<新潟県>~花火の町・雪国長岡紀行 2日目①(あぶらげで有名な栃尾散策) | 花咲く旅路

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2015年9月中旬の新潟・長岡紀行、

 

2日目は、「あぶらげ」で有名な「栃尾」を観光します。

 

 

 

 

 

 

残念ながら、この日は朝からこまかい雨が降っておりました雨

 

観光なんかしたくないような天気ですが、

 

せっかく来たからには観光しないともったいない。

 

雨でも出かけるのです。

 

 

 

 

 

 

 

まー、

とりあえず、旅なんで、朝からアルコール仕込んでニコニコ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

8時45分、「長岡駅東口」から「栃尾車庫」行のバスに乗車。

 

40分ほどで「栃尾」に到着しました。

 

 

栃尾      は、新潟県のほぼ中央に位置し、

越後の名峰「守門岳」の豊かな自然に抱かれた山間の町です。

「守門岳」に源を発する「刈谷田川」、「西谷川」、「塩谷川」の、

3本の川が流れる、水の町です。

かつては「栃尾市」でしたが、2006年(平成18年)、「長岡市」に編入されました。

中心街は中世の山城「栃尾城」の城下町として発展し、

近世には「長岡藩」の代官所が置かれました。

雁木の町並みが残ります。

古くから繊維産業が盛んで、「栃尾紬」として知られています。
また、栃尾の名産としては、「油揚げ」が有名です。

栃尾では”あぶらげ”と呼び、大きさが一般の油揚げと比べ、かなり大きいものになります。

栃尾には、火伏せの神様「秋葉三尺坊大権現(秋葉神社)」があります。

「秋葉神社」は江戸の中期頃に隆盛を極めていて、栃尾近郊はもとより、

はるか「佐渡」や「上州(群馬県)」、「会津(福島県)」などからも

絶えず参詣の信者が訪れました。

1758年、「秋葉神社」の神官から創案者にこれだけ多くの信者たちのために、

何か特別なお土産を考えてほしいとの依頼があり、

江戸の豆腐屋で修行し、栃尾のあぶらげを創案しました。
他の説では、栃尾の馬市から生まれたという説もあります。

江戸中期、栃尾には上越市の春日、柏崎市の椎谷と並ぶ、

”越後の三大馬市”に数えられる馬市が開かれました。

その際、お客様であるお百姓さんと馬喰の間で商売が成立したとき、

証文代わりに酒を酌み交わしました。

その時の酒の肴に、手づかみで豪快に食べられる物として考案されたという説もあります。

 

 

 

 

「栃尾」の町並みです。

9時30分、雨が降っていますが、これから町中をぶらぶらします。

 

 

「手鞠屋」さんがあります。

かつて紬の産地だった「栃尾」では、

古くからくず繭や紬の残り糸を利用した手かがり手鞠作りが盛んでした。

 

 

 

 

 

 

 

栃尾市中央公園

 

 

休日とはいえ、さすがにこの天気では、人の姿も見られません。

 

 

 

 

 

 

 

 

西谷川      沿いを往きます。

 

 

 

 

 

 

川沿いの景観。               酒造会社があります。

煙る山々。                 越醸造                          

 

 

 

 

 

 

川沿いにはたくさんの石碑・句碑が建ちます。

 

 

 

 

 

 

 

 

大布橋

 

 

町めぐりのマップを見ながら散策してるのですが、

「大布橋」の交差点が直進の時に戸惑う”錯乱ブル交差点”と紹介されているのには笑いました。

 

「西谷川」は町中では「大布川」と呼ばれるそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

山城の「栃尾城」が煙っています。

 

この天候ですが、ここも観光する予定です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いいですね~、この昭和の町並み♪

 

 

 

 

                         マンホールは「手鞠」。

 

 

 

 

 

 

昭和の風情を残す「栃尾」、いろいろな小路があります。

 

西厳寺小路           油揚げの店がありました!

 

 

 

 

門前小路            谷内通り商店街

 

 

やはり雪深い地域なので、どの小路もアーケードが充実してますね~

雨降りのこの日みたいな日にはありがたい。

 

 

 

 

消火栓が守られています。

雪から守ってるんでね~

 

 

 

 

 

 

 

 

秋葉門前商工プラザ とちパル

 

 

 

 

「栃尾」の中心市街地の「谷内商店街」に、2014年(平成26年)にオープンしました。

1階は地元特産品販売、飲食スペースと情報発信機能を持った「まちの駅」となっています。

2階は栃尾商工会事務所です。

「上杉謙信」にゆかりの物が展示されていました。

「謙信」は、14歳の若さで「栃尾城」に入城し、

19歳で「春日山城」へ上るまでの青年期を「栃尾」で過ごし、

義の心を学び、立派な武将へと成長していきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

西厳寺

 

 

1552年、越後新発田城主「新発田因幡守長俊」の一族である「佐々木左衛門尉了閑」が、

「栃尾城」の客将として新発田から移り、ここに居館を構え、

一族の菩提をとむらうために阿弥陀堂を建立しました。

のちに「了閑」は「御館の乱」で討ち死にしましたが、

その子「赤倉」は「佐々木家」再興のために大阪へのがれ、

「東本願寺」の門徒となって、「石山本願寺の戦い」で朱塗りの槍を振って戦ったことから

入道して「赤倉」と名乗りました。

「上杉景勝」の「会津」移封後、天正年間に「栃尾」に帰り「阿弥陀堂」を修復し寺院とし、

「赤倉」の子「玄念」より本尊を守り、「西厳寺」住職として世襲しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

常安寺

 

 

1547年、「長尾景虎」自らが開基となって、創建、寄進した古刹です。

「謙信」は、父「長尾為景」の命により、中越鎮撫のため「栃尾城」へ入城し、

当時、栃尾にあった名刹「瑞麟寺」において修行を積み、

正義を重んずる清廉な人格が形成されました。
既に「越後国主」となっていた「謙信」が創建した当時の「常安寺」は、

七堂伽藍を配した豪華なたたずまいだったそうですが、

火災により焼失し、1701年に再建されました。

現在の本堂は1979年(昭和54年)に建てられたものです。
寺には、「謙信」直筆による「五言対句」や「兜の前立て」などの遺品が残っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

秋葉大権現            延命地蔵

 

 

「常安寺」の127段の石段を登ると、「謙信」建立の「秋葉神社」が現れます。

 

「延命地蔵」は、1860年、栃尾各地で村方騒動が勃発していたため、

平安を求めて、「六十六部講中」が全国を回って寄進を集め建立しました。

 

 

境内にはたくさんの石仏がありました。

 

 

 

 

 

苔の美しいお寺です。

雨の日には映えますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(つづく~)