<東京都>~2015年桜巡り・第5弾(旧古河庭園) | 花咲く旅路

花咲く旅路

旅、グルメ、MONO、自分を幸せにしてくれるものを記録します。

 

2015年春の桜巡り、第5弾です。

 

毎日のように花見行ってますね~ニコニコ

 

桜は見頃が短いから大変ですわ。

 

 

 

 

 

この日は昼からの活動です。

 

残念ながら天気が悪く、今にも雨が降り出しそうでした。

 

 

15時前に、東京メトロ南北線「西ヶ原駅」に降り立ちました。

初めて降りる駅でした。

 

訪れるのは駅から歩いて5分くらい、「旧古河庭園」です。

 

 

 

 

 

 

 

本郷通り    を往くと、

庭園の前にもすでに桜がキレイ。

 

 

 

 

 

 

 

旧古河庭園

 

 

「武蔵野台地」の斜面と低地という地形を活かし、北側の小高い丘には洋館を建て、

斜面には洋風庭園、そして低地には日本庭園を配したのが特徴です。

この庭園はもと明治の元勲「陸奥宗光」の邸宅でしたが、

次男が古河家の養子になったのち、古河家の所有となりました。

当時の建物は現存していません。

 

1941年、古河財閥3代当主「古河虎之助」が周囲の土地を購入し、

9,470坪を古河家の本宅用として、整備を開始しました。

1917年、西洋館と洋風庭園が竣工。

さらに1919年、日本庭園も竣工し、現在の形となりました。
 

洋館と洋風庭園の設計者は、英国人「ジョサイア・コンドル博士」です。

博士はここ以外にも、「旧岩崎邸庭園洋館」、「鹿鳴館」、「ニコライ堂」などを設計し、

我が国の建築界に多大な貢献をしました。

日本庭園の作庭者は、京都の庭師・7代目植治こと「小川治兵衛」。

ここ以外にも、山縣有朋の京都別邸である「無鄰菴」、「平安神宮神苑」、

「円山公園」、「南禅寺」界隈の財界人の別荘庭園などを作庭しました。

 

戦後、国へ所有権が移りましたが、地元の要望などを取り入れて、

東京都が国から無償で借り受け、一般公開されました。
数少ない大正初期の庭園の原型を留める貴重な存在で、

伝統的な手法と近代的な技術の融和により、

和洋の見事な調和を実現している秀逸で代表的な事例となっています。

 

 

 

 

 

 

旧古河邸

 

 

 

本館の規模はのべ414坪、2階建、地下1階。

主構造は煉瓦造、小屋組と床梁は木造、一部鉄骨梁を使用。

2階ホールにトップライトを設けています。

外壁は「真鶴」の新小松石(安山岩)の野面石積み、切妻屋根は天然スレート葺き、

出窓や玄関ポーチ屋根は銅板瓦棒葺き。

素朴で重厚な外観は、スコットランドの建築や英国の別荘建築と相通じます。

洋館内部に和室を完全な形で取り込んだ極めて珍しいプランです。

1階がすべて洋室で主に接客のための空間なのに対し、

2階の寝室を除いたすべての部屋が伝統的な和室になっています。

 

現在は「大谷美術館」が洋館の管理を行っていて、内部は1日3回、

時間を決めて行われているガイドツアーに参加すると見学することができます。

1階の一部には喫茶室が設けられており、

春と秋には窓越しにバラ園を望みながらお茶を飲むことができます。

 

 

洋館の中には自由には入れませんので、外からと窓から、撮影しました。

 

 

 

 

 

 

桜は見事に満開で咲き誇っていましたよ桜

 

 

 

 

 

 

 

 

洋館南側には、      洋風庭園(バラ園)      が広がります。

 

 

 

 

「ジョサイア・コンドル」設計で、左右対称の幾何学模様の刈込のフランス整形式庭園と、

石の欄干や石段・水盤など、立体的なイタリア露壇式庭園の技法を合わせ、

バラと洋館と調和した絵画的な景観美となっています。

バラ園には、約100種199株のバラが植えられています。

 

 

 

洋館東側にもバラが植わっていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本庭園      を散策します。

 

 

 

「日本庭園」は洋館、洋式庭園の完成に続いて、1919年に完成しました。

斜面の一番底部に位置する池泉回遊式庭園。

シイ、モチノキ、ムクノキ、カエデなどの鬱蒼と茂った樹林のなか、

「心」の字を崩した形の心字池を中心に、急勾配を利用した大滝、枯山水を取り入れた枯滝、

大きな雪見灯籠などが配されています。

 

 

 

 

 

 

 

 

黒ボク石積み

 

 

 

 

多孔質で軽く、加工もしやすい富士山の溶岩。
山の雰囲気が出るため、主に関東で石組みとして用いられることが多いが、
石垣状のものは珍しいそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

心字池

 

 

心の草書体をかたどった「心字池」は、鞍馬平石や伊予青石などで造られ、

池を眺める舟付石、正面には荒磯、雪見灯籠、枯滝、石組み、背後には築山が見られます。

 

 

 

 

 

 

                         

 

 

 

 

 

 

          雪見型燈籠           濡鷺型灯籠

    

 

「雪見型燈籠」

その名については、水辺によく据えられ、その姿が水面に浮いて見える「浮見」と、

点灯時にその灯が浮いて見える「浮灯」が、「雪見」に変化したとする見方があります。

 

「濡鷺型灯籠」

他の形式に比べて笠が厚く、反りがありません。

図柄は「濡れ」を文字で「鷺」を絵で表現するか、「濡鷺」を文字で表現する2種類があります。

 

 

 

 

 

泰平型燈籠

 

「泰平型灯籠」

笠の縁が蕨のように渦巻状に沿った部分を「蕨手」と云います。
竿が太くて節も3つあり、名が示す通りどっしりとした「泰平感」を漂わせている燈籠です。

 

 

 

 

          奥の院型燈籠         春日型燈籠

    

 

「奥の院型燈籠」

灯袋に牡丹・唐獅子・雲・七宝透かしを、中台に十二支を、

基礎に波に千鳥又は波に兎を刻んでいます。

奈良「春日大社」の奥の院にあるものを本家として発展しました。

 

「春日型燈籠」

燈籠では最も多い形式であり、6尺(1m80cm)を標準としています。

図柄は奈良「春日大社」の神獣である鹿と鳥居を組み合わせたものが特徴。

 

 

 

 

 

            枯滝               十五層塔

    

 

「枯滝」

水を使わないで山水の景観を表現する「枯山水」の道具立てのひとつが枯滝です。

「心字池」の洲浜の奥の渓谷に、御影石や青石、五郎太石などで造られています。

 

 

 

 

 

 

崩石積

 

京都で発達した伝統的な工法。

石と石が噛み合って崩れそうで崩れない姿が美しいとされます。

 

 

 

 

 

 

 

茶室                      書庫

 

 

「茶室」

京都に多く関東では珍しい崩石積と庭門で仕切られた茶庭の中に、茶室があります。

 

「書庫」

庭園の東側の木々の間にひっそりと建つ石造りの建物。

重厚な石積みに鉄格子。

1917年建造の、石積み、平屋建ての建物です。

 

 

 

 

 

旧馬小屋

 

洋館の玄関から西奥に進むと、古そうな小屋があります。

正面は板張りですが、側面を見ると古い煉瓦の壁に丸窓がついています。

1917年建造、元は馬小屋、煉瓦造り平屋建ての建物です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1時間ほど滞在しました♪

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

帰りは京浜東北線の「上中里駅」から蒲田に戻ります。

 

駅までの途中に神社や史蹟、公園があったので寄りました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

平塚神社

 

このあたり、中里、上中里の鎮守です。
1118年~1119年の「元永年間」に創建されました。

「源義家」が奥州遠征の帰途に領主に鎧一領を下賜し、

領主はその鎧を埋納して塚を築き自分の城の鎮守とし、さらに社殿を建てて、

「八幡太郎義家」、「賀茂次郎義綱」、「新羅三郎義光」の3兄弟を

「平塚三所大明神」として祀ったと云われます。

塚は「甲冑塚」と呼ばれますが、一般的な塚に比べて平だったため”平塚”と呼ばれ、

地名にもなりました。

 

 

 

 

「本郷通り」から長い参道がつづきますが、

両側は駐車場として利用されていました。       拝殿と神楽殿。

 

 

「拝殿」は1869年~1870年(明治2年~3年)頃の建造。

「神楽殿」も戦前の建造です。

 

 

 

 

 

境内社     菅原神社

 

 

 

 

 

           石室神社              神輿庫

    

 

 

他には「稲荷神社」なども建っていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「上中里駅」の方へ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

駅のすぐそばに、      上中里西方不動尊      がありました。

階段があり、気になって登って行って見つけました。

 

 

 

 

 

この付近には滝があり、行場になっていて、「不動明王像」が置かれていたと思われています。

台石には1735年(享保20年)の銘があります。

鉄道工事や道路拡張に伴ってたびたび移転され、

現在地に置かれたのは1927年(昭和2年)のことです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

蝉坂

 

「上中里駅」前から「本郷通り」の「平塚神社」方面へ伸びる坂道です。

江戸時代後半にはすでにこの呼び名があったようです。

”蝉坂”という名は、かつて「太田道灌」が攻め上った坂、

つまり”攻め坂”から転訛したものと伝わっています。

現在の坂道は1943年(昭和18年)、昔の坂を拡幅して出来た道です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

上中里駅        から、京浜東北線沿いに歩道を往きます。

 

 

 

 

左奥に、桜が咲き誇る場所が見えます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

清野川公園

 

 

 

 

 

 

 

 

防災公園としての性格も有する公園です。

こちらの桜も見事でした♪

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この日は16時30分で散策終了。

 

 

 

 

京浜東北線で帰途に着きました。