂しい・・・

 

 

 

廃墟も寂しいですが、それどころか、ここもダムの底に沈んでしまう、

一見の私ですら寂寥感に苛まれるんですから、

この町に関わった人たちの思いはいかなるものか・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

工事が粛々と進んでいます。

 

 

 

 

 

 

 

ここから先は通行止め。           「八ッ場大橋」を下から見上げる。:

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ひととおり、ひと気のない旧温泉街を散策し、駅に戻ってきました。

 

新しい駅との対比が、またまた寂しくなったなぁ~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(つづく~)