天官賜福 三郎愛しの沼➇ | 天官賜福 三郎愛しの沼 慕情もかなり好き

天官賜福 三郎愛しの沼 慕情もかなり好き

三郎に一目惚れ
天官賜福愛で生きてる
墨香銅臭さま、あなたがこの世に生を受けてくださってよかった

な、なんか少しずつフォロワーさんが増えて来ている…。
みなさんほんとに天官賜福が大好きなんですね(´;ω;`)ブワッ

私はどんな情報を提供出来るだろう?
どんな愛を共有出来るだろう??
どんな好きを貴方と一緒に楽しめるだろう…?


以前から中国が舞台の漫画が好きでした。
なので多分、少し(古めの)知識はあるかもです。

三郎の子どもの頃の呼び名、紅紅児って、中原の割と北の方の表現だったと記憶しています。
少し南になると阿紅(ほんちゃん)こんな呼び方になります。


江南(長江の南の地方)の方に

蓮葉何ぞ田田たる
魚は戯る蓮葉の東

採蓮曲と言う、蓮採女の唄があります。
この唄は蓮の実を採る職業の女性たちが、仕事中に歌っていたとか。

清々しい蓮の香りが漂うようなイメージの唄です。

個人的な感想ですが、風師殿はこんな感じでは?と勝手に思っています。

蓮採女と言えば田舎の若い女性の底辺のお仕事。
ですが蓮の清香はとても神々しいものです。

中国のみならず、エジプトのバステト女神にも供されたのは蓮花だったとか。


師青玄は、飛昇する器ではなかったかもしれませんが、彼の発言や行動が
とても清々しく、まるで(清)風が吹き抜けたような、との殿下の感想が何度か出てきます。

青玄も千秋も、殿下にとっては穢したくない、とても大切なタマシイだったのでは?と感じています。

明るく屈託のない穢れを知らぬタマシイ。

それはまるで殿下の17歳の頃のよう…。

正しいことを正しいと
間違っていることを間違っていると

大人になるほど言えなくなるものではないでしょうか。

でも
青いまでの若さ、まっすぐさ、清々しさを
殿下は眩しく、守りたいと思ったのではないか。

自分は泥にまみれてしまったからこそ、純粋な彼らを汚したくないと思ったのではないかと。



三郎にとっては
泥にまみれようが
清純な17歳の頃であろうが
殿下は殿下で、何も変わらない。
それこそ
光背は消えないのでしょう。


でも殿下。
蓮花は泥の中から咲く花です。

汚れた泥にまみれて
掻き分けて

そして天界に届く
清くうつくしく聖なる芳香を纏った佛の花。


天官賜福
天の祝福

それは

三郎にとっての殿下で

殿下にとっての三郎で

八百年かけてやっと辿り着いた
お互いの祝福の地なのでしょう